2017年2月20日月曜日
ウズベキスタン国立美術館1 ハルチャヤンの出土物
タシケントにはもう一つ国立の美術館があるという。名称はウズベキスタン国立美術館で、歴史博物館からはそう遠くない。
Google Earthより
入口横の小さな窓口でチケットとカメラ使用料を払う。中央アジアでも博物館や遺跡でカメラ使用料を徴収するのはウズベキスタンくらいだが、それも年々減っているらしい。今ではなくなったかも知れないが日本円にすれば大した額ではない。ただ、通貨スムはゼロの数が多いため高く感じるだけだが、この美術館での使用料は目が飛び出るほど。お陰で高価なロシア製チョコレートを買うことができなくなってしまった。
展示室のある2階に行くと、通路の壁にワラフシャ宮殿の壁面装飾があった(歴史博物館のものと一緒に別にまとめた。それについてはこちら)。
そしてある展示室に入って目に入ってきたのは、ハルチャヤン宮殿遺跡の出土物だった。ハムザ記念芸術研究所以外でも収蔵されているのだ。
人物像断片 紀元前後 塑造・彩色
ベルトを掴んでいるのか、剣を握っているのかよくわからない。
王妃像断片 紀元前後
王妃は椅子に坐っている姿で表されているらしい。
ダルヴェルジンテパ出土の中年の女神像頭部とも雰囲気の違う容貌だ。
王子像 紀元前後
どこか遠いところを見つめているような表情。
王子ということは、統治者像の息子の像ということでいいのかな?
その頭部
鎧を着た小さな人物は後ろを向いているのだろうか。
人物像と馬の塑像断片 紀元前後
前髪を出して帽子を被っている。
跪く人物像
踊り子か楽士かな。
馬頭部 ピンボケ
ハムザ記念芸術研究所にあった騎馬像の馬は前方上を見ているのに、この馬は後方下を見ている。疾駆する馬ではなそう。
小さな人物像 紀元前後
花綱を持つ少年像
左肩に重い花綱を担いでいる。ガンダーラ(2-3世紀)の花綱を担ぐ童子に先行する作品。
人物像頭部 紀元前後
髪型や人物の顔などが一律ではなく、それぞれに個性的に表現されている。
ガラス張りの建物のせいで後ろ側の様子が展示ケースに映り込んでしまい、作品がよく写っておらず、また、ピンボケも多かった。
ウズベキスタン歴史博物館4 イスラーム時代←
→ウズベキスタン国立美術館2 建物の扉と室内の装飾
関連項目
ハムザ記念芸術学研究所1 ハルチャヤン宮殿遺跡の出土品
国境を越えてハルチャヤン遺跡へ
※参考文献
「偉大なるシルクロードの遺産展図録」 2005年 株式会社キュレイターズ
「中央アジアの傑作 ブハラ」 SANAT 2006年
2017年2月13日月曜日
ウズベキスタン歴史博物館3 ソグドの美術
ソグドの人々は拝火教を信仰していた。
『偉大なるシルクロードの遺産展図録』は、その教理の基本は、善悪の二元論で、宇宙や人間は善なる創造主(アフラマズダー)により生み出されたが、絶えずそれを否定し破壊へと導く悪(アフリマン)と対立するものとして捉えている。善なる生命には死、光には闇が対立するのである。この世界は善の最終的な勝利を知る創造主により、その戦いの場として、天、水、大地、植物、動物、人間そして火の七段階にわたって創りだされたものと解かれ、それぞれに守護神が当てられている。ゾロアスター教において死は、悪が最強の力を発揮したものと考えられ、このため死体にふれることは忌避すべきとされた。そして死に際して人間の魂は、身分や貧富の差によらずただ善行を行ったか如何で裁かれ、善行によってのみ楽土につけると解かれている。このようにゾロアスター教は、人間に対して善なる行いを求める強い倫理観を背景とするもので、聖なる火の維持と崇拝もその一端を示すに過ぎないのである。
ゾロアスター教はイラン世界北辺部にその端を発する宗教であるため、ソグド地域も早い段階で伝わり、王の権威のもとでその信仰が取り込まれたアケメネス朝ペルシャの時代に広く受け入れられていたものと思われる。
