お知らせ

エジプト旅行の記事を始めます。 興味を惹かれたものについての詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2026年11月6日金曜日

カイロ イスラーム時代のナイロメーター


今朝、ホテルの庭でヤツガシラが獲物をあさって土を穿り返しているのが見えたので、まず、自分が「木」の振りをして立ち止まった。しばらくして警戒している風でもなかったので、写真を撮ってみた。

夢中で蒸しを穴から引っ張り出していたので、動画で撮影しても一向に逃げないのだった。動画はアップできないのですんません。



本日はイスラーム時代の建築物の見学。
エジプトは長~い古代のエジプト王朝時代からギリシア、ローマの統治時代を経てコプト教の信仰ができ、その後はイスラーム時代となって今に至る。

カイロのナイル川は幾つか中島があって、その中のローダ島にあるナイロメーターを見学した。

ナイロメーターを見に行くには、対岸からマナステルリ橋を渡って左へ。


ナイロメータはあの尖り屋根の中。

この界隈の名称に使われているマナステルリの元になったマナステルリ宮殿
現地説明パネルは、建設者はカイロ県知事や内務大臣など、数々の要職を歴任した人物である。宮殿の面積は約1000㎡で、大きなメインホールを中心に構成されている。ホールの東側には、寄木細工の床が施された大きな部屋がある。西側には劇場が設けられており、その両脇にはそれぞれ部屋が配置されている。南側にはバスルーム付きの部屋があり、北側には寄木細工の床を持つ部屋がある。
現存するこの宮殿部分は「セラムリク(selamlik)」と呼ばれ、来客を迎えるための施設であった。一方、かつては「ハラムリク(haramlek)」と呼ばれる居住用の宮殿も存在したが、アル=ローダ給水所の建設に伴い取り壊されたという。

ローダ島南端からのナイル川上流側の眺め


ナイロメーターの建物に入って上を見上げる。16角形から円形を導いてドームを載せているが、外観にドームは見えない。


基部の
正方形平面から16角形三角形をトルコ三角形といってもよいのだろうか。


下部のナイロメーターについて説明パネルは、この建造物は、アッバース朝のカリフ、アル=ムタワッキル(在位847-61)の時代に建設された。建設の監督を務めたのは、ウズベキスタンのフェルガナ出身のイスラム教徒の技術者、アフマド・イブン・ムハンマド・アル=ファラーガーニー。この施設は、アスワン・ハイ・ダムが建設されるまで、ナイル川の増水レベルを測定するために使用されていた。
構造は3層からなる井戸で、最下層は円形、その上が正方形の層、さらにその上がより大きな正方形の層となっている。
東側には3本のトンネルが通っており、川とつながっている井戸の中央には、八角形の断面を持つ大理石の柱が立っている。柱の長さは約19キュビットあり、理想的な水位は16キュビットとされていた。また、井戸の内部には、底まで続く階段が壁に沿って巡らされているという。
使用されていた頃は思いのほか水位が高かった。


この柱頭と柱身について説明パネルは、この柱の頂部にはローマ様式の柱頭が載っており、柱の根元はイチジクの木(シカモア)で作られた台座、さらにその下の石の台座の上に据えられているという。
柱頭はコンポジット式(イオニア式の渦巻形にコリント式のアカンサスの葉を組み合わせたもの)のようで、どこかにあったものを転用したのだろうか。しかし、柱頭と柱身の石の質感が似ていて柱頭まで丸彫りされているようにも見えるので、アッバース朝期につくられたものかも。
柱身は縦溝の両側に5本ずつ交互に刻まれている。

上から見るとアカンサスの葉がキノコのよう。



説明パネルの図解

柱の上部には、クーフィー体のアラビア文字が刻まれた木製の梁(つなぎ梁)が渡されているという。
この梁で円柱が傾かない様になっているのだが、真っ直ぐ写さなかったので傾いて写ってしまった。


各部の建築装飾

植物文様だけでなく小さなアラビア文字の層もある。



見学が終わろうとした頃突然何かが落ちて下へ下へと転がっていった。

諦めるしかないよねと思っていたら、

それを拾いに管理人が現れて、拾いに下りて行ってくれた
。しかも軽々と音を立てずに、

撮影も間に合わないくらいの素早さで、


お~、もう最下部までいっている。


一番低い円形の底に下り立ったかと思うと、


すぐに落とし物を見つけて上り返す。

上りでもスピードは落ちない、


私なら手すりが無ければ下りられない、この階段の急傾斜。


ちゃんと拾って素早く上がってきた係の方、ご苦労さまでした。
こんなところにレンズフードを落とした犯人は誰あろうこの私でございます😓