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2026年3月20日金曜日

ゴルディオン博物館 中・後期フリギア時代以降


中・後期フリギア時代について『GORDION MUSEUM』は、ミダスのフリギア城塞が破壊された後のある時期、そして確実に前6世紀初頭までに、かなり高い場所に新しい城塞が建設された。古い城塞と平面図を比較すると、建設者は以前の王都の配置を再現しようとしたことがわかる。メガロンは好まれ続けた建築様式である。
新しいフリギア城塞はさまざまな改修を受けながら前4世紀後半まで存続し、中期フリギア期から後期フリギア期にかけて存続した。新しい城塞の存続中、あるいはそれ以前から、ゴルディオンも拡張され、下町と外町が建設された。少なくとも大ゴルディオンの一部は外郭の要塞によって守られていたという。


土器のスタンプ刻印による文様
同図録は、フリギアに特徴的なものは、焼成前に土器に文様を刻印する技法で、前8世紀に始まり、その後数世紀にわたって続いた。ここに見られる土器の刻印は、フリギア人が南東ヨーロッパ、特にトラキア(現在のヨーロッパ・トルコ、ギリシア東部、ブルガリア)と共通する特徴という。
土器断片 石畳文とロゼット文様


中・後期の土器について図録は、新しいフリギアの城塞が築かれた後も、いくつかの種類の土器が存続した。幾何学文様の彩色装飾も継続しているが、フリギアの画家たちは以前よりも人物画に強い関心を寄せるようになったという。
中段に黒色研磨仕上げの雄牛の頭のリュトン断片(小さくて分かりにくい)
下段には黒色の磨研土器など。

上中央:嘴付き水差し 細密に幾何学文様が描かれている

下中央: 黒色研磨三つ葉口付き水差しの口縁部。把手の両側に小さな渦巻き状のものがある

右端: 彩色ディノス(丸壺) 口縁部の一部に肉食獣が前肢をかけて中をのぞき込んでいる。

肉食獣の身体には幾何学文様が緻密に描かれているのに対して、胴部には稚拙に人物が描かれている。人物を描き始めた頃のものだろう。

人物が描かれた壺断片 鶏や馬も描かれているが幾何学文様とは比べようもない。


黒色の土器類が多い。

3:菱形の型押し文様のある容器断片 9:2色の線を自由に描いている。幾何学文様に飽きたのだろうか。


その他の土器類 前8-6世紀 ハジュトゥールル Hacıtuğrul 遺跡出土
黒色磨研土器が多いが、中には研磨されていないものや赤っぽいものも
左:レキュトス 中央:帯文様の水差し 2点はリディア時代か 右:灰色のクラテル 

右端の土器
スフィンクス付き聖杯、キオス島から輸入
リディア時代?の土器と比べると極めて薄造り


工芸品
中段左:青銅で補修された猪の牙一対で輪っか状になっている

男性が牡牛を連れて行く場面の象嵌部品 象牙

象嵌部品 象牙
図録は花としているが、繋がらない渦巻き文様に見える。


母なる女神キュベレ、安山岩
GORDION MUSEUM』は、フリギア人の主神は母なる女神であり、碑文では単に「マタル」(母)とされ、時には「キュベレ」という呼称が加えられることもある。古フリギア城塞時代のゴルディオンでマタルが崇拝されていたという証拠はほとんどないが、新城塞の建設と関連して、マタルを表したと思われる石像がいくつか発見されているという。
背後の写真パネルは後に見学したミダス記念碑の、祠衲衣の浮彫を模したものだが、そこに安置されていたマタル像にしては小さい。

アンカラのアナトリア文明博物館にはキュベレ像が展示されていて、その帽子や着衣に共通点がある。そのうちアンカラ 、バフチェリエヴラーより発見されたキュベレ像(前7世紀)と同じく右手に坏、左手に鳥を持っている。
同館図録は、マタルは通常、杯を口に当てている姿で描かれている。ある例では、もう一方の手に猛禽類(タカ?ハヤブサ?)を持つという。



図録は、ミダスの王国滅亡後、前6世紀初頭には、ゴルディオンは西アナトリア地方出身のリュディア人の支配下に入り、首都はサルディスに置かれた。ヤスホユクの主要な集落マウンドの南に位置する小さなマウンド(キュチュク・ホユク)は、かつて要塞だった。この場所では大量のリュディア土器が発見されたことから、リュディア人の前哨基地であったと考えられていたが、アテネから輸入された土器から、前6世紀第3四半期の包囲戦で破壊された。アナトリアと近東の2種類の青銅の矢じりから、包囲戦の敵が特定される可能性が高い。リディア人は、おそらく前 540 年のキュロス大王によるリディア征服に関連して、キュロス大王のペルシア軍と戦ったという。
リディアは貨幣を最初に造った国家として知られているが、前546年にキュロス二世に敗れた後はアケメネス朝ペルシアの領土となり、アレクサンドロス大王が東方遠征でペルシアを撃退していく中で前333年までにはペルシアから解放された。