また、多彩なレリーフや型態をもつオッスアリと呼ばれるソグド人独特の素焼きの蔵骨器も各地で出土している。オッスアリに骨を入れナウスと呼ばれる墓に収めるもので、正統ゾロアスター教圏では見られないソグディアナ周辺のみに認められる葬法である。オッスアリには、人間や建物から円錐形のものや単なる四角い箱と様々な器形があり、その表面には様々な装飾や死者への哀悼を示す光景などが浮彫りや彩色により描かれ、ソグドの美術・歴史を示す資料として貴重なものとなっているという。
オッスアリはサマルカンドの歴史博物館でたくさん見たし、他の都市の博物館でも幾つか見てきた。
しかし、タシケントの当博物館では、ナウスと呼ばれるオッスアリを安置する建物が再現されていた。
中の台の上に数個のオッスアリが置かれている。この台はコの字形になっていて、ホジャンドのソグド州博物館に再現されていたナウスの中の凹みは、コの字形の台にオッスアリを置く通路だろう。
オッスアリについて詳しくはこちら
反対側にも
ついでに近くにあった石人のコーナーも。これはソグドではなくテュルク系のものだが、イスラームでもない。
また、ソグドの壁画も展示されていた。ブハラ州ワラフシャ宮殿の6-7世紀のものだった。歴史博物館にはこの壁画だけでなく、浮彫漆喰の建築装飾もたくさん展示されているので、忘れへんうちにに纏めます。
パルメット文?の建築装飾 6-7世紀 出土地不明
建築装飾さまざま 6世紀 タラス出土
タラスというのはカザフかキルギスにあるのだと思っていた。
戦士の壁画断片 7-8世紀 サマルカンド、アフラシアブの宮殿出土
『STATE MUSEUM OF THE HISTORY OF UZBEKISTAN』は、鉄の帯で造られたヘルメットが防具だったという。
アフラシアブの宮殿壁画はサマルカンド歴史博物館で見たが、この人物が登場するような場面はなかった。別の部屋の壁画だろうか。
たまには展示室の様子も
女性像部分 6世紀 スルハンダリア州クエブクルガン出土
遠くから見ると金属のようだが、恐らく漆喰に金属っぽい色を付けているだけ。
焼けた小像頭部 6-7世紀 木製 スルハンダリア州ジュマラクテペ出土
上の写真からすると5-10㎝ほどの大きさで男性像のよう。
焼けた木像といえば、ペンジケントの女人像柱を思い起こすが、これはずっと小さく、しかも男性像の頭部だ。
子供を抱く女神像のメダイヨン 6世紀 スルハンダリア州バラリクテパ出土
ゾロアスター教の女神像?
ウズベキスタン歴史博物館2 仏教美術など←
→ウズベキスタン歴史博物館4 イスラーム時代
関連項目
ワラフシャ宮殿の出土物 ウズベキスタン歴史博物館と国立美術館より
再びオッスアリ ウズベキスタン歴史博物館より
ウズベキスタン歴史博物館1 青銅器時代を中心に
ソグド人の納骨器、オッスアリ
ソグド州博物館2 ゾロアスター教からイスラームへ
連珠円文は7世紀に流行した
サマルカンド歴史博物館1 ソグドの人々の暮らし
参考文献
「STATE MUSEUM OF THE HISTORY OF UZBEKISTAN」 2013年 PREMIER PRINT
「偉大なるシルクロードの遺産展図録」 2005年 株式会社キュレイターズ
2016年10月10日月曜日
ペンジケント(パンジケント)遺跡2 ゾロアスター教神殿
現在は国境が閉鎖されているので行くことはて゜きないが、ペンジケントとサマルカンドは50㎞ほどしか離れていない。
このゼラフシャン川に沿って、サマルカンドを征服したイスラーム軍がペンジケントへと攻めてきた。
Google Earthより
ペンジケント遺跡のほぼ全容
Google Earthより
ゾロアスター教の神殿へと向かった。
王宮跡に段々と近づいて行く。
貯水池がメインストリート2の東側にあったという。
先回りしたジャムシェットさんは何やら妙な姿勢で我々を待っていた。
日干レンガの壁で、足は半跏に近く、右手は右腿に置き、左手は横に伸ばしている。
