お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2010年12月28日火曜日

2-11 パラティーノの丘、ネロの地下通廊(Criptoportico Neroniano)

⑩リウィアの家の北側の通路を歩いていると行き止まりになり、左に曲がった。
そこは壁に囲まれた狭い通路だったが、アーチの上には柵がある。柵があるということは、あの上に人が行くことができる。ファルネーゼ公園と繋がっているようだ。ここが地下通廊なら上の天井が抜けてしまったのだろうか。
右壁の切れているのは通路ではなく凹み。
トンネル(としか思えない)に入ると、ストゥッコによる壁面装飾が残っていた。ヴォールト天井ではなく壁面なのに丸味がある。
当初から彩色がなかったのだろうか。細部を見ると、博物館で見たネロの宮殿跡出土の天井画壁画に似ている。
トンネルを1つ抜けたら、向こうにもまたトンネルがあった。この通廊の床は白いテッセラが嵌め込まれた舗床モザイクになっている。両端には黒い帯が路側帯のようだ。
右側にも通廊があった。こちらの方が地下らしい雰囲気がある。
こちらも両端に黒い帯のあるシンプルな舗床モザイクとなっている。あれ、トンネルの先は、ドムス・フラウィアの終わる辺りで見下ろすとあった、同じような舗床モザイクがある床と階段や。向こうに行って見たかったが、ここにも通行禁止の鎖があった。
ひょっとすると⑯通称バシリカ(Basilica)の地下にあるというイシスの間(Aula Isiaca)に通じているのかも。

2つ目のトンネル、いや地下通廊に入る。この上も庭園風。
最初からあったのか、あちこちに開口部があるので、この辺りはあまり暗くない。
その先が暗かったので、早足で通り抜けてしまった。その先は中国のヤオトン(窰洞)のようで違和感があった。
出ると左も前も壁。右に行くしかない。
やはりヴォールト天井ではなく壁面になった狭い通路から出ると緑がいっぱい。『ローマ古代散歩』は、ファルネーゼ公園の区画には③ティベリウス宮殿が建っていたというが  (略)  東側にネロがつくったドムス・トランシトリアとは地下通廊でつながれ、上階はカピトリウムとフォロを望む見晴らしのよい屋上庭園になっていたという。
ファルネーゼ公園が造られる以前から屋上庭園というものがあったようだ。
ところで、『ROMA』は、前の邸宅(一時期のドームス・トランシトリア)が64年の火事で崩壊した後に、郊外のヴィッラというモデルにしたがって、セウェルスとケレスがネロ帝のためにドームス・アウレア(Domus Aurea)を建設したという。地下通廊が壊れているのもこのためだ。


※参考文献
「ROMA ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!」(2001年 Electa)
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)