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2026年10月9日金曜日

オールドカイロ巡り コプト博物館1


古代エジプト文明はプトレマイオス朝を経て、ローマ統治時代にキリスト教の一派コプト教の時代になった。そのについて博物館や教会を巡る一日。

オールド・カイロ内のバビロン要塞とコプト教会
❶聖ゲオルギオス教会 ❷地下鉄駅 ❸バビロン要塞 ❹コプト博物館 ❺アル・ムアッラカ正教会 ❻アブー・セルガ教会 ❼ベン・エズラ・シナゴーグ
地下鉄の線路沿い道路を北から歩いていく。 東側の低い一群は墓地及び墓廟


北から歩いて、最初に見えたのはギリシア正教の❶聖ゲオルギオス教会のドームと高い鐘楼。

ちょっと覗いてみたら広い階段の上に円形平面の教会と四角形の鐘楼
3世紀初に殉教した聖人に捧げられた教会だが、現在の建物は20世紀初に再建されたもの。聖ゲオルギウス(ジョージ)は龍退治の場面で各地の教会に描かれている。


❷Mar Girgis駅の向かい側に❸バビロン要塞(2010年2月の写真)
この遺構と名称について説明パネルは、考古学的な遺物や古代の記録によれば、オールド・カイロにおける最初の集落の成立時期は、エジプト末期王朝時代(前664-525年)に遡るとされている。出土した陶器からは、この初期の集落が、レバント地方やエーゲ海地域と広範な交易関係を持つ河川港であったことがうかがえる。したがって、バビロンの集落は、ナイル川流域と紅海を結ぶ運河の開削がネコ二世(前610-595)によって初めて試みられ、その後ペルシア王ダリウス(前521-486)によって完成された時期と同時期に成立したと考えられる。
後1世紀のギリシアの地理学者ストラボンは、この集落の名称について、「そこに避難してきたバビロニア人によって建設された」ことに由来すると記している。
要塞の配置は、トラヤヌス時代の港や運河の既存の河岸壁に基づいており、要塞の東壁と西壁が、運河を挟んで等しい幅を持つ二つの区画を形成する形となっていた。運河の入口の位置は変わらなかったが、その両脇には巨大な円形塔が設けられた。これらの塔は、現在コプト博物館の入口の目印となっているという。

ここには末期王朝時代からペルシアの統治時代、ローマの統治時代というカイロの歴史が詰まっている。上から眺められるようにして~

20世紀初期の建造とあって、ローマンコンクリートの技法は廃れ、内部は外側と同じ石やレンガが積み重なっている。(2010年2月の写真)
ローマンコンクリートについて詳しくはこちら

中心部(2010年2月の写真)

聖ゲオルギオス教会とバビロン要塞という二つの円塔の間を通って、


奥にあるコプト博物館(1908-10)へ
コプト文化の保存と振興に生涯を捧げ、本博物館を創設したのはマルクス・シマイカ・パシャ(1864-1944)だそう。

途中に両側に噴水。建物の上に小さなドームがありそう。

博物館のファサードは石造りで二階建て。斜めから見ると凹凸がよく分かった。

中央のタンパンには中央から出る線が装飾的に彫られ、その中心にコプト十字が透彫されている。コプト教の十字架は上下左右の枝が同じ長さ。
楣石には玉座のキリストを天使たちが花輪で囲んでいる。

透彫のような十字架を囲む輪っかには葡萄唐草文

楣石
上は十字架の下地に円形の葡萄の葉と実
下は2人の天使が支える花輪の中に年老いて見えるキリストの胸像。キリストは時代が古いほど若く描かれる。


一階の平面図


❶玄関
中に入ると早速噴水が。あまりにも近すぎて変な構図になってしまったが、幾何学的な構成とその中に鏤められた切石モザイク。石のテッセラによるモザイク(オプスセクティレ)はビザンティンや西方キリスト教教会でも用いられた装飾。

窓に嵌め込まれたステンドグラスは漆喰で色ガラスを固定して編み出した植物文様。これまでトルコで見てきたモスクや墓廟を飾っていたもの。オスマン帝国の統治時代にもたらされたのだろう。外側から日が差さない時間は色が全く見えないが、漆喰の様子が見える。
建物は

そして天井には木造のドーム。これが外から見て白っぽく見えていたもの。外側は何で創られたのだろう。

木製のムカルナスは初めてみた。



❷展示室 ほぼ正方形平面の小さな部屋
コプト織はコプト美術で一番見たかったものの一つ
美術館の説明パネルは、織物はコプト美術の最も特徴的な産物で、コプト織という用語は、実際にはエジプトで発見されたローマ時代、ビザンチン時代、イスラム時代に遡る膨大な数の織物(数万点)を指すために用いられるという。

コプト織の衣装
おそらく胸前に大きな模様があって、両側に縦長の文様帯がある。


大きな衣装の一部と思われる。
無地の背景に、赤いキルトを着て左肩に緑の服を着た浅黒い肌の笛吹き男とのコントラストが描かれたタピスリ。左側の垂直パネルは戦士とダンサーで装飾され、中央にはライダーと踊るカップルが描かれているという。

