お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2025年3月14日金曜日

ミマールスィナンの建築巡り シェフザーデジャーミィ Şehzade Camii 再訪


イスタンブールでは皆さんと一緒に、現地ガイドのギュンドアン氏の解説で一日イスタンブールのモスクなどを見学して、リュステムパシャジャーミイ、スレイマニエジャーミイは前回の見学の時とまとめて記事にしたが、前回のシェフザーデジャーミィはすでに記事を作ってしまったので、今回はそのときに気付かなかったものを主に記事にした。

モスク平面図及び断面図 『トルコ・イスラム建築』より
①モスク正門 ②中庭 ③シャドゥルヴァン ④回廊 ⑤礼拝室正面入口 ⑥ソン・ジェマアト・イェリ ⑦半ドーム ⑧主ドーム ⑨ミフラーブ ⑩エクセドラドーム ⑪隅のドーム ⑫ペンデンティブ ⑬主ドームを支える柱 ⑭中庭への脇入口 ⑮ミナーレ ⑯礼拝室への脇入口 ⑰スルタン用入口
イスタンブール シェフザーデジャーミィ平面図 トルコ・イスラム建築より


前回は①モスク正門から入ったが、今回は中庭への脇入口から②中庭へ。
中庭を囲む回廊は高いし、

回廊の幅も充分なのに、


その割に中庭が狭いと感じるのは前回と同じ。シャドゥルヴァンが大き過ぎるのかな。


①正門側からは、中央にシャドゥルヴァン(清めの泉亭)、
⑦ 半ドーム、⑧ 主ドームと高くなり、左右には⑥ ソン・ジェマアト・イェリ(礼拝時刻に遅れてきた人が礼拝する場所)の小ドーム、⑪ 隅のドーム、⑬ 主ドームを支える柱の上部に取り付けられた重量塔と、ドーム群がある。


前回は意識しなかったシャドゥルヴァンは、8本の円柱に支えられた重厚な屋根がかかっていて、


近寄るとガラス張りの妙な装置が。


屋根の内側はドームになっていて、創建当時からあるのか、後に建てられたものかは不明。


屋根とガラスケースと、二重に大切に収められているのは、幾つか口のある大理石の水盤だった。何かいわれのあるものなのかも。


④ソンジェマアトイェリ(礼拝の時刻に遅れてきた人が礼拝する場所)
中庭を囲む回廊やシャドゥルヴァンの窓の上には赤っぽい装飾があるのが今回気になった。
それについては後日忘れへんうちににて


⑤礼拝室入口は幕が上がっていた。

⑧主ドームと前後にある⑦半ドームが縦に並ぶのはアヤソフィアと同じだが、それがカメラに収まる程良い大きさ。その上左右にも半ドームはあるが。


⑦半ドームの奥に⑨ミフラーブ壁

ミフラーブは横縞に揃えられた大理石

ミンバル(説教壇と呼ばれているもの)の装飾についてはこちら


ミフラーブ脇の説教壇(実際の説教は、ミンバルではなく、ハシゴを数段上がって中に入る椅子?に座って行われる)とスルタンのマッフィル


その上の⑪小ドームは四隅がスキンチアーチなのだが、目の錯覚か、実際にそうなのか、正方形から凹面の八角形になっている。


その続きの⑦半ドームを補強する⑩エクセドラドームと、大ドームはペンデンティブで支えられていても、小ドームやエクセドラドームなどは、小さなムカルナスの集合体やスキンチアーチで支えられている。


⑯左脇入口
そういえばこのモスクには側廊や女性用マッフィルというものがない。それはミマールスィナンが、『トルコ・イスラム建築』で飯島英夫氏が述べておられる一体感を目指したからだろうか。扉の上に人が居られるようなものがあるが、女性用マッフィルというには小さすぎる。


入口のドアの周辺はミフラーブのように横縞に積まれた大理石になっているが、意外と珍しいかも。

その上の
マッフィルは女性用というよりは、皇室用だったのだろう。


⑫ムアッジン用マッフィル
アザーン(トルコではエザーン)を唱えるムアッジンは、現在はミナレットに登らず、ここでマイク越しに行うのだそう。
前回は気がつかなかったが、ブルサでイェシル・ジャーミイを見学したからこそ分かるブルサアーチが並んでいる。

ところで、『トルコ・イスラム建築』は、ミマール・スィナンが建設した最初の大モスクである。スィナンは晩年になって、「徒弟時代の作品」と出来栄えが完全ではないとしているが、傑作の一つである。新たな独創的な試みが各所に見られる。それらにより、構造的に堅牢な建築とし、広く一体となった礼拝室の内部空間を創出し、建物全体の外観を極めて美しいものした。オスマン建築古典期の幕開けを演じ、古典期の建築様式を創造し、後の建築に最も大きな影響を及ぼした建築といえるという。
そんな一体化した内部空間を撮影するのは無理というもの。Architect Sinan His Life, Works and Patrons』という巨大な本に見開きであったので、A4の大きさまでしかスキャンできないプリンターで継ぎ剥いでなんとか図版の一部(上部が切れてしまった)を再現。
シェフザーデジャーミィの一体化した礼拝室 Architect Sinan His Life, Works and Patrons より