後で筋肉痛がおきたのではと心配になるほど、こんな姿勢で説明してくれた。
ジャムシェットさんがポーズを取っている場所からヒンドゥー教の神々、シヴァとパールヴァティー像が出土したという。残念ながら図版にはシヴァ神の像しかないが、ジャムシェットさんが左腕を広げた空間にパールヴァティー像があったという。
ソグドといえばゾロアスター教なのに、ヒンドゥー教の神像があったとは。
シヴァとパールヴァティー像 700年頃 ペンジケント第2神殿入口付近の一室より出土 ドゥシャンベ国立博物館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、インド産の瘤牛ナンディンの背に座ったシヴァ神とパールヴァティー女神の像は、第2神殿の中庭に街路から入る柱廊の南に位置する独立した聖堂から出土したという。
左腿に乗っているのがパールヴァティー女神の両足らしい。
詳しくは後日。
遺跡入口の案内図より
神殿へと向かう。
手前の盛り上がりが中庭と神殿を隔てる壁と門があったところ、中庭の向こうの盛り上がりには現代人の踏み跡があるところが斜路になっている。全体を見ると平面図にあるようなT字形だ。
この先は神官たちしか立ち入ることはできなかった。
ここが住民たちの祈りの場。見ることのできない儀式の気配を感じていたという。
中庭から斜路を通って主室へ。
ここで2人の神官が行ったらしい儀式の様子をジャムシェットさんとロマさんがみせてくれた。
斜路から聖なる火を運んで来た2人の神官がここで交差して、それぞれ奥の2つの壁龕に置いた。壁龕の間から、宗教指導者のムグファが香油をいれた土器の壺を持って登場し、香油を金のスプーンで王の頭にかけた後に儀式を執り行い、それが終わると炎に香油をかけた。香油はたくさんの植物を漬け込んだものだったので、非常に良い香りがしたという。
門跡から斜路と祈りの馬を眺める。
壁龕の一つ。
壁龕の裏側
日干しレンガで造った壁には上塗りをしていたという。日干しレンガにも上塗りの泥にも藁のようなものを混ぜていたが、これは修復っぽい。
第2神殿を出てメインストリート2を行く。
大きな建物跡。
『NHKスペシャル文明の道③海と陸のシルクロード』は、町の中核となる市場に近い、いわゆる一等地には、商人たちのなかでも、特に裕福な者たちが店を構えた。彼らが建てた2階建て、3階建ての屋敷のなかは、華麗な壁画や彫刻で飾りたてられていたという。
この遺構のことかどうかはわからないが、ドーム型天井のある邸宅跡から壁画や炭化した木彫の装飾片などが多数出土している。
それについては後日
商店街の向こうは市場だった。
同書は、交易の中心となる市場では、中国からもたらされた絹、ペルシャの金銀の装飾品、インドの香料などが売られた。交易に出掛けるキャラバンにとっては、ここはまた、長い旅に備える物資の調達場所でもあったという。
その手前にはメインストリート2に沿って平屋が並んでいた。
同書は、市場には職人たちの工房が隣接しており、でき上がったばかりの製品(ロバや駱駝の鞍や蹄鉄など)が、その場で売られていた。
店によって入口の位置や広さが違う。
隣の広い商店。鉄器がたくさん出土したという。
ここが鍛冶屋で蹄鉄を売っていた店だったのかも。
下に降りて工房の入口側から見たら、こんな光景が想像できたかも。
見学できなかったシタデルを遠望。
これで見学終了。
ペンジケント(パンジケント)遺跡1 2、3階建ての建物跡←
→ペンジケント(パンジケント)遺跡3 小さな博物館
※参考文献
「ソグド人の美術と言語」 曽布川寬・吉田豊 2011年 臨川書店
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館
「NHKスペシャル 文明の道③ 海と陸のシルクロード」 2003年 日本放送協会
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