『GORDION MUSEUM』は、この大古墳と三角形を形成するように、二つの小さな古墳がある。博物館敷地のすぐ西に位置するコルテIII号墳と、博物館の東に位置する子供が埋葬されているP古墳です。どちらの埋葬地も8世紀後半と近く、大古墳からそれほど遠くない時期に埋葬されたようです。これら三つの古墳の埋葬地は、おそらくフリギア王家の出身者であったため、血縁関係があった可能性があるという。
ⓐMM墓 ⓑコルテIII号墓 ⓒP墓 ⓓ博物館入口 ⓔフリギア時代の舗床モザイク ⓕ展示室 ⓖガラティア時代の墓 ⓗローマ時代の舗床モザイク ⓘミュージアムショップ
ⓐMM墓の次はⓓ博物館入口へ。
『GORDION MUSEUM』は、出土品のほとんどは、現在の村の名称の由来となったヤッスホユックという集落の中心地から出土したもの。
ゴルディオン遺跡で代表される古代の時代は、青銅器時代(前3000-1100)、鉄器時代またはフリギア時代(前1100-300年)、アレクサンドロス大王の征服後のヘレニズム時代(前300-100)、そしてローマ時代(後1-4世紀)。その後、セルジューク朝時代(11世紀-13世紀)にこの遺跡に人が定住した。全体として、ゴルディオンには 3000年以上にわたる古い歴史があるという。
このヤスホュック Yassıhöyük はカマンカレホユック近くのアナトリア考古学研究所が発掘調査している遺跡とは別。
石棺 ローマ時代、後2後半-3世紀初 テメリ(Temelli ゴルディオンの北東40㎞)出土
説明パネルは、四面すべてに施された彫刻装飾は、ブドウの房・葉、そして果実で飾られた花輪で構成されている。花輪は、中央の二つの長辺に雄牛の頭、そして四隅に雄羊の頭から垂れ下がっている。牡牛や牡羊の頭は、供え物と同様に、祭壇で捧げられた動物の犠牲を暗示していた。
石造りの石棺がローマ文明で普及したのは、埋葬の慣習が火葬から土葬へと移行し、遺体を納めるためのより大きな容器が必要になった2世紀になってからだったという。
こんなところでローマ時代の石棺の出現時期を知ることができた。
『GORDION MUSEUM』は、メガロン2は石造りだが、同様の木造の骨組みが使用されていた。建物の床は、主に幾何学模様の小石モザイクで覆われており、この種の床としては世界最古のものの一つという。
続いてⓕ館内へ
ポラトルフユック Polatlı Hüyükü における初期青銅器時代の埋葬
左:金石併用時代の子供の埋葬 奥:青銅器時代の箱形石棺 右:青銅器時代の子供のピトス(甕棺)墓
段々にして展示されたケース
ゴルディオン博物館図録は、古代の各時代は、物質文化においてそれぞれ異なる特徴を示している。本ケースの収蔵品は、考古学的集落階層に従って下から上へと並べており、ゴルディオンで発見された主要な時代を表しているという。
左下の初期青銅器時代(前3000-2000、写真には写っていない)から、右上のアナトリアセルジューク朝期まで。
③浅鉢(後期青銅器時代、1600-1200) ④三つ葉口付き水差し(初期フリギア時代、前900-800 ) ⑤黒色研磨三つ葉口付き水差し(中~後期フリギア時代、前 800-330) ⑥浅鉢(ヘレニズム時代、前330-189) ⑦片手付容器(ローマ時代、後50-500) ⑧緑釉りランプ(アナトリアセルジューク朝期、1200-1400)
⑤黒色磨研三つ葉口付き水差し 前7-4世紀
ここからは時代ごとの展示ケースになっていた。
土器類 初期青銅器時代、前3-2千年紀
上段中央に容器の蓋、3個の片手付ボウル、下段右に深鉢注口付き水差し
『GORDION MUSEUM』は、ゴルディオンで知られている居住地の最も初期の段階は、およそ前3千年紀(3000-2000年)の初期青銅器時代。この時期にアナトリアと近東では、道具やその他の物に用いられる青銅の製造における最終的な技術的進歩が遂げられた。
石器時代(新石器時代)はゴルディオンとその周辺地域では確認されていない。近隣のポラトゥルにある集落マウンドからはゴルディオンのものと類似した遺物が出土しており、ゴルディオン周辺地域の他の遺跡でもこの時代が知られている。展示されている手作りの容器、特に注口付水差しは、中央アナトリアにおける初期青銅器時代の典型的なものという。