ガラス類
同館図録は、様々な技法と素材を用いたもの。ファイアンス、型ガラス、そしてコア成形ガラスは、フリギア時代とヘレニズム時代に輸入されたもの。吹きガラスは一般的に前100年頃に始まるが、ここに展示されている吹きガラスのローマ時代のものという。

驚いたことに、破片とはいえゴールドサンドウィッチのガラス容器も出土していた。
写真パネルを撮影したのだが、どこかにこの容器破片が展示されていて、見落としたのかも😓




関連記事

参考文献
「GORDION MUSEUM」 Republic of Turkey Ministry of Culture

参考にしたもの
博物館の説明パネル

2025年12月19日金曜日

カマンカレホユック 博物館と遺跡


本日はアンカラからカマンカレホユックへ。
地図 Google Earth より
ⓐアンカラ ⓑビュクリュカレ遺跡 ⓒカマンカレホユック遺跡 ⓓヤスホユック遺跡
アナトリア考古学研究所が発掘しているのはⓑⓒⓓの3箇所


クズルウルマク川を渡ってアンカラ郊外に出てムガン池のそばを通り、

一面の麦畑や

ごろごろ石で覆われた所や岩だらけの山を見ながら


山の手前の赤い土の崖もあって、


耕された畑と青々とした麦畑が縞のようになっていたり、


蛇行する自動車道もありいので車窓を楽しんで、

クズルウルマク川を越えたのも気付かずに、いつの間にか❶カマンカレの町に来ていた。❷カマンカレホユック遺跡の前に❸カマンカレホユック博物館に向かった。 
地図はGoogle Earth より


カマンカレホユック博物館は遺丘風に造られて、周囲の景色と馴染んでいた。

上空から眺めたカマンカレホユック博物館 説明パネルより


石製の出土品がお出迎え

入口前にはライオン像が二体あったが、説明パネルを写し損ねたのでどこのものか分からない。


中にはカマンカレホユックと発掘の箇所が再現されていた。手前は北区

この段々が一つ一つの文化層

表土に近いところが現代に近い文化層になるのだが、

上の方の焼土層っていつの時代?


斜めから見ると文化層を表す色の異なるライトが点滅する。


その後別室にて大村幸弘氏のお話があり、大勢の若いトルコ人との中に空いた席を探して坐る。まずトルコ語で、次に日本語で静かに語る大村氏に聴き入った。
トルコの人たちが一日三千人も来るという。

その後館内出土物がずらりと積まれたコーナーを大村氏の説明を聞きながら見ていった。

出土したものは全て保管し、展示されているという。



黒い三つ葉形水差し


彩文土器 カマン・カレホユック層IId出土 暗黒時代
説明パネルは、赤と黒の彩色で装飾されており、鉄器時代の地中海沿岸地域に広く分布している。これらの土器は、内面に特徴的な張り出した口縁と、明らかに轆轤で作られたことを示す痕跡を有している。ジグザグの平行線といったシンプルな幾何学文様が多い。把手から伸びる大きな波線は、前2千年紀のギリシア、ミケーネ文化からの間接的な影響を示しており、この彩文土器文化が地中海地域からもたらされたことを示しているという。

暗黒時代について説明パネルは、いわゆる「暗黒時代」とは、ヒッタイト帝国の崩壊後、フリュギア人がバルカン方面から移住してきて王国を建設するまでの時代を指します。この時期は、人々が居住した痕跡が見られない空白の時代と長年言われてきましたが、カマン・カレホユック遺跡の発掘調査で、この時代の集落が初めて確認されました。それがIId層です。カマン・カレホユック遺跡IId層では、地中海地域との結びつきを示す二色彩文の土器や、キプロス島に特徴的な形式のフィブラ等、この時代の文化を南方の文化と結びつける資料が出土していますという。
昔々はこの「暗黒時代」はヒッタイト帝国が統治していたアナトリアだけでなく、ミケーネにも当てはまるほどかなり広い範囲で言われていて、それは「海の民」によって各地の国などが滅亡してしまったからだと言われてきた。何故「海の民」かというと、エジプト第20王朝のラメセス三世期に海からやってきた敵を打ち負かしたのでその名で呼んだから。現在では否定されるようになってきた。

見ることができた限りでは、縦に二つの把手が曲線や直線で文様が施されている。

浮彫付き土器片 IIIb層出土 ヒッタイト古王国時代
ヒッタイト時代の装飾付き壺を思わせる断片も

スタンプ印章 III層出土 ヒッタイト時代
説明パネルは、アナトリアでは新石器時代以来スタンプ形印章が使用されていましたが、前3千年紀末に、メソポタミアからもたらされた円筒形印章は、前2千年紀第1四半期のアッシリア商業植民地時代に、主に商人たちにより大量に使用されました。しかし、前2千年紀中頃ヒッタイトの時代になると、再びスタンプ形印章が主流となり、銘も楔形文字ではなくヒッタイトの象形文字(ルイ語)で刻まれたという。

そして印影のある封泥の断片



展示室の壁には発掘時の写真パネルがあるので興味深い見学となったが、一年半も前のことなので、いろいろと説明していただいたのに、申し訳ないことにもう忘却の彼方である。


