お知らせ

エジプト旅行の記事を始めます。 興味を惹かれたものについての詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
ラベル 東トルコの旅 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 東トルコの旅 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年5月16日水曜日

7日目10 イスタンブールへ

アギア・ソフィア聖堂を見学して東トルコの旅は終わった。
海岸道路沿いの新しいショッピングセンターで自由時間。その後近くのレストラン、ヌハト・ウスタ Nihat Ustaで夕食。
上:いろんな種類のパンを4名くらいで取り分けた。末っ子のおっちゃんは、素早くお昼にも出てきた黄色いトウモロコシ・パンをゲット。
下:サラダとピラウ。手が伸びるのはサラダの方。
上はスープと飲み物。今風のショッピングセンターのレストランなのに、驚いたことにアルコールがないのだった。飲まない私はどうでもよいが、おっちゃんは残念そう。仕方ないので、杏ジュースと李ジュースにした。色はほとんど見分けがつかない。
下左:メイン。これで一人分、大きなキョフテが5つ、フライドポテトに松の実入りピラウ、そして何よりも大きな青ピーマン!辛い!!
下右:デザートはブルマ・カダイフ Burma Kadayifとバクラワ Baklava。トルコのデザートの甘さに慣れた頃、旅は終わる。 
空港はショッピングセンターの近く、やっぱり海岸沿いにあった。
日の長い時期だったが、飛び立つ頃には闇に包まれて、黒海は見られなかった。
イスタンブールに到着後、マルマラ海沿いの道路を通ってスルタン・アフメット地区まで来た。
途中、海岸側にシェラトン・ホテルを発見。昔は新市街にあった。30数年前に泊まったホテルだが、次ぎにイスタンブールに来た時に取り壊しているのを見て月日の流れを感じたものだ。シェラトンはイスタンブールではなくなってしまったと思っていたが、その10数年後の今では、ボスポラス・ビューよりも利便性を取ったのか、空港に近い場所に建っている。マルマラ・ビューではあるけれど。

ホテル近くまでバスは入り込めないため、深夜のイスタンブールを歩くことになった。ライトアップされたアヤソフィアのミナレットや、このブルーモスクのミナレットの周りを、大きな鳥が飛び交っているのが異様だった。
翌朝ホテルの屋上に行くと、カモメ(矢印)がいて、昨夜飛んでいたのがカモメだとわかった。
近くにいるのは1匹だけではない。
左を向けばアヤソフィアとトプカプ、
前を向けばブルーモスクとアジアサイド。ここからは6本のミナレットが全部見える。
旧市街を観光するなら、部屋や設備が少々旧式でも、この地区のホテルが便利。
皆さんはまぶしいといって建物の中で食べていたが、せっかくなので、我々はテラスで朝食を。
ゆっくりと食事をしていると、カモメたちは段々と我々のテーブルに寄ってきた。
どうもホテルの客は朝食の一部をカモメに与えるらしかった。
動物は好きだが、野生の動物に食べ物を与えたり、食べている所に近づかれたりするのは好きではない。
振り向くと背後の屋根にカモメが迫っていた。
ヒッチコックの「鳥」ほどの不気味さはないが、エサを投げないとテーブルに向かってきそうな雰囲気だった。
何とも思わないおっちゃんは、飲み物を取りに建物の中に入っていった。

ということは、カモメに囲まれて私は一人!



それを待っていたように、正面にいたカモメがテーブルの方に飛んできた・・・










とっさに手で払うと、今までそんなことされたことがないらしく、驚いて飛び去った。ガラスのフェンスに足を引っかけながら。
数十年も生きていると、恐いものはどんどん少なくなるもんだ。


続きは「イスタンブールを歩く」の2-1 スレイマニエ・ジャーミイへ1 グランド・バザールを通ってです。

2012年5月15日火曜日

7日目9 トラブゾン、アギア・ソフィア聖堂3 外壁にはセルジューク朝の装飾

西ポーチから外に出る。
西ポーチは両側の壁面に大きなアーチが渡っている。その柱頭がビザンティンらしくない。どちらかというとイスラームのムカルナスっぽい。柱頭の下にはミフラーブ状の壁龕があり、その頂部にもムカルナスがある。しかし、これがマッカの方向を示すミフラーブなら、方角が違う。東トルコでは南にミフラーブが置かれるはず。
一番目立つのは2つの柱頭だ。これもムカルナスだが、基部にはアカンサスの葉がある。ビザンティン時代の柱頭を後のイスラームがムカルナスに変えたにしては細長すぎる。
『Trabzon The Frescoes of the Hagia Sophia』は、セルジューク朝様式のムカルナスという。
創建時すでにこの形を採り入れていたようだ。
南から東の後陣を回ってドームを見上げる。
同書は、グルジア風の円錐ドームという。最初に見た時のドームは半球ではなく、12面の平たい円錐ドームだった。
古い時代の小さな聖堂跡。
北ポーチのタンパンにもイスラーム風の浮彫がある。
星形と円花形装飾だという。
上は5点星と卍を繋いでいったような組紐文様、下は10点星の組紐文様。
北側に目を移すと黒海が広がっている。
コムネノス朝の城壁の外に建立されたというが、ほとんど海岸だ。
鐘楼のところまで戻ってきた。
内部は15世紀の壁画が残っているという。
アギア・ソフィアは建物としては小さいが、敷地内には石碑のようなものが立っていたり、壁にもたせかけていたりした。
これはビザンティンの人々の墓石だろう。
こちらはイスラーム風の墓石。
一つ一つゆっくりと見て回りたかった。

