今回はアイザノイ遺跡北部
Kマッケラ Macella L列柱通り M橋 Tarihi Köprü Yolu N音楽堂 Erion O水場 Pゼウス神殿 Zeus Tapınaĝı Q浴場 Hammam と運動場 Palaestra R競技場 Stadion S円形劇場 Tiyatro
続いてQ浴場へ
浴場とパレストラ複合施設 平面図は説明パネルより(好みで上を北にした)
説明パネルは、後2世紀半ば頃、アイザノイの有力一族であるクラウディウス家によって建設され、ビザンティン時代に拡張され、いくつかの付属施設が追加された。遺跡は1926-28年にかけてD・クレンカーによって初めて調査され、浴場部分は1978年から1982年にかけて部分的に発掘・修復された。小規模な帝政様式に属する浴場では、建物の中央に❹冷浴室(フリギダリウム)と❺温浴室(カリダリウム)が左右対称に配置されている。両浴室の周囲には、様々な用途に使われた複数の部屋があるという。
①下部のアーチ ②後陣のある部屋 ③冷水プール ④冷浴室 ⑤温浴室 ⑥パレストラ(運動場) ⑦ハイポコースト(床下暖房)の跡? ⑧後陣のある部屋
②と⑧の後陣のある建物は、ローマ時代にはバシリカと呼ばれ、後に教会堂の建物にも採用された。それについてはこちら
①下部のアーチ
アーチの上には半円形の後陣(アプシス)になっている。ここが暖房の焚き口だったとか。
ヒュギエイア女神の大理石像 説明パネルより
右前方に③冷水プール
遺跡は段々高くなって、
2019年に完全に発掘された冷水プール(ナタティオ)は、18×4.7mの大きさで、深さは1m。かつて運動場として機能していたパレストラ部分は、110×145mという。
その反対側には温浴室に続く部屋があって、等間隔に草の生えていないところがある。床下に等間隔に平レンガを積んで、暖めた空気を送るハイポコーストだったのかな。
右前方にこれから見学するS劇場が見えた。
平レンガが積まれた部屋の基礎は④冷浴室だろう。
こんな風に見ると、ローマ劇場の前に広がる出土品を置くだだっ広い場所のようで、
上空写真と平面図(現地説明パネルより)のようなものだとは想像できなかった。
劇場の観客席を見える場所へ。
右手の遺構の外を回って道路へ戻る。
続いてR競技場とS劇場へ。
ここが地図の丸い部分で発掘調査の人たちが車でやってくるロータリー。
上空写真と平面図(現地説明パネルより)のようなものだとは想像できなかった。
Rスタディオンは細く長く、その先に劇場がキノコの傘のよう。
Sアイザノイはローマ時代の遺跡というが、劇場の座席が180°以上あるのはギリシア時代の劇場ではなかったかな。
劇場については後日忘れへんうちににて
黒っぽい石積みは劇場のスケネ(舞台背後の壁)
スケネ立面図 説明パネルより
やっと追いついて、当時の通路を通って
ギリシア時代の劇場のように斜面を利用して造られている。そして何故か黒い塗料を上から流したように観客席が上部から黒く変色しているのが不思議。
座席も快適だった。
巨大な⑥イスタンブール空港に到着
発掘調査した時すでに観客席は露出していて、こんな風に崩れていたのだろうか。発掘後に地震があったのだろうか。
下りていく時に眺めたスタディオン。
翌朝最後の朝食。巣蜜は豪快に減っていた。
もちろん私も控え目?に戴いた。
その後エスキシェヒル駅から特急 YHT でイスタンブールへ。
地図 Google Earth より
❶エスキシェヒル Eskişehir ❷ブルサ Bursa ❸チャナッカレ海峡 ❹アリフイエ Arifiye ❺イスタンブール Istanbul ❻イスタンブール空港
かなりイスタンブールに近づいた頃のマルマラ海。マルマラ海はボスポラス海峡で黒海と繋がり、❸チャナッカレ海峡(ダーダネルス、古くはヘレスポントゥス)によってエーゲ海と繋がっているが、どちらも狭いので、滅多に荒れることはないという。
Aソーウトリュチェシュメ駅 Bカドキョイ kadıkyoi Cハイダルパシャ駅 Dチャルムジャ塔 Eボスポラス第一大橋
晴れた日は黒海も見えると言うが、見学した日は大雨だった。
トルコでは7月15日殉教者の橋 15 Temmuz Şehitler Köprüsü と呼ぶイスタンブールのアジア側とヨーロッパ側を結ぶ橋。現在では第三大橋までできている。予定ではその第三大橋を通って空港まで行くことになっていたが、混雑しているということでこの第一大橋を通ることになった。
ここで現地ガイドのオキアイ氏とお別れ。
オキアイ氏のお祖父さんはサウジアラビアまで行ってイスラーム教の勉強をしてきたそうである。子供の頃、お祖父さんから言われたのは「イスラームで大切なのは寛容と喜捨だよ。喜捨は人前でせずに隠れていなさい」だという。オキアイ氏は、今ではその寛容さがなくなってきていると思いますと語った。
その頃は現在のような情勢ではなかったが、現在ではそれはムスリムたちに対して言えるだけではない。
イタリアを旅していた時の現地ガイドは、「キリスト教は不寛容な宗教ですから」と言っていた。それは古代のローマ帝国が多神教で、余所の宗教がローマで流行したりして、寛容な時代だったことの比較ではあるのだが。
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ユシキュダルを歩く(チャルムジャ塔)
参考にしたもの
現地説明パネル













