シェフザーデジャーミィのキュッリエ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より
『トルコ・イスラム建築』は、1543年6月に定礎を行い 1548年に完成したこのキュッリエは、スレイマ ン一世と寵妃ヒュッレムとの間に生まれ、1542年11月に天然痘に罹り 21歳の若さで死亡した王子メフメットのために建設されたとされている。「シェフザーデ」は「王子、スルタンの息子」の意である。
モスク、メドレセ、タブハーネ、キャラバンサライ、イマーレット、コーラン学校、シェフザーデ・メフメットのテュルベから成るキュッリエは、ファーティヒ・キュッリエシには及ばないものの、ヤウズ・スルタン・セリム・キュッリエシやバヤズィット・キュッリエシをも凌ぐ壮大なものである。
2万4千㎡の広大な敷地は、アヤ・ソフィアからバヤズィット・キュッリエシ、ファーティヒ・キュッリエシ、エディルネ門へと続く稜線上にあり、街を貫く大通りの脇にある一等地で、しかも地盤の良い平坦な場所である。
ステファノスは、初めはスレイマン一世自身のキュッリエとして計画されたと紹介しているという。
モスク メフメト廟 リュステムパシャ廟 メドレセ タブハーネ(旅行者が短期間無料で宿泊できる施設) キャラバンサライ イマーレット(メドレセの学生や貧しい人達に食事を提供する施設、ガイドのギュンドアン氏はイマレットと言った) コーラン学校
シェフザーデジャーミィのキュッリエ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


左側の⑭中庭への脇入口から出ると左手にメドレセがあるが、メドレセの礼拝室が樹木に隠れてしまった。

右手にタブハーネ(旅行者が短期間無料で宿泊できる施設)とキャラバンサライ

礼拝室を横に見ながら、

通り過ぎていると、平面図にもあるように、ミフラーブのある壁の外側はミフラーブや角柱などがそれぞれ出っ張って、凹凸が目立った。



正面に
イマーレット(メドレセの学生や貧しい人達に食事を提供する施設、ガイドのギュンドアン氏はイマレットと言った)の小ドーム群が近づいてきて、手前にあるアーチ列は平面図には記されていないが、ひょっとすると、キャラバンサライの付属の建物で、馬の手入れをする所だったのかもなどと妄想する。


右手にある庭園への入口から入って、

まずはモスクを眺めた。前回もほぼ同じ所から撮影していた。
『トルコ・イスラム建築』は、ミマールスィナンが本格的に手がけた最初の巨大プロジェクトである。モスクについて、ミマールスィナン自身は「徒弟時代の作品」としているが、一体化した広い礼拝室を実現し、外観も美しい傑作だ。
主ドームの四方に半ドームを配置、支柱が4本の集中プランで、静力学的均衡を考慮しつくした堅牢な建物。以後のモスク建築に最も大きな影響を及ぼした建築であるという。


庭園の墓廟群 『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』 より
A:スレイマン大帝のメフメト皇子の墓廟 B:リュステムパシャの墓廟 C:マフムド皇子の墓廟 D:ハティジェスルタン(スレイマンのひ孫メフメト三世の娘)の墓廟 E:イブラヒムパシャ(ムラト三世の娘婿)の墓廟


A:シェフザーデメフメト(メフメト皇子)の墓廟
内部については前回の記事

上段の大きな輪っかが並んだ窓は、当初はロンデル窓だったのだろう。その下にカリグラフィー、更に下側は装飾のないリュネットと鉄格子の入った窓、その周囲には赤レンガの文様帯を設けている。

玄関の柱廊の屋根は縁が丸みがある。


奥にあるのは八角形のE:イブラヒムパシャ廟、左端の赤い墓廟は前回も閉まっていたD:ハティジェスルタン廟
右端のC:マフムド皇子の墓廟は正方形にドームがのっているようにしか見えないが、

別の方向から見ても四角形なのに、Google Earth では六角形になっている。

内部は、ターバンを冠したマフムド皇子の小さな棺とそれよりも大きなターバンがないので女性の棺。母だろうか。
説明パネルは、父はメフメト三世(1566-1603)で、彼は国民からの支持が高かったため、父親は彼が王位を狙っていると考え、1603年に父親の命によりトプカプ宮殿で殺された。母と共に埋葬されている。
この廟は当初、六角形のプランを持ち、ドームで覆われた開いた墓として建てられた。その後、柱の間は塞がれ、密閉された墓となった。入口のファサードにはシンプルな柱廊玄関がある。建物は地上階の長方形の窓と、ドームを支えるペンデンティブ間にある窓によって明るいという。
この写真を見ると外観と異なって正方形ではなく六角形に見える。不思議。


『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』の図版では、C:マフムド皇子の墓廟は六角形で玄関の柱廊はない。どういうこと?
シェフザーデジャーミィと墓廟群 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


B:リュステムパシャの墓廟
扉が閉まっていたので入れなかったが、幸い前回は扉が開いていて、内部を撮影することができた。それについてはこちら

玄関の柱廊は軒が深く、


そして壁面は一枚板の大理石に植物文様を浮彫にし、部分的に金彩した装飾が施されているが、これは四ヶ月前に来たときにはなかった。

二階の窓ガラスにはメフメト皇子廟が写っているが、何故か一つの建物として写らずに、それぞれのガラスにいろんな部分が写っているのだった。このガラスはもちろんロンデルではないが、こんな風に写るのだから、一枚の板ガラスに輪っかを貼り付けたものではない。


専門的な知識がないので、建造物にあるものは創建時のものと思ってしまいがちだが、どれだけ創建時のものが残っているかという目で見た方が良いのかも。


金角湾沿いの教会と城壁← 
トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication 
「Architect Sinan His Life, Works and Patrons」 Prof. Dr. Selçuk Mülayim著 2022年 AKŞIT KÜLTÜR TURIZM SANAT AJANS TIC. LTD. ŞTI.