これが後廟ヒッタイトやフリギア時代の嘴付き水差しへと受け継がれてくものの原型だろう。
中期青銅器時代(前2000-1500)・後期青銅器時代(前1500-1100)の出土品は写し損ねた。
初期フリギア時代(鉄器時代)
『GORDION MUSEUM』は、ゴルディオンにおけるフリギア時代は、前1000年頃、あるいはそれ以前から始まり、少なくとも前4世紀後半まで続いた。ヒッタイト人とは大きく異なるインド・ヨーロッパ語族を話すフリギア人は、南東ヨーロッパからアナトリアに移住したと考えられている。彼らの言語は古代ギリシア語、そしておそらくトラキア語との関連を示している。
ゴルディオンの青銅器時代後期の最古層では、ある種の手造りの土器(時に研磨されているものも)が発見されており、これはヨーロッパから来たこれらの新移住者の存在を示す最古の証拠である可能性が非常に高い。この土器は、南東ヨーロッパのものと概ね類似点があるという。
初期フリギア時代と中・後期青銅器時代の年代が明確にされていないが、同図録は、前700年頃、フリギアの城塞の大部分が大火で破壊されたときに、建物だけが中身を無傷で残ったことから知られている。この破壊はおそらくキメリア人によるフリギア侵攻に関連して発生し、ミダス王はこの出来事に関連して亡くなった可能性があるということなので、前700年までが初期フリギア時代とする。
建築の部品
同書は、前8世紀末、初期フリギア時代にかけて、発掘調査によって、主要な居住地であったマウンドで、広範囲にわたる一連の建築段階が明らかになった。
前9世紀には、ゴルディオンは記念碑的な建造物を有する要塞化された城塞となり、これがフリギア国家あるいは王国の始まりを象徴する出来事であったと考えられる。この遺跡の名は、フリギア王ゴルディオスに由来すると考えられる。「ゴルディオン」は「ゴルディオスの居城」を意味する「ゴルディイオン」の短縮形であると考えられるという。
渦巻き模様のアクロテリオン(棟飾り) 前9世紀
後にイオニア式柱頭になりそうな気配。
浮彫のあるオルトスタット
左:人の足が彫られているように見える 右:ライオン
初期フリギア時代の土器類
右上:黒色丸口水差し、Y墳丘墓出土
フィルター付き水差し
穴は細かいが形は格好よくない。ヒッタイト新王国時代(前15-13世紀)のフィルター付き水差しとは比べものにならないくらい。それにフリギア時代(前1200-700)なので同時期の二重構造の嘴付き水差しとも格段の違いがある。儀式用の水差しと、日曜雑器との違いだろうか。
上奥:双耳彩文土器 上中央:丸壺 上右:フィルター付き水差し(日本の急須のように注ぎ口と把手が90度に並んでいる)
青ガラスビーズの首飾り
図録は、シロ・レヴァント地方またはメソポタミアからゴルディオンに輸入されたものという。
シロ・レヴァントはレヴァント地方にヒッタイトの文化的影響を色濃く受け継いだアラム系の国
青銅製大釜も発見されているという。
建物の装飾用テラコッタ類
椅子のアーム 象牙 メガロン3号出土
他にも象嵌細工用のその他の象牙細工品などが発見されているという。
T52墓出土品 フリギア時代、前740-30年頃
テラス・ビルディングの典型的なユニット(一部)
図録は、テラス・ビルディングの典型的なユニットには、700年頃の火災により、そこで行われていた様々な活動のタイムカプセルが残された。労働者たちは羊毛を紡ぎ、大型織機で織物を織っていた。また、低い作業台にひざまずいたり、しゃがんだりして小麦や大麦を挽き、小麦粉にしていた。時には三つ葉口付き水差しを使って、穀物を挽石に注ぎ入れていた。さらに、控えの間でパンを焼いたり、その他の料理を作ったりする人々もいた。周囲には、様々な土器の容器や鉄器が並んでいたという。
奥に住まい、玄関のテラスが仕事場というユニットがこの職人たちの住宅だったのだろう。
チョルム考古学博物館やアラジャホユック博物館、そしてアナトリア文明博物館で展示されていた建造物を飾るテラコッタ
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参考文献
「GORDION MUSEUM」 Republic of Turkey Ministry of Culture
館内の説明パネル