ここが焼土層だったかな? 大いにピンボケ


ヒッタイト時代初期の土器類
白い土器についてはこちら

発掘そのものも大変だが、それを洗浄し、仕分けし、復元するのももっと時間のかかる作業である。大村氏の奥様の正子氏も考古学者で、その作業が一番丁寧だと褒めておられた。
残念なことに、大村幸弘氏は今年亡くなられた。


ジオラマがあるとは言え、写真パネルで知る実際の層の深さ。


展示ケースもあちこちにあって、撮影している間に肝心なことを聞き逃してしまう。

後期鉄器時代の出土物

土器・スタンプ印章・スフィンクスの浮彫のある土器の断片

ナイフと斧 鉄

フィブラと鏃 銅化合物

アナトリア考古学研究所が発掘調査しているヤスホユックやビュクリュカレなどの遺物も収蔵されているが、どこからの出土物か確かめなかったものも多い。


豹の頭部小像 ヒッタイト時代 大理石 ビュクリュカレ遺跡出土 
『古代オリエント ガイドブック』は、地下室から出土した。王笏に付けられたものと思われ、斑点にはエジプシャンブルーが、目には金とラピスラズリが象眼されているという。
ガラスの塊だと思っていた。
エジプシャン・ブルー について『古代オリエント事典』は、エジプト青ともよばれる、珪酸・銅・石灰にアルカリ溶剤を加え加熱して溶融した化合物、艶のないざらっとした質感が外見上の特徴、しばしばガラスやその類似物質と混同されるが、その構造の大部分が結晶質である点でガラスと、表面に釉の皮膜がない点で施釉石や施釉陶器と、中心部まで均質である点でファイアンスと、それぞれ相違し区別できる。上記原料を粉末状にして混ぜ合わせ、 坩堝で摂氏900~1000度に加熱し2段階溶融して製造された、天然にもごくまれに存在するが、人工物はエジプトの第4王朝時代に初現するとされ、第18王朝に盛期を迎え、第 26王朝前半には、表面に赤・黄などの彩色を施したものも認められるという。


ガラス瓶 古ヒッタイト時代 前1600年頃 ビュクリュカレ出土
ガラス制作はミタンニが最初だと思っていた。詳しくは後日忘れへんうちににて

ガラスがもう1点
何かわからないが、右端に穴があるのでペンダントトップかも。


上空から見たカマンカレホユック遺跡 館内の説明パネルより
覆いのかかっているところが北区

発掘調査に参加した人たちの写真や

右上の1986年の発掘調査開始から1997年までの発掘

1998年から2009年まで


2010年から2022年まで



館内を見終わって外に出たら反対側にも石造物が並んでいたが、ギリシア・ローマ時代のものが多そう。

その中で異彩を放っていたのが、というより、私の興味を惹いたのがこの「牛石」
説明パネルは、祭壇石、あるいは聖なる水盤として使われていたと考えられているこの遺物は、地元では「牛石」として知られている。一枚の花崗岩から作られ、背中は水盤の形に彫られている。前面には2頭の牡牛の頭が高浮彫で彫られている。雄牛の耳と角は両側に突き出ており、目は丸く、浅浮彫。鼻の下、口の部分には、水盤まで続く丸いほぞ穴が掘られており、水盤から水や液体を出すためのもの。
水盤は水がスムーズに流れるように、わずかに前方に傾斜して造られている。二頭の牡牛は、ヒッタイトの嵐の神テシュプの聖なる牡牛であるフリ(夜)とシェリ(昼)に関連している可能性があると考えられており、これらの特徴を考慮すると、神殿や聖域の入口に、トリンマ(沐浴)を行うために置かれた可能性があるという。
これもヒッタイト時代の遺物。


博物館を回り込んでいく。左端は牡牛の水盤


カマンカレホユック博物館


日本庭園

日本庭園はトルコの人たちにも人気で、結婚式の写真の映えスポットになっているという。

ぐるりと回り込んで別の建物へ

中央に八角形の屋根があり、

その下にはテーブル付き椅子が整然と並んでいた。

周囲には図書室も、

土器の調査を行ったり、

出土物の仕分けをするところも。


復元を待つ大きな土器片などが置かれていた。



最後に大村正子氏にお茶を出して戴いた。とても上品な方で、写真を撮るのが憚れるほど。

その後バスでカマンカレホユック遺跡へ。発掘調査の期間ではないので、外から遺丘を眺めた。思えばホユック、フユック、テルなどと呼ばれる遺丘を実際に見たのはこれが初めて。



その後アンカラに戻って休憩。夕食は魚のレストランに出掛けた。
日本では見られないディスプレイ

魚のスープ

サラダ


大きな魚のグリルにはシンプルな付け合わせ。


カマンカレで戴いたお昼のデザートは大きめのバクラヴァだったが、ここでは濃厚なチョコレートで覆われたアイスクリーム。


  ハトゥシャ遺跡 門巡り←  →アナトリア文明博物館 新石器時代からカールム時代まで

関連記事

参考文献
シリーズ「古代文明を学ぶ」 「古代オリエント ガイドブック」 阿倍雅史・津本英利・長谷川修一編 2024年 新泉社

参考にしたもの
説明パネル