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エジプト旅行の記事を始めます。 興味を惹かれたものについての詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
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2008年6月28日土曜日

4日目-9 高速バスで大邱(テグ 대구)へ

 
昨夜、今日の午後大邱に移動してからの予定をどうするか話し合った。予定としては大邱北方の八公山にあるカッパウィという山の上にある石仏を見に行くことにしていた。しかし、南山で充分だという気もしたし、1時間登って1体の仏像を見るというのもしんどいかな。おっちゃんの疲労も心配だったので、大邱の市街地にある達城の城壁でも歩いてみようということになった。
という訳で、慶州出発は12:30でなくても良くなった。路西里古墳群を見終わって12:05。
お昼を食堂で食べる? 
いや、コンビニで何か買って、バスで食べよう。今から銀行に行こう 路西里と路東里の間の道は鳳凰路というらしい。その道を北へ。地図では2つほど交差点を過ぎると大邱銀行があるはずだったが、それはある程度広い道らしく、市街地の細い通りを何度か越して広い通りに出た。通りを渡るのも一苦労。1つ西の信号の方が近いのでそこまで行く。大きな交差点で、なかなか青にならない。やっと大邱銀行で両替。同じ信号を渡ったが、この東西の広い通りは慶州駅からのびている通りだと後でわかった。
そのまま太宗路まで南下するのだが、歩道にはおばちゃんが野菜を売る小さなお店がびっしりと並んでいて、除けながら通った。急いでいなければ、写真を撮りながら、果物でも買いたかったなあ。
太宗路まで出て右折。途中でコンビニ25を見つけて停まったらおっちゃんはそのまま行ってしまう。
自転車を返してからにしよう
すぐそこの高速バスターミナルの外側にあるレンタサイクル屋にいくとおやじがいた。自転車を返して引き返す。
コンビニにはおにぎりなども売っていたが、パンにした。ジュースなども買って高速バスターミナルへ。 切符売り場には朝荷物を預かってくれたおばちゃんはいなかった。
トンテグボストノミル
指で2を示す。おばちゃんが何か言った。ホームの番号らしい。指で聞くと1番らしい。
13:00発のチケットだった。座席指定で、10・11。1人3.700W。
そして荷物をもらいに事務所に行く。
アンニョンハセヨ
きっとコニチワとか、コニャニャチワ風に聞こえているんだろうなあ。荷物を指さして引き取る。
カンサハムニダ
何度も言っている内に、カンサは感謝ではないかと思うようになった。 1番ホームに行くと、もうバスに乗り込んでいる。我々はチケットを出して、荷物をトランクルームに入れてもらい、乗り込んだ。
席に着くと早速食事。定時に発車する頃には食事は終わっていた。 慶州インターから高速1号線を通って東大邱高速バスターミナルへ、約1時間のバス移動となる。今回の旅行は移動時間が短いので楽だ。川沿いの道を走ったが、すぐに五陵の傍を通る道に入った。蚊川を渡ると五陵の中にピクニックに来た人たちが見える。
五陵を過ぎて右折したところで不意に吐き気がした。乗り物酔いではないし、お腹に来る風邪でもない。大邱まで1時間もつだろうか、と思った瞬間戻してしまった。その一瞬前に網ポケットにあった黒のビニル袋を手に取っていたのが幸いだった。しかも、この袋は備え付けではなく、前の乗客が網ポケットに入れていたものなのだ。運が良かったと言わねばなるまい。 高速に入って日本と変わらない景色を見たり、ビデオに撮ったりした。時には眠っていたが、後でおっちゃんはものすごくしんどそうな表情をしていたと言った。自分ではなんともなかったのだが。東大邱ジャンクションから55号線に入る。大邱はどんな街だろう、13:33。 慶州よりはずっと大きな街のはずだった。我々は利用しないが、KTXという韓国の新幹線が停まるのが大邱駅ではなく東大邱駅らしい。だから東大邱は新しい中心地になっているようだ。
高速バスターミナルも東大邱にある。そして、これから2泊するホテルはそのバスターミナルから2㎞くらいのところにあるし、カッパウィ行きのバスが出ている東部市外バスターミナルにも近いのだった。 何時に東大邱高速バスターミナルに到着したのかよく覚えていない。到着してバスを降り、我々のスーツケースが出てくるのを待っている間に、向こうでおばちゃんがポリペールのゴミをまとめているのが見えた。
さっきの黒い袋を捨てさせてもらおう。スーツケースを引いてポリペールへと歩きかけた途端にまた吐き気がしてきた。スーツケースを置いて駆け寄ってポリペールに吐いてしまった。とてもトイレを探す余裕はなかった。おばちゃんには悪いが、ゴミ袋があって不幸中の幸いと言えよう。
おばちゃんはびっくりしていたが、どこかに行ってしまった。私がトイレットペーパー(いつもリュックに入れている)でポリペールや袋を拭いていると、おばちゃんがいいよ、いいよという身振りをしたので、そのままにしてしまった。「こんにちは」「ありがとう」以外に「済みません」くらい覚えておくべきやね。
カンサハムニダ
と言うしかなかった。
タクシーを探そう
タクシーは通りに出ると列を作っていた。先頭まで行くとおばちゃんの運転手だった。スーツケースがあるのがわかってもタクシーから降りもせず、トランクを開けるだけ。おっちゃんが入れるが1つしか入らない。助手席のドアをおっちゃんが開けてもう1つを入れた。
グランドホテル
グランドホテル?左折せずにそのまま直進する。どうも地図と違うと思ったら途中でUターンした。前の車もそうしていたので、そういうルールなのだろう。広い通りに戻って右折。しばらく走ってホテルに着くと道路に停まる。ホテルまでは入らない。 2.800W
ホテルからベルボーイが2人走ってきて荷物を出してくれた。
小銭は再両替できないので増やしたくないということが頭にあったので、小銭を探している間にメーターが上がり、2.900Wになった。結局3.000Wでお釣りをもらう。
おっちゃんは怒ってお釣りを200W出させたが、荷物の出し入れを手伝いもせずに、その上停まってもメーターも上げないとはと長々と怒っていた。私は具合が悪いので10円程度のことでもめんといてほしいと思ったが。

