お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年6月29日日曜日

4日目-10 大邱でおっちゃんは食事に、私はERへ

チェックイン後部屋に入る。広いし新しい、14:13。
気分は悪くないけど、今日は観光はやめとくわ テレビは液晶だった。慶州のコモドホテルはNHKの総合が映ったが、このホテルではBS1が入る。
とは言え、坐っているよりも横になった方が楽だった。元気なおっちゃんにはどこか観光してほしい。
どこに行ったらええんかわからん
そうだった。おっちゃんはこのホテルが大邱のどの辺に位置しているのかさえわからないのだった。いつもはツアーだが、個人旅行となった今回くらいはいろいろ調べるのかと思ったら、相変わらずガイドブックさえ開かなかった。それに、いつもはおっちゃんの具合が悪くなるというパターンだったので、その心配はしていたが、自分がこんな風になるなどと思いもしなかった。 おっちゃんに飲み物などを買ってきてもらう。
近くにコンビニ25があったよ
ジュースを飲んで洗面所を探検。今までのホテルにない洗面台。奧の斜めに開いたボックスにはヘアードライヤーが入っていた。ところで、韓国のホテルは歯ブラシセット・シャンプー・リンスが有料で、理由は環境に配慮してということらしい。他の物は使っても大丈夫なはずだが、北京のホテルで何かわからないが料金を請求されたことがあり、以来備品はあまり使わないようになった。だから、あちこちに置いてある小さなボトルも何か確かめることもなく、そのままにしておいた。これって貧乏性?
慶州では暑くて汗をかいたので、早めにお風呂に入った。シャワーカーテンではなくガラスなのが良い。 窓の外を眺めると、大通りの反対側で静か。遠くには高層マンションが並んでいて、中国の街のようだ。ホテルの裏は古い民家が並んでいる。  私は食べるのは止めておくが、おっちゃんにはちゃんと食事をしてほしい。予定ではカッパウィから戻ったら、大邱の中心で名物の「カルビチム」という牛バラ肉の煮込みを食べることになっていたが、そこまで行くことは無理やね。
食べたものの写真を撮ってきてね

TVの音もいやになり、消してうとうとしていた。しばらくして気持ち悪くなり、また吐いてしまった。どうも水分を補給しても全部出てしまう。段々脱水症が心配になってきた。
おっちゃんが食事から帰ってきた。パンやハーゲンダッツ、飲み物を買ってきてくれたが、食べられない。
裏通りに入ったら食堂が並んでいたよ。よくわからんで入って、ハングル文字のメニュを適当に指さしたら間違えてその下のを持ってきた。ホルモン鍋みたいなのが出てきたよ。味は良かったけどね  やっぱり小皿が出てきた?
うん、サナギみたいなのやいろいろ出てきたよ
お酒もしっかり飲みました!
2本も飲むか!アイスクリームかと思ったらポテトサラダ?また戻した。脱水症が心配になってきた
どうする?1330に電話する?
一応ホテルの人に言って、それでだめだったら1330に電話することにしたら
今までの症状をメモに書いて、おっちゃんにフロントに行ってもらった。すぐに戻ってきた。
病院に行った方がいいでしょう。ホテルの車で行きましょうと言ってくれたよ
ロビーに降りると若いホテルマンが車で近くの病院に連れて行ってくれたが、もう医者が帰ったと言われた。ホテルと電話でやりとりして、かなり遠くまで行くことになった。東大邱駅前は高架になっていたので暗くてもよくわかった。その後カーブして下って、割合すぐに病院に着いた。
ERの受付でいろいろ聞かれた。若いホテルマンはそんなに日本語ができるわけではないので、説明に手間取っていたら、突然私の背後から青年が現れた。果たして診察してもらえるだろうか。何せ歩いているのである。
私は日本語が話せます。通訳しましょう
それで我々の話を逐一伝えてくれて、中に入るように指示された。お礼を言うと、
日本で2年間勉強しました。その時日本の人たちに大変お世話になりました。だから当たり前のことをしているだけです。私の日本人の友達が交通事故にあったので、病院に来ています
南山の仙人といい、この青年といい、なんというタイミングで助っ人が現れるのだろう。
中に入るとそこが広い空間になっていて、たくさんのベッドと、その上に横になっている人たちがいた。救急で来た人はここですべて対処しているらしかった。私は入ってすぐの空きベッドに横になるように言われた。その後結構時間がかかったが、血液検査・心電図・胃の外側からのX線撮影などをした。
その間にも先ほどの青年が、足にものすごいギブスをして運ばれている人に付いて通った。しばらくすると青年は紅茶の缶を差し入れしてくれた。その後も何度か気に掛けて来てくれた。
その内に点滴をしてくれたので、やっと脱水症への不安から解放されたが、口が乾いてしまったので、少し紅茶を飲んだら、甘露の水のように美味しかった。
明日になったら元気になると思うわ。昔トレドで気分が悪くなって、500円のオステルで一晩中上げたり下げたりしたけど、朝になったらピタッと治って、元気に観光したから 
それは若い頃の話やろ
いつも旅先で体調を崩すのはおっちゃんの方なので、自分がこんなことになるとは予想もしなかった。このまま治らなかったら、この旅行はどうなるんや?