※参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」益田朋幸 2004年 山川出版社
「Trabzon The Frescoes of the Hagia Sophia」ísmaíl Köse Alí Ayvazoĝlu, Ayasofya Müzesi Yani

2012年5月14日月曜日

7日目8 トラブゾン、アギア・ソフィア聖堂2 西ナルテクスの壁画

西ナルテクスへ入ると、まず、今までどこにも見たことのない鮮やかな色のジグザグの帯が目に入った。その帯は交差ヴォールト天井を中心からそれぞれの隅に広がってる。
交差ヴォールトとこの帯とで、天井の曲面が複雑さを増している。
ナルテクスに残る壁画とその位置図(『世界美術大全集6ビザンティン美術』より)
以下の説明は『Trabzon The Frescoes of the Hagia Sophia』より(引用箇所はこの色で示しています)

⑦4福音書家とその象徴、それぞれが聖書を持っている。
上から時計回りに。
ルカ:牡牛、犠牲と奉献と強さの象徴
ヨハネ:ワシ、空の象徴、そして太陽に向かって真っ直ぐに見ることができると信じられている
マルコ:ライオン、勇気と王室の象徴
マタイ:人または天使、人間性と理性の象徴
⑧身廊側の壁面
一番上のアーチ型の区画:受胎告知
マリアの下:キリストと新約聖書、左上のICと右上のXCはどちらもキリストを表す
『世界歴史の旅ビザンティン』は、この聖堂の壁画は、中期と後期のビザンティン美術を橋渡しする存在といえよう。「神殿における12歳のイエス」のイエスや「受胎告知」の大天使ガブリエルなどの衣には、12世紀末のマニエリスム的な誇張の名残が見られるという。
右のマリアの衣服にはそれが見られない。人物によって衣服の表現を使い分けている。
一方各場面に描かれた建築物の構成や人物の配置には、三次元的な空間を表現しようとする意欲が見られ、コーラ修道院などを予告するという。
確かに、マリアの背後の建物や干すの場面の建造物には立体感がある。
そして、5色の石を積み上げたようなジグザグの帯もまた、立体的に見えるように描かれている。
⑨北ヴォールト天井
奥のアーチ型の区画:悪魔に心を奪われた子供が地面に横たわり、その母がキリストに救いを求めている。キリストの背後の人物は父親だろう。
左壁上:神殿で教えるキリスト
毎年キリストの両親は過ぎ越し祭にエルサレムに行った。12歳の時、マリアとヨセフは帰途についたのに、キリストはまだエルサレムにいた。マリアとヨセフが探しに戻った3日後、神殿の中庭でキリストを見付けた。キリストは教師たちの中にいて、話を聞いたり、質問をしたりしていた。
左壁下:生まれつき目が見えない男の目を開けるキリスト
洗礼
残念ながらヨルダン川が見えない。
背後の岩山の表現も、誇張されているようでもあるし、三次元的な表現のようでもある。
右壁上:キリストの最初の奇跡、水をワインに変える、カナの婚宴
テーブル中央で、ワインはなくなったが、ワイン壺は6つあるとマリアから耳打ちされるキリスト、そして左端でワイン壺に水を満たすよう指示するキリストと、異時同図になっている。
⑩南ヴォールト天井(写真の色や明るさの違いは、カメラの違いによるものです)
奥のアーチ型の区画から右壁:5000人に食糧を与える
群衆が食べ物を求めているのに5個のパンと2匹の魚しかないと使徒たちが言った。キリストは草の上に座るよう言って、その手からパンと魚を使徒たちに渡し、使徒たちが人々に渡していくと、全ての人は食物を食べることができた。
左壁上:水上を歩くキリストと嵐を収めるキリスト
左:5000人の人々に食糧を与えた後、キリストは使徒たちをボートに乗せ、湖の向こう岸に行かせようとした。風で波が高くボートは揺さぶられた。キリストが水の上を歩いてボートに乗り込むと、風は止んだ。
右:湖の向こう岸に行こうとすると突風が起こり、ボートに波が打ち寄せ、水浸しになった。キリストは眠っていたので使徒達が起こすと、キリストは起き上がり、風を静め、波に鎮まるように言った。すると風は完全に収まった。
アヤソフィア近くの土産物屋で買ったガイドブックは小さな冊子だが、フレスコ画の様々な場面の丁寧な説明があって参考になった。
しかし、ナルテクスの天井のジグザグの帯については何も記述がない。
おそらく、彩色された複合柱を立体的に表現したものだろう。

