7号線を走り続けて慶州博物館の駐車場の交差点を越えると、半月城が見えた。


自転車を引いて行かへんの?
こんなもん引いてお城に行けますかいな
向こうから自転車に乗った人がくるけどね。

ここは新羅時代の宮殿があった場所である。地形が三日月のようになっていて、「新月城」または「月城」と呼ばれた。朝鮮時代からは「半月城」と呼ばれて今日に至る。昔脱解王が幼い頃、瓠公という人がここに住んでいたが、昔脱解王が策を企ててここを占拠したという伝説がある。その後、娑婆王22年(101)にここに城を建て、移転してからは歴代の王はこの月城で住むようになった。南側には南川が流れ、自然な防禦役割を果たしており、東・北・西側には敵の侵入を防ぐために幅広い濠を掘った。南門、北門、仁化門などと臨海殿に通じる臨海門があり、その他多くの付属施設があったという。脱解王と言えば、午前中王陵を見に行ったやないか。我々が入ってきたのは臨海門やね。それと菜の花畑は濠やったんや。
食べ物屋が店を出して、そのゴミが芝生の上に置いてあるのが気になる。その向こうには一段高くなっているところがある。建物の基壇みたい。




起き上がって綿菓子屋のそばを通り抜けていて、アイスクリームのコーンを見つけたけど、もうええわ。
左(北)側から人が来たので、行ってみると城壁址だった。石もごろごろと崩れたままだ。






一応、都の北側にも王宮をつくったが(城東洞遺跡がそうだといわれる)、実際には月城をそのまま使いつづけていた。日本からの使節も月城にきたようだという。
※参考文献
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)