2008年6月27日金曜日

4日目-8 路西里古墳群は瑞鳳塚(ソボンチョン 서봉총)と金冠塚(クムクァンチョン 금관총)しかわからない


路西里の入口へと向かっていると、柵の向こうに削られた古墳が見えた。 
説明板は、ここ路西洞の広い平地には規模の異なる古墳が10基余りある。路東里の鳳凰台古墳とときにその規模において双璧を成す第130号の古墳をはじめ1921年偶然金冠が出土され、人々を驚かせた金冠塚、1926年スウェーデンの皇太子クスタフ・アドルフ6世が発掘調査に参加して金冠が出土された瑞鳳塚、1946年高句麗の広開土王の名字が刻まれた青銅器が発見され、新羅の古墳に対する年代の推定に参考となった壺杵塚、その他、銀鈴塚、双床塚、馬塚などがある。これら古墳のなかで大抵封墳(盛り土をして作った墓)が大きいものは積石木槨墳であり、小さいものは石室墳と竪穴墳である。1984年の新羅古墳の整備・保存事業の一環として、民家を移転して現在のような形にしたという。入口を入ると、さっきの古墳が違った形で見えた。これが金冠塚らしい。これが円墳だった時にはかなり大きなものだったのではないだろうか。こんなに削られても金冠だけでなく金製品や馬具など豪華な副葬品が残っていたのは積石木槨墳だったからだろうが、豪華なものを副葬することがなくなってしまった時代には、ただの塚としか思われず、宝物が埋められていることすらわからなくなっていたのだろう。
金冠塚の出土品についてはこちら そして向こうの大きな古墳の前には一段高くなったところがあるが、これが瑞鳳塚。わかりにくいが、平面が瓢箪形の古墳である。瑞鳳塚の副葬品も国立慶州博物館で見た。瑠璃色のガラス杯や釧・首飾りなど。瑞鳳塚だけ黒い石碑があった。
瑞鳳塚の出土品についてはこちら ここにも瓢箪形の古墳がある。名前はわからない、未発掘。隣に緑の輪っかがあるようにも見えるなあ。円墳があったのかも。 瓢箪形古墳の右に見えた小さな円墳は、近づくと石碑があったが、ハングル文字でわからなかった。未発掘の古墳。
一応西端まで行ってみたはずだが、瓢箪形古墳の裏にある小さな馬塚は写真に撮っていない。残っていないのかも。 瓢箪形古墳の東にある小さな円墳で未発掘。2つの間に小さな塚が見えるのは、銀鈴塚か双床塚かも。こんなところの木陰にも休んでいる人がいる。 そしてこれが鳳凰台と双璧を成す大きさという第130号墳で未発掘。 場所が確認できなかった壺杅塚の出土品についてはこちら 

