ブルサ周辺地図 Google Earth より
①市の立つ広場 ②文化センター ③モスク ④キュペリ邸 KÜPELİ
ブルサ周辺には「クズィク」というテュルク系の人々の集落がたくさん残っていて、その中でもオスマン朝初期の景観がよく残っているので、現在では観光地になっているのだそう。
①市の立つ広場
毎日のことなのか、観光客のためなのか、パザールが開かれていた。三叉路の小さな広場の中央に大きな立っている大きな木はプラタナスだとか。
狭い道はうねるように蛇行していき、軒を連ねた建物が続くかと思えば、狭い通路で仕切られたところもある。その上この文化センターになっている建物の形がなんともいえない。
二階の窓が迫り出ているのは、外に出ることが少なかった女性たちが、下界を見られるようにとか。
蔓を這わせた家屋は土壁が露出したままで、人のすまない家も多いらしい。それでも、不思議なことに、女性たちが外を見るときに外の人から見えないようにする格子窓は残っている。
上階は土壁だが、下階は石積み。
空が狭い。
二階の窓は木で支えられている。伝統的には反らせた木材が使われているようだが、中にはそんな工夫をしていない家屋もある。色は何度も塗り直しているそうだ。上階は土壁だが、下階は石積み。
こんな細いのも通路です。
石壁には必ず木材が挟んであるのは耐震のため?
やっと広い小路!に出た。坂道には中央に細い溝が設けられていて、排水のために建物の両側から溝に向かってさらに勾配がつけられている。
ドラマ「オスマン帝国外伝」では、皇帝も家族と食事をする時は床に座って、低い卓袱台を囲んでいたけれど。
椅子とテーブルというのはいつ頃から?
イスタンブールのアジア側ユシキュダルのおしゃれなオスマン様式の建物とは違い、質実剛健な建物が並ぶ集落だった。
夕食はホテルで。
まずはスープ
丸くて穴のあるのはハヌムギョベーイ Hanım Göbeği 、貴婦人のおへそという名のお菓子。
関連記事