お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年6月1日日曜日

2日目-14 瞻星台(チョムソンデ 첨성대)で古墳が気になる


半月城の下でまた自転車に乗り、7号線に出たところで、道路の向こうに人が大勢向かっているところがある。一瞬先に目を向けると、雁鴨池の建物が見えた。復元されたものだが、広々としているのがわかった。
すぐに左折すると、前に広がるのは古墳群だった。おかげで半月城北側の発掘現場を見損ねた。
なんでこんなところに?大陵苑は塀で囲まれているはず。まだこんな古墳群があったとは!地図の菜の花団地は菜の花ではなく、いろんな種類の花壇になっていた。その向こうが瞻星台。1人500W。
説明板によると、瞻星台は新羅時代の善徳女王(在位632-647)の在位中に造成された、東洋で最古の天文観測台である。
瞻星台は花崗岩を加工した基壇の上に27段の石段を円筒形の曲線で積み上げ、さらにその上に丸く長い長大石を「井」の字形に重ね、頂上部で天文観測できるようになっている。瞻星台は正南側の下から13段と15段の間に四角形の出入口があり、内部に入ることができる。この出入口の下の両側には梯子を使って、登ることができるようになっている。
規模は下部の直径が5.17mであり、高さは9.4m、地台石の1辺の長さは5.35mである。瞻星台は直線と曲線が見事に調和をなしている、安定感のある建築物である
という。入口からまず見える瞻星台がこの角度、17:22。今気がついたが、柵に三日月や星がついていた。南正面から撮った写真がこれだけでした。慶州は小さな街だが、平地が多いので、こんなに小さなものでも広々とした敷地がある。時計回りに一巡り。ピタッと石と石の間が詰まっているところがあれば、かなりあいている個所もある。
『慶州で2000年を歩く』で武井氏は、古代の国家にとって星の動きを知ることは重要だった。星の動きによって王や国家の運命を占ったからで、彗星や流星などふだんと違う現象は異変の前ぶれとして恐れられた。
新羅では、彗星が現れれば不吉なことが起こるといって海岸の警備を強めたし、流れ星が落ちるのは、王の力が落ちたとされた。その観測のためにつくられたと考えられているものが瞻星台(瞻=仰ぎ見る)である
という。確定できてないのか。向きによって形が崩れてみえたりする。円筒形に造るには切石が大きすぎるのでは。頂上の井桁や、あちこちに石が出ているのがまわると見えてくる。上は覆いがないみたい。内部は成形していない石の面が見える。わざわざハシゴを使って、こんな上から出入りする必要があったのだろうか。
慶州旅行ガイド瞻星台によると、瞻星台の頂上の井型の石の囲い部分は、新羅の子午線の標準となって各面はちょうど東西南北の方位を示します。又、真ん中の窓は真南に向いてあり、春分と秋分の時には日の光が瞻星台の底辺まで照り、夏至と冬至の時には瞻星台の下の部分から日の光が完全に消えて、春夏秋冬を分ける区分点の役割をしたという。この説が一番妥当名用に思う。星ではなくて太陽の光線の入り具合で四季を分ける春分・夏至・秋分・冬至の日を特定するというのはいろんなところで行われてきた。だいぶ日が傾いてきた。何やらチラチラ見えるのは何?
 どうも向こうで凧揚げをしているようだ。

一千年以上前の都の遺跡に囲まれて凧揚げをするなんて、観光客なのか、慶州の人たちなのか、なんとものんびりした光景やなあ。よその国からやって来て、自転車で一日中観光して廻った我々にはできない時間の使い方です。さっきは半月城で寝転んでもすぐに起き上がってしまったし。
そうそう、古墳群を見に行かないと!

※参考文献
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)

※参考サイト
慶州旅行ガイド瞻星台