2008年6月26日木曜日

4日目-7 路東里古墳群には金鈴塚(クンリョンチョン 금령총)と飾履塚(シッリチォン 식리총)


大陵苑は南側に出口があるので、太宗路を挟んで向かい合っているとはいえ、路東里路・西里古墳群に行くには、大陵苑を回り込まないと行けない。
出口から塀に沿って行ってみよう
土産物屋や食堂街を通り抜けたと思ったら、崇恵門というのがあった。説明板は中国語だった。適当に読んでいくと、崇恵殿は新羅で金氏最初の王13代味鄒王(大陵苑に陵墓)から、三国統一して新羅最後の王となった文武大王(感恩寺建立、海中陵)までの位牌が安置されているのだそうだ。 できるだけ大陵苑の塀に沿った方が良いと思って、ある通りを右に曲がると、塀はなく、空き地に入り込んでしまった。そこには3匹の番犬がいて、一斉に吠えかかるので、早々に退散。すると、細い入り組んだ通りに入り込んでしまった。このあたりは1軒1軒白い塀に囲まれているので見通しがきかない。
ある通りで小さな銀行があった。市街地の銀行で両替をする予定だったので、ここで両替できれば時間の節約になる。おっちゃんは入って行った。
大きい銀行へ行ってくれと言われた
信用金庫みたいなところやったかもね
その後左折・右折を繰り返したところで大きな通りに出た。その通りを北上するとまもなく太宗路に行き当たった。こんな風に迷いながら行くと街の印象が強く残りますなあ。写真に撮る余裕はなかったけど。通りを挟んで古墳群が見える。ここで太宗路を北側に渡る、11:50。 自転車を置いてまず路東里古墳群から見学。説明板は、この古墳群は慶州の月城を中心として、西から北東側に分布している多くの新羅の古墳のなかで、西北側の端に位置している。ここは真ん中にある道路を境界にして路東里・路西里の古墳群とに分かれている。路東里古墳群には古墳1基と古墳跡2基がある。北側にある古墳は円周250m、直径82m、高さ22mの韓国で最も大きい規模であり、鳳凰台とも呼ばれる。南側には1924年に発掘調査した金鈴塚の跡と、飾履塚の跡があるが、内部の構造はみな積石木槨墳である。ここから金冠や陶製騎馬人物像をはじめ、多くの副葬品が出土されたという。遺跡に踏み込んだものの、暑いので唯一の木陰から眺める。左側に大きな古墳がある。大きな古墳に大きな木が生えているなあ。 前方には2段の盛り上がりがある。向こうの小高い方が飾履塚、こちらの広く平べったいのが金鈴塚、出土品で名称が付いている。そして、その手前に緑の線が弧を描いている。きっと我々がいるところにも古墳があったのだろう。 飾履塚はそんなに大きくはない。文字通り飾履が出土した。 金鈴塚の方が面積でいうと広い。 金鈴のほか、騎馬人物土器が出土した。向こうに見えるのは大陵苑の太宗路に近い瓢箪形の古墳。遺跡公園に整備するのか、歩道を付け替えているのか工事中だった。鳳凰台を一回りしてみる。 路東里と路西里の間の道に出た。鳳凰台(ボンファンデ 봉황대)は未発掘という、12:01。
金鈴塚・飾履塚の副葬品については路東洞路西洞の平たく削られた古墳から豪華な副葬品1をどうぞ

2008年6月25日水曜日

4日目-6 大陵苑(テヌンウォン 대릉원)で皇南大塚から味鄒王陵へ


皇南大塚を池越に眺めながら通っていたら、藤棚だったか忘れたが、日陰になっているところがあって、数人がそこでくつろいでいた。我々ものんびりと涼むことができるようなったりとした旅がしたかったなあ。それにしても、慶州は遺跡の多い街(遺跡の中に街があるとも言われる)だが、遺跡や観光地でのんびりできるようにできている。

