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エジプト旅行の記事を始めます。 興味を惹かれたものについての詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2026年10月2日金曜日

ギザ スフィンクス


『神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書』(以下『エジプトの教科書』)は、カフラーの河岸神殿から葬祭神殿へ向かう参道北の石切場に建つ大スフィンクスは、異なる3層のモカッタム累層という岩盤を削ってつくられたという。
カフラー王の河岸神殿を見終わると同じ出入口から外へ。そして全体が見渡せるところから河岸神殿とスフィンクス、その前の低い壁のところがスフィンクス神殿を眺めたのだが、眺めている所は当時ナイル川だったところ。

カフラー王のピラミッドから参道を通ってスフィンクスを見にくる人たちが結構いる。
我々は別の入口からスフィンクスを間近で見学。

幸いなことに北側からスフィンクス神殿の中がよく見えた。スフィンクスに捧げる供物台が並んでいるのだとか。

『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』(以下『図説古代エジプト1』)に東側から撮影した写真があった。現在は見学できないので貴重なものだけれど、どれが供物台か分からない。立てた石板の前に供物を捧げていたのだろうか。
ギザ スフィンクス神殿内部 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より


スフィンクスに近づいていく。

足の指が入りきらなかったがこの辺りは切石による補修で、スフィンクスの胸は砂と風で風化した石灰岩。こんな風に凹凸があるのは、柔らかい層と硬い層が積み重なったから。それをモカッタム累層と言うそうな。

そして正面から。
『エジプトの教科書』は、胸部にあるのはあごひげを支える柱跡。あごひげが建造時につけられたのか、あるいは後に追加されたのかは不明で現在も議論が続いているという。
足の間にあるのは碑文と手前の供物台(ローマ時代のもの、同書より)

やっぱり鼻がないので妙な顔に見える。
同書は、鼻の破壊はイスラム教徒によって14世紀頃に行われたと考えられ、大スフィンクスの鼻を落とした張本人とされるナポレオンの訪問時にはすでに破壊されていた。目的は不明だが、鼻と鼻柱、鼻穴の3方向から長い棒を打ち込み、顔から引きはがす方法で破壊された。額にはうっすらと赤い部分があり、色が塗られていたことがわかるという。
ナポレオンではなかったんや。ネメス頭巾の浅浮彫の縞々は風にさらされずに残っている。

この碑文は、第18王朝初期の王トトメス四世が、夢の中に現れたスフィンクスの物語が記されている。

夢の碑文の図解 説明パネルより
台座の上に左右対称に坐るスフィンクス。トトメス四世の頃は首のまわりには飾りか鬣があったのかも。
『エジプトの教科書』は、寄進物で最も有名なのは大スフィンクスの足元の「夢の碑文」である。王子だったトトメス四世が狩りの途中に大スフィンクスの日陰で眠っていると、大スフィンクスが夢枕に立ち「我は汝に王権を授ける。我を掘り起こすのだ」と告げた逸話が刻まれる。王朝後期には、王が死後、冥界神オシリスになるというオシリス信仰から、大スフィンクス側面にオシリス像が建造されるようになったという。


続いてスフィンクスを間近に見ながら一周した。

ネメス頭巾の下部もかなり削られている。

前肢の後ろの壇にあったというオシリス神の冠部分

尾は体に沿いながら後肢の手前から上方へ。その先は残っていない。

後ろ側に回って尻尾を追う。



尾の付け根はこの辺り


ほとんどが切石で何度も補修されていて、腰から腹部ににかけて以前の補修がむき出しになっている。後肢に妙なものが付け加えられているような。

左後頭から肩にかけて
小さな穴には鳥が巣を作っているのでは? 補修石の間ならともかく、元の岩にはつくらないでね。


スフィンクスの周りを一周してきた。余りにも近すぎて補修部分ばかり見えたような気がするんですが。
『エジプトの教科書』は、大スフィンクスは、ギザのピラミッドと太陽信仰の聖地ヘリオポリスとの結びつきの象徴として、ピラミッド複合体の最後に組み込まれた。しかし、この壮大なプロジェクトは頓挫し、崇拝されることのないまま大スフィンクスとスフィンクス神殿は、約1000 年にわたって捨て去られていたという。

斜めから見上げるとあごひげを支える柱跡というけれど、顎髭にしては長過ぎるような。


『エジプトの教科書』は、スフィンクス神殿に、大スフィンクス周辺の石が使われたことが地質学的な構成物の違いで証明されているという。
スフィンクスに気を取られていたので、その周壁の地層を見ていなかった。
『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』は、大スフィンクスの真後ろにある石積みの部分に、古い時代の降雨によるものと思われる浸食の跡が残されているという。
これがモカッタム累層! スフィンクスの上部に残っているミルフォイユ状(mille-feuille) 
のものよりもずっと大きな地層。これなら大きな石材が取れるわ。
老いの繰り言ですが、mille-feuille  は日本ではミルフィーユと呼ばれていけれど、ミルフィーユと聞くと mille filles つまり千人の少女たちになるので、婆さんとなった今でも、聞く度に違和感を覚えますねん。
モカッタム累層の浸食 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より


この特別見学はここでは終わらない。トトメス四世の父アメンヘテプ二世(前15世紀、第18王朝期)が建立した礼拝堂にも入場できる。
『エジプトの教科書』は、新王国時代、アメンヘテプ二世は「ホルエム・アケト〈地平線のホルス〉」の化身として大スフィンクスを祀る礼拝堂を建造した。これは増長するアメン神官への反発と王位の復活を意図したもので、以後、王は治世初年にこの礼拝堂を参拝し、新たな建造物を寄進することが通例となったという。


いつもながらの下手な写真
『エジプトの教科書』は、新王国時代、アメンヘテプ二世は「ホルエム・アケト〈地平線のホルス〉」の化身として大スフィンクスを祀る礼拝堂を建造した。これは増長するアメン神官への反発と王位の復活を意図したもので、以後、王は治世初年にこの礼拝堂を参拝し、新たな建造物を寄進することが通例となった。寄進物で最も有名なのは大スフィンクスの足元の「夢の碑文」である。王子だったトトメス四世が狩りの途中に大スフィンクスの日陰で眠っていると、大スフィンクスが夢枕に立ち「我は汝に王権を授ける。我を掘り起こすのだ」と告げた逸話が刻まれる。王朝後期には、王が死後、冥界神オシリスになるというオシリス信仰から、大スフィンクス側面にオシリス像が建造されるようになったという。

両側に残るカルトゥーシュは
誰のものか全く分からない。



次の門へ。

上部

その下の角柱の途中にアメンヘテプ二世のカルトゥーシュがあった。

その門をくぐって左を向くと別の部屋があった。この角柱の付け柱にもアメンヘテプ二世のカルトゥーシュがある。この列柱室に入るとカフラー王のピラミッドは見えるけれど、正面にはスフィンクスは見えないので左側を向く。(入る時間がなかった)

ここにも列柱室があったが、当時はナイル川が見えていただろう。





参考文献
「神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書」 河江肖剰監修 2023年 ナツメ社
「図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇」 仁田三夫編 1998年 河出書房新社

参考にしたもの
現地説明パネル