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2026年1月23日金曜日

アナトリア文明博物館 フリギア


アナトリア文明博物館の内部は Anadolu Medeniyetleri Müzesi で見ることができます。

フリギア(フリュギア)時代について『アナトリア文明博物館図録』は、前12世紀の初めころフリギア人が、エーゲ海からの移民の跡をたどるようにして南東部ヨーロッパからアナトリアへとやって来た。首都はゴルディオンにおかれた。
残された銘からフリギア人はインドヨーロッパ系の言語を使っていた事がわかる。ギリシアの出典、特にヘロドトスによれば、フリギア人はマケドニアから出たとしているが、アッシリアの出典によるとムシュキの王ミタとされている。今日ではミタはミダスで、アッシリアのいうムシュキがフリギア人だとされているという。
「王様の耳はロバの耳」のミダス王の国。

アナトリア文明博物館の中央に石彫の大ホールがあり、ヒッタイト時代からのオルトスタットなどが展示されているが、フリギア時代(前1200-700)のものもあった。
『アナトリア文明博物館図録』は、オルトスタットにライオン、馬、牛、グリフォンやスフインクスが彫られているが、西アナトリア、後期アッシリア、 後期ヒッタイトの影響を見る事ができる。当時、フリギア人は後期ヒッタイトの工房からの影響を受けていたと考えられている。したがって、これらの浮彫は、後期ヒッタイトの彫刻芸術を目にしたフリギアの職人によって制作されたと考えられるという。
アンカラ近郊にもフリギア時代の遺跡が幾つもあって、そこから出土したオルトスタットが中央のオルトスタットギャラリーに並んでいた。

歩く馬 前1200-700年頃 安山岩 アンカラ、キュチュケヴレル Küçükevler 出土
説明パネルは、図の脚の筋肉は概略的に描かれているという。
オルトスタットが低いからだろう、スペースに収まるように横長に馬が彫られている。

90度曲がって一対の有翼の動物

左は人面の有翼のライオン 平たい帽子を被っているのか、上に続いていて帽子の一部なのかも
右は有翼のライオン 馬のような鬣にカールした毛の房

90度曲がって牡牛

その続きは行進するライオン


外回廊の一角にフリギア時代遺物が展示されていて、まず、大きなパネルに王の葬儀の様子が再現されていた。


テーブル 前8世紀末 木製 ゴルディオンの大墳墓出土
パネルで金属の坏や小さな水差しが置かれたテーブルの脚部だが、

アナトリア文明博物館図録に記載されていたテーブルの構造図
四角いテーブルなら各角に脚を付けたら良いと思うのだが。
ゴルディオンの大墳墓出土テーブルの構造図 アナトリア文明博物館図録より


嵌め込み細工のテーブル 前8世紀末 高さ94㎝ ゴルディオンの大墳墓出土
葬儀の場面に遺体の足許に描かれたもの

このテーブルの構造も複雑。

嵌め込まれた卍形や、ドーナツのような円の中に繰り広げられる連続円文のようなものなど、他にはみられない独自の嗜好が見られる。


卍形も様々。


木製のテーブルは他にもあった。

後方のテーブルは最初に展示されていたテーブルの縮小版のようだが、部材が太い。

おそらくテーブルの天板だが、ビーズ状のものは何かな


土器
同館図録は、フリギアの陶器はろくろ製だが、無地のものと多色のものと二つのグループに大別できる。金属製を模した黒や灰色の無地のものが一般的である。文様のあるものは、明るい地色に赤茶色で四角、三角、波形やジグザグ線で同心円や市松文様を描いたものが多い。中には幾何学文様で完全にうめられているものもあるし、パネルに仕切って動物モチーフを描いたものもある。フリギア人の想像力と創造性を反映した動物型のリュトンは、 先史時代からアナトリアで使われてきた酒杯の流れをくんでいるという。1