皇南大塚は巨大過ぎて近づくと全体を写せない。順路は皇南大塚をぐるりと廻りこむようになっていた。 太宗路に沿った北側の塀には、大陵苑の敷地内から出土したと思われる礎石などが並んでいた。おそらくこのような平らな所には、新羅時代には小さい古墳が並んでいたのだろう。小さいので崩すのも簡単なため、後世に整地をして建物を建てたとしても不思議ではない。なんせ、慶州の平野部のど真ん中に古墳群があるのだから。
塀は一部柵になっている。それで太宗路を通っていると大陵苑の中が見えたんや。 向こうに皇南大塚と比べるとずっと小さな古墳が見えてきた。道はこの先右カーブになっている。 あの瓢箪形古墳、何回も見たね
皇南大塚とは別の古墳じゃったね
結局太宗路を通る時にタクシーから見ただけだった。26日に慶州に到着してホテルに向かう時と、27日に大陵苑の東側へ左折する時。近づくことはできなかったが、あれが皇南大塚ではないことがやっとわかった。 これくらい小さくなると家臣とか、親族の古墳やろかやっと皇南大塚が見えなくなった。天馬塚へ続く広い通路と合流したら、向こうに仙桃山が見えた。 それにしても、珍しいとばかり思っていた瓢箪形の古墳はざらにあるのだった。 いつの間にか松林の中に入っていた。根本を見ると小さな塚があちらにもこちらにもある。 そして柵に囲まれた大きな古墳が見えてきた。味鄒王陵だ。 ここにも礎石がある。四角い石の上に円形を造り出している。入口に戻ったのは11:36。

皇南大塚については、皇南大塚のような双円墳は夫婦合葬墓慶州、皇南大塚の謎味鄒王陵地区古墳公園(大陵苑)に異国の煌めきをどうぞ

2008年6月24日火曜日

4日目-5 大陵苑(テヌンウォン 대릉원)で味鄒王陵から天馬塚

説明板は、皇南里古墳群の一部は大陵苑の区域内にある新羅時代初期の墓である。大きいのは積石木槨墓墳で、その周りは盛り土のなくなった小さい墓があった。大陵苑のなかには味鄒王陵と伝えられているものをはじめ、天馬塚、皇南大塚などがあるという。 正門を入ると林の中に道がある。すぐに右へ分かれ道があったので、行ってみると味鄒王陵(ミチュワンヌン 미추대왕)が塀の向こうに見えた。小さな王陵かと思っていたら、かなり大きなものだった。説明板は、古墳20基余りの中で中央にある古墳は第13代味鄒王(在位:262-284)の陵である。味鄒王は金閼智の後裔として、金氏では最初の王である。王陵の規模は円周56.7m、高さ12.4mで、慶州市内の平地古墳の中でも大型墳に属しており、内部構造は積石木槨墓墳であると推定される。陵の前には花崗岩で造られた魂が泊まる場所という意味の魂遊石があるという。えー、供物台やなかったんや。横に廻ると塀が切れている場所があり、そこから魂遊石が見えた。 順路に戻ると両側に名前もない古墳が次々に現れる。どれも大きいので迫力がある。大陵苑の芝生はまだ芽が出ていない。 新羅初期の陵墓は形がきれい。写真を撮りながら歩いているので、後ろから来た団体に次々と追い越される。向こうを回って帰るんや。売店があったが、まず天馬塚や!向こうの大きな古墳が天馬塚? 向こうに人混みが見えてきた。 やっぱり天馬塚(チョンマチョン 천마총)。慶州で唯一内部を見学できる積石木槨墓のため、行列ができていた、11:02。 天馬塚は、歩揺冠は騎馬遊牧民の好み?で金冠、壺鐙は新羅から?で輪鐙という副葬品を図版で見ていた。一昨日は国立慶州博物館でさまざまな副葬品を見た。そして天馬塚の広い内部には副葬品のレプリカや、墓室の様子が再現されている。
我々が内部を一周して、最初に日本語の説明を聞くグループがいて見られなかったところに戻ると、今度は小学高学年の生徒たちが入ってきた。そしてまた、古墳のレプリカよりも我々に関心を示す。
こんにちは
コニチワ、コニチワ
口々に日本語で返ってくるのだが、「nni」が「ンニ」にならずに、なんで印欧語族のように「ニ」になるんや。日本語も韓国語も同じウラル・アルタイ語族やないの?

天馬塚からは時計回りで見学を続ける。池の向こうには巨大な瓢箪形の皇南大塚が見えた。さっきは右のコブが別の方向から見えていたことが、ここから見てやっとわかった。 
天馬塚については、積石木槨墓の構造は慶州天馬塚で慶州天馬塚の金製品慶州天馬塚の冠飾慶州天馬塚の金冠慶州天馬塚で出土した金製附属具は内帽の揺帯?をどうぞ
皇南大塚については、6 大陵苑(テヌンウォン 대릉원)で皇南大塚から味鄒王陵へ皇南大塚のような双円墳は夫婦合葬墓慶州、皇南大塚の謎味鄒王陵地区古墳公園(大陵苑)に異国の煌めきをどうぞ