コプト織については後日忘れへんうちににて


❸展示室 広い部屋
この展示室に入る時、やっと天井を見る余裕が出てきた。
驚いたことに、トルコでモスクの扉や説教壇で見てきたキュンデカリ(クンデカリ)のような装飾が、天井の幾何学文様に使われているように見えた。梁にも文様があるが、浅浮彫なのかキュンデカリなのか・・・ 
部屋の中央部には明かり取りの八角形の穴。

この部屋の展示品は石彫 説明パネルを写し損ねたので不明。


展示室4 ほぼ正方形の小さな部屋

墓碑断片 砂岩 産地不明 ビザンティン時代
説明パネルは、アハナス(Ahnas)の遺跡は、カイロの南約110㎞、ファイユーム地方の南西の隅にあたるバール・ユースフ(Bahr Youssef)の右岸に位置している。ファラオ時代、この地は上エジプト第20ノモス(行政区)の首都であり、地元の雄羊の神ヘリシェフを祀る神殿が置かれていた。ギリシア人はこの神をヘラクレスと同一視し、町をヘラクレオポリス・マグナと呼んだ。ギリシア・ローマ時代には、この町はヘラクレオポリス・ノモスの中心地となった。伝承によれば、ヘラクレオポリスでは3世紀にキリスト教の殉教者が出たとされている。ヘラクレオポリス・マグナの司教ペテロが325年のニカイア公会議に参加したことが記録されており、これは当時すでにアハナスのキリスト教徒共同体がかなりの重要性を持っていたことを示唆しているかもしれない。
1891年、エドゥアール・ナヴィル(Edouard Naville)はアハナスでの発掘調査中に、ある建造物を発見し、それを誤って教会であると解釈した。そこからは多くの建築彫刻が出土したが、その大半は壁龕の上部装飾、装飾文様や人物像が施されたフリーズの断片、そして円柱や付柱の柱頭だった。壁龕の上部装飾やフリーズの多くには、アフロディテの誕生、レダと白鳥、エウローペと牡牛、オルフェウス、ダプネー、パーン、ディオニュソス、ヘラクレスといったギリシア神話の主題が描かれている。これらは3-5世紀に制作されたもの。
異教からキリスト教への移行は、突然あるいは完全に断絶して行われたものではなく、かなりの重複や混交を伴う長い過程だった。エジプトにキリスト教が広まった後も数世紀にわたり、コプトの人々は、彼ら自身やその祖先にとって馴染み深い神話の主題を用い続けていたという。
2人の人物や鞍を付けたライオン? 鞍が着いているけれど。

コプト十字を掲げた童子たち


墓碑 砂岩 産地不明 ビザンティン時代
説明パネルは、職人修道士オネフリオスの墓碑には、十字架を囲む花輪が刻まれているという。

神殿型墓碑 オランスのマリア
切妻の屋根を2本のコリント式円柱が支えていて神殿よう。両手の上にはランプのようなものがぶら下がっている。

神殿型墓碑 オランスのマリアなのか墓主の女性なのか

神殿型墓碑 鬼のような顔なのに幼子を抱いて坐っている。これが聖母子像とは。


展示室5 正方形に近い角部屋

中央の天井には大きなコプト十字とその隙間に円で囲まれたコプト十字。でも文様はイスラームの植物文様。

ステンドグラスは外から光が入ればこんなにカラフル。十字架以外は植物文様。

石造品 これは墓廟の一部?
蔓草文様が刻まれた角柱の上には平面的なアカンサス。その上の楣石にはコプト文字が並んでいる。


展示室6 長方形の長い部屋
何とも奇妙な写真だが、長方形平面の部屋の中央には正方形から八角形になった明かり取りの穴がある。

キュンデカリ(クンデカリ)については後日忘れへんうちににて 


聖エレミア修道院の壁画 サッカラ
説明パネルは、聖エレミア修道院は、メンフィスの古代ネクロポリス(死者の都)であるサッカラに位置している。ウナス王のピラミッドへと続く参道が、その北側の境界となっている。この修道院は7-8世紀に繁栄したが、9世紀半ば頃にはその活動が途絶えたと考えられている。
修道士の居室に付随する祈祷室からは、かなりの数の壁画が発見されている。主な図像としては、玉座のキリストや、聖母子像。小さな壁龕にはキリストの胸像が描かれており、片手を挙げて祝福を与え、もう一方の手で書物を携えている。最も興味深い場面の一つに、聖母が幼子イエスに授乳する姿を描いたものがある。また、壁画には多くの聖人の姿も描かれているという。
壁龕の壁画は下図の四つだけではない。詳しくは後日忘れへんうちににて

斜めから見たステンドグラス

一階の天井
の正方形の開口部が八角形のとなり、二階の天井の正方形の開口部がまた八角形となってドームが架かっているのだった。複数階の建物の明かり取りなのだろう。


展示室7 少し縦長の小さな部屋 
小さな部屋なので明かり取りはない。

壁龕の壁画 ビザンティン時代のパントクラトール(全能の神)のキリスト。その下には正面向きの聖母子像。

幾何学文様の壁画 イスラーム時代のものだろう。

星を見てキリストの誕生を知り、礼拝にやってきたマギたち?

コプト織ではなく絵画




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現地説明パネル