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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2024年12月13日金曜日

ブルサ 郊外のジュマルクズク Cumalıkızık


旧市街の墓廟やモスク巡りの後は郊外のオスマン朝期独特の家屋の残るジュマルクズクへ。
ブルサ周辺地図 Google Earth より


ジュマルクズクの集落 Google Earth より
①市の立つ広場 ②文化センター ③モスク ④キュペリ邸 KÜPELİ 
ブルサ周辺には「クズィク」というテュルク系の人々の集落がたくさん残っていて、その中でもオスマン朝初期の景観がよく残っているので、現在では観光地になっているのだそう。


①市の立つ広場
毎日のことなのか、観光客のためなのか、パザールが開かれていた。三叉路の小さな広場の中央に大きな立っている大きな木はプラタナスだとか。

広場から南方向へは急な上り坂。オルタ小路 Orta Sokak へ。


②文化センター
狭い道はうねるように蛇行していき、軒を連ねた建物が続くかと思えば、狭い通路で仕切られたところもある。その上この文化センターになっている建物の形がなんともいえない。

二階の窓が迫り出ているのは、外に出ることが少なかった女性たちが、下界を見られるようにとか。


空が狭い。
二階の窓は木で支えられている。伝統的には反らせた木材が使われているようだが、中にはそんな工夫をしていない家屋もある。色は何度も塗り直しているそうだ。


蔓を這わせた家屋は土壁が露出したままで、人のすまない家も多いらしい。それでも、不思議なことに、女性たちが外を見るときに外の人から見えないようにする格子窓は残っている。


上階は土壁だが、下階は石積み。

そして、この集落の③モスクと広場。


さらに登っていく。


今にも崩れそうな家屋も。


もっと荒廃した家屋。修復して保存されるのだろう、世界遺産に指定されている集落なのだから。



今度は右に向きを変えて、もっと狭い通路へ。


こんな細いのも通路です。
石壁には必ず木材が挟んであるのは耐震のため?


やっと広い小路!に出た。坂道には中央に細い溝が設けられていて、排水のために建物の両側から溝に向かってさらに勾配がつけられている。


この先で住居を見学できるキュペリ邸 KÜPELİ に入ってみた。

門を入ったところが中庭になっている。壁の色はこの程度に薄い方が古い集落に似合うと思うが。

外階段

階段途中から。葡萄棚か藤棚か、葉がある時期は中庭に木陰ができて、幾分涼しいだろう。


階段の上から。
瓦は半筒形のものが交互に重なっている。

家の中へ入るとすぐに台所バターをつくる筒が階段際に置かれていたり、ひょうたんが掛けてあったり。


ドラマ「オスマン帝国外伝」では、皇帝も家族と食事をする時は床に座って、低い卓袱台を囲んでいたけれど。

椅子とテーブルというのはいつ頃から?


オスマン朝でもベッドで寝ていたのかな。


一階には今風のストーブ。
昔は掘り炬燵があったと聞いたこともあるが・・・


右手には別の小路があって、先程通った小路に戻れるのだが、

反対側を通ってみたが、

すぐにもと来た道に出てしまった。それでも行きと帰りとでは見える方向も違って、


鄙びた家並みが


楽しめる集落だった。

土産物屋や観光客向けのカフェが多いのが残念だったけれど。


イスタンブールのアジア側ユシキュダルのおしゃれなオスマン様式の建物とは違い、質実剛健な建物が並ぶ集落だった。


北向かいの山


雪の残った山を見ながらホテルへ。結局ウルダーは見えなかった



夕食はホテルで。
まずはスープ

メゼ(冷たい前菜)は取り分けるのではなく、一皿で。


肉と野菜の煮込みはナスのペーストにのせて


最後はフルーツとスイーツ
丸くて穴のあるのはハヌムギョベーイ Hanım Göbeği 、貴婦人のおへそという名のお菓子。




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