※参考文献
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」1997年 小学館
「Trabzon The Frescoes of the Hagia Sophia」Ísmaíl Köse Alí Ayvazoĝlu, Ayasofya Müzesi Yani 

2012年5月10日木曜日

7日目7 トラブゾン、アギア・ソフィア聖堂1

『世界歴史の旅ビザンティン』は、1204年に首都コンスタンティノポリスが十字軍によって占領され、ラテン帝国が建国されると、ビザンティンの皇族、貴族は各地に亡命して再起をはかった。そのうちの一つが、黒海沿岸のトレビゾンド(現トラブゾン)帝国である。トラブゾンに残るビザンティンの建築・美術は、だから13世紀のものが多く、かつ質も高い。
首都の大聖堂の名にならったアギア・ソフィアは、トレビゾンド帝国のマヌイル1世コムネノス帝(在位1238-63)によって、おそらく1250年代に建てられたと考えられているという。
バスを降りて南西側から近づいて行った。
東に三つのアプシスをもち、西には広めのナルテクスを備えるすっきりとした形のギリシア十字式聖堂であるが、東を除く三方にヴォールト天井をもつポーチが張り出しているという。 
南ポーチから聖堂内に入る。扉口上には浮彫装飾が施され、土地柄近隣のグルジアやアルメニアからの影響を感じさせるという。
現地で買った『Trabzon The Frescoes of the Hagia Sophia』は、大ドームの要石にコムネノス帝国のシンボルである単頭ワシが東を向いて表されている。
下の浮彫の帯は右から左へと続く天地創造の物語である。
南ロシア、ウラジミールの聖デメトリウス教会(1195-1200)のものに似ているという。
南ポーチから聖堂内部へ入った。
①身廊
床の中央は立入禁止となっていて、そこには大理石や色ガラス、そして金箔ガラスで幾何学的な装飾がある。
これは コスマーティ様式と呼ばれるローマの12-13世紀の舗床モザイクだ。亡命政府とはいえ、ローマから工人たちを呼び寄せてこのような床を造ることができたのだ。
ドームにはフレスコ画が描かれていたようだが、褪色と剥落で何が描かれていたのかよくわからない。それでも、目を凝らすとキリストの右目が私を見下ろしていた。スメラでも見たパントクラトールだ。
『世界歴史の旅ビザンティン』は、メダイヨン(円形枠)の中のキリストは、左に聖書を持ち、右手で祝福の仕種をとる。「昇天」という一回限りの事象を描くよりも、普遍恒常である神の、超越的なイメージがドームにはふさわしいと考えられたものであろうという。
ドーム下の円筒部には天使、その下には12の窓、窓の間に十二使徒が描かれる。
4つのペンデンティブには、左上から時計回りに、降誕、洗礼、冥府降下、磔刑が表されている。また、壁画の剥落した部分から、焼成レンガをどのようにペンデンティブに積み上げたかが伺える。
身廊から後陣(アプス、アプシス)を眺める。壁画は僅かに残っているという程度。
②後陣前横断アーチ
キリストの昇天:アーモンド型のマンドルラの中にキリストが表される。南壁の水平方向には使徒たちで占められ、北壁の水平方向には魚の奇跡の場面が表されているという。
③玉座の聖母子
イスタンブールのアヤソフィアでは後陣には聖母子像のみ、横断アーチに大天使ガブリエルと聖ミカエルが表されていたが、ここでは後陣に描かれている。
イスタンブールのアヤソフィア後陣はこちら
ここまで、様々な青があった。同じラピスラズリの青が、経年変化でこんなにも違ってしまったのだろうか。

④後陣横断アーチ左下部
下:ティベリア湖で漁をしていたシモンとペテロなど6名の使徒たたちは何も釣れなかった。翌朝昇天後地上に戻ったキリストに彼らは気づかなかった。キリストは彼らに言った。もう一度編みを投げよ。するとあまりにも多くて網を引き上げられないほどの魚がとれたという。
上:不信のトマ。昇天後地上に戻ったキリストを信じなかったトマに、キリストは釘跡を触るように言った。触ってトマはやっとキリストの復活を信じたという。
⑤北側廊扉口上のタンパン
4人の聖人、聖サバス・聖エンティニ・聖ユティミソン・聖テオトドシアスが鮮明な色彩で描かれているという。
他のフレスコ画よりも鮮やかすぎて、最近修復されたものかと思った。
身廊からナルテクス方向を眺める。
⑥ヴォールト天井南側の壁画
最後の晩餐、半月状のテーブルには魚をのせた高坏が置かれている。

関連項目
キリスト降誕図の最古は?
キリスト降誕について

※参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」益田朋幸 2004年 山川出版社
「The Frescoes of the Hagia Sophia」Ísmaíl Köse Alí Ayazoĝlu, Ayasofya Müzesi Yani