中には幾何学文様で完全にうめられているものもあるし、パネルに仕切って動物モチーフを描いたものもある。フリギア人の想像力と創造性を反映した動物型のリュトンは、 先史時代からアナトリアで使われてきた酒杯の流れをくんでいるという。
右上の水差し 中筒がある。これについてはすでに記事にした。
左中のティーポット 前8世紀初 ゴルディオンW墓出土

独特なのは鳥の形のもの。

嘴が少し開いているが、水差しには狭すぎるようだけれど、リュトン(酒坏)には大きすぎる。脚部が鳥の足と違って丸い高台になっている。


動物文の大型容器も。

黒い土器類


大角羊形水差し


カラスが三羽並んでいるような容器
中央の鳥の足の間には穴があるので儀礼用かも。

象牙細工には細かな象嵌も。

象牙細工 ウサギを捕らえた猛禽



青銅器類

大鍋 
有翼の人物が四方から大鍋の中をのぞき込んでいる。どこかで見たような・・・
説明パネルは、ゴルディオンで出土した青銅製の大鍋は、フリギア金属工芸における最も傑出した発見の一つ。これらの丸い胴体の大鍋の縁には、人や動物を模したものが装飾として施されている。
人頭の魔物で装飾された大鍋は、アッシリア美術の影響を示している。これらの大鍋はウラルトゥの大鍋と非常に類似しており、ウラルトゥから請来されたものと考えられるという。
ウラルトゥの大鍋については次回


キュベレ像
説明パネルは、フリギア人は多くの神々を崇拝していたが、人間の姿で描かれた神はただ一人。それは「母」を意味する名を持つ女神「マタル」で、碑文にはマタルはいくつかの属性とともに記されている。キュベレの語源は、おそらくフリギア語で「山」を意味する「キュベレイア」に由来するという。

フリギアの女神マタルは、常に直立し、前を向く成熟した女性として描かれる。彼女は長いドレスと精巧なポロスを身に着け、頭飾りの後ろからベールが垂れ下がっている。彼女は手にいくつかの物を持ち、それが彼女の神性を示している。それらは、飲み物を入れる杯、あるいはボウル、猛禽類、そしておそらくザクロと思われる丸い物体である。
フリギアにおけるキュベレーに捧げられた祭祀記念碑は、前9-6世紀にかけてのものという。

長衣のスカートに当たる布は左右で異なる細かな衣褶があり、傍の小さな楽士たちはそれぞれ異なる楽器を奏でている。

キュベレ像 前7世紀 浮彫 安山岩 アンカラ 、バフチェリエヴラーより発見
上のキュベレ像と異なるのは上半身の着衣にも襞が刻まれていること。簡素な造形だが、屋根の装飾が大きく表されていること。


建物のレプリカ展示
同館図録は、フリギア人は西アナトリアの伝統的形式により幾何学模様のテラコッタで屋根を飾り、床は多色のモザイクで飾った。この博物館にある最高のテラコッタパネルはゴルディオンとパザルリから出たものである。パネルには兵士、ライオンと牛の戦い、人間、鳥、馬、生命の木の両側に立つ山羊などが彫られているという。
これまでにチョルム博物館 ヒッタイトとフリギアやアラジャホユック博物館でテラコッタの鐙瓦や向かい合って生命の樹に寄りかかる草食獣、丸い盾と槍を持つ兵士などを見ていた。

