お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2008年6月25日水曜日
4日目-6 大陵苑(テヌンウォン 대릉원)で皇南大塚から味鄒王陵へ
皇南大塚を池越に眺めながら通っていたら、藤棚だったか忘れたが、日陰になっているところがあって、数人がそこでくつろいでいた。我々ものんびりと涼むことができるようなったりとした旅がしたかったなあ。それにしても、慶州は遺跡の多い街(遺跡の中に街があるとも言われる)だが、遺跡や観光地でのんびりできるようにできている。
皇南大塚は巨大過ぎて近づくと全体を写せない。順路は皇南大塚をぐるりと廻りこむようになっていた。 太宗路に沿った北側の塀には、大陵苑の敷地内から出土したと思われる礎石などが並んでいた。おそらくこのような平らな所には、新羅時代には小さい古墳が並んでいたのだろう。小さいので崩すのも簡単なため、後世に整地をして建物を建てたとしても不思議ではない。なんせ、慶州の平野部のど真ん中に古墳群があるのだから。
塀は一部柵になっている。それで太宗路を通っていると大陵苑の中が見えたんや。 向こうに皇南大塚と比べるとずっと小さな古墳が見えてきた。道はこの先右カーブになっている。 あの瓢箪形古墳、何回も見たね
皇南大塚とは別の古墳じゃったね
結局太宗路を通る時にタクシーから見ただけだった。26日に慶州に到着してホテルに向かう時と、27日に大陵苑の東側へ左折する時。近づくことはできなかったが、あれが皇南大塚ではないことがやっとわかった。 これくらい小さくなると家臣とか、親族の古墳やろかやっと皇南大塚が見えなくなった。天馬塚へ続く広い通路と合流したら、向こうに仙桃山が見えた。 それにしても、珍しいとばかり思っていた瓢箪形の古墳はざらにあるのだった。 いつの間にか松林の中に入っていた。根本を見ると小さな塚があちらにもこちらにもある。 そして柵に囲まれた大きな古墳が見えてきた。味鄒王陵だ。 ここにも礎石がある。四角い石の上に円形を造り出している。入口に戻ったのは11:36。
皇南大塚については、皇南大塚のような双円墳は夫婦合葬墓・慶州、皇南大塚の謎・味鄒王陵地区古墳公園(大陵苑)に異国の煌めきをどうぞ