丸い盾と槍を持って行進する脚の長い兵士たち

生命の樹を中央に向かい合う草食獣だけでなく、向かい合うグリフィンも。

後日フリギアの都ゴルディオンを見学しました。


                        →アナトリア文明博物館 ウラルトゥ


関連記事


参考文献
「アナトリア文明博物館図録」 アナトリア文明博物館発行の古い(1995年以前)図録

参考にしたもの
博物館の説明パネル

2016年1月18日月曜日

イスラム・ホジャ複合体1 メドレセは博物館に

㉑パフラヴァン・マフムド廟の後は㉒イスラム・ホジャのメドレセとミナレットへ。

パフラヴァン・マフムド廟のある通りの東端にはヒヴァで一番高いイスラム・ホジャのミナレットが聳えている。

『旅行人ノート⑥』は、20世紀初めに大宰相を務めたイスラーム・ホジャは、当時ロシアの保護下にあったヒヴァで、イスラム教に拠らない世俗的な学校制度の導入や、西欧式の病院の建設など当時としては急進的な改革を行った。しかしそれが保守派の反発を買い、1913年に暗殺されてしまう。これらの建物は生前の1913-10年の間に建てられたもので、ヒヴァ最後の大建築となったという。
⑲モハメド・ラヒム・ハンのメドレセにあったサイード・イスラム・ホジャの写真。
日本人にもこんな顔の人がいそう。

メドレセ正面とミナレット
ミナレットには外の階段から入るようになっている。
ファサードはモハメド・アミン・ハンのメドレセと似ていて、二階の通路が半ドームの下に造ってある。
半ドームは三面の大きなムカルナスで構成されているが、平たい正方形のタイルを曲面に貼り付けるのは無理で、一段毎に少しずつ傾斜を付けているようだ。

扉は8点星と菱形、五角形の組み合わせで、周囲の文様帯はジュマ・モスクの円柱にも見られるような唐草文。

メドレセは現在ヒヴァの民俗博物館となっている。
どこかの建物を飾っていた木製の扉には渦巻く蔓草がびっしりと繁茂している。
これも生命の樹かな。

扉や木柱、その礎石なども
ジュマ・モスクでは、暗い中で円柱を見たので、このように明るい場所で見られるのは有り難いが、時間がなかった。せめてプレートを写しておけば、製作時期やどこにあったものかくらいはわかったのに。
円柱の柱頭はムカルナスっぽいもので、ジュマ・モスクにもあった。木製の柱礎もジュマ・モスクを入ってすぐの円柱でも見られた。
左の扉には菱形が並んでいるみたい。
右端の円柱は古そう。
木製の柱礎というのは結構あったのだ。

建物の床付近の壁に貼り付けられていたのか、浮彫のある横長の板も。左端がカーブしている。
どうやら、サマルカンドのタイルにあった、一重に渦巻く蔓草文を地文としてその上にアラビア文字の銘文を浮彫にしたものらしい。こんなものが部屋の床付近に飾られるはずがない。もっと高いところにあったものに違いない。

大理石のパネル 1950年 イスリミ(植物文)とパクスタグルの装飾
paxtagul(paxta)が何を示しているのか不明。
大理石のパネル 1944年 マダヒルとイスリミの装飾
madahil(madohil)がわからない。
アラバスターの浮彫 20世紀 ムナッバト装飾
munabbatがわからない。
アラバスターの浮彫 20世紀 ムナッバト装飾
この2点に共通するのは渦巻く蔓草文だ。それをムナッバトというのだろうか。

パフラヴァン・マフムド廟の多彩タイル 19世紀
同廟では見なかったタイルが多い。

そして見つけたパフタ柄のカップ 20世紀
そしてお皿。レストランで出てくる食器のような金彩はなかった。

中庭に出てミナレットを見上げると、手前にひしゃがったドームがあった。
同書は、モスクはメドレセの東南部に位置している。その低くて重いドームはミナレットの垂直面のバランスをとっているという。
博物館の方にあったミフラーブは、このモスクのものかな。それとも、モスクの中も博物館になっていて、そのミフラーブを見ていたのかな。
同書は、モスクのミヒラブはマジョリカと彫られたガンチで飾られているという。
どうやらモスクのミフラーブだったらしい。

                  →イスラム・ホジャ複合体2 ミナレットからの眺め

関連項目
渦巻く蔓草文の絵付けタイルの起源は
イスラム・ホジャ・メドレセのタイル

※参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 A.V.アラポフ 2006年 SANAT
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人