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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2025年1月24日金曜日

ミマールスィナンの建築巡り アリパシャチャルシュとリュステムパシャケルヴァンサラユ


エディルネ中心部 Google Earth より
①セミリエジャーミイ Selimiye Camii ②ユチュシェレフェリジャーミイ Üç Şerefeli Camii ③ソコルルメフメトパシャハマム Sokullu Mehmet Paşa Hamamı ④アリパシャチャルシュ Alipaşa Çarşıs ⑤ベデステンチャルシュ Bedesten Çarşısı ⑥リュステムパシャケルヴァンサラユ Rüstempaşa Kervansarayı ⑦エスキジャーミイ Eski Camii 

②ユチシェレフェリジャーミイの後はヒュキュメト通り Hükümet Cd. を戻って
アタテュルク大通り Atatürk Blv の交差点。

渡った左側のアタテュルク像 Atatürk Heykeli のある広場から。背後には
⑤ベデステンチャルシュと⑦エスキジャーミイ 

そして左手には先程来見学した
②ユチシェレフェリジャーミイがその名称の由来になった三つのバルコニーがあるミナレットがよく見えていた。


南北に長い④アリパシャチャルシュへ。
Wikipediaによると1560-65年に大宰相セミズアリパシャによって、ババエスキにあるセミズアリパシャ財団の収入源として建てられた。建築家はミマールシナン。全長300m、130店舗という。
セミズアリパシャ Semiz Ali Paşa はリュステムパシャの没後大宰相となった人物。ババエスキ Babaeski はエディルネの東54㎞にある町(『トルコ・イスラム建築紀行』より)で、彼の後に大宰相となったソコルルメフメトパシャがソコルルメフメットパシャ・キュッリエ(複合施設)を建てたリュレブルガズ Lüleburgaz の西方にある

入口は幾つかあるが、東側に並行するサラチュラル通り Saraçlar Cd.  に入ってすぐの入口から入って数段下った。

入って北側。
中は半円ヴォールトに近いやや尖ったヴォールトの両側に店舗が並ぶアラスタ型の商店街。

南側


サラチュラル通りに戻り、


南の方へ歩いて、バルクパザル通り Balık Pazarı Cd.に入ると、  

魚屋のお兄さんはどこでもサービス精神いっぱい。



そして次のオスマニエ通り Osmaniye Cd.  を北上。
アリパシャチャルシュの周囲は商店街なのだった。八百屋もあって、人々の暮らしが見える。
皆さんにエディルネの名物料理タワ・ジエル(子牛のレバーのから揚げ)の美味しいお店を勧めた後、現地ガイドのギュンドアン氏は自由時間にベヤズィットジャーミイの複合施設へバスで行きたい私だけのためにバスの切符を売っているところに案内してくれた。現金でも、イスタンブールカードでもだめだそうで、アタテュルク大通り Atatürk Blv まで行って、東に西に、人に聞きながらお店を探してもらって、本当に申し訳なかった。
この辺りは南北の道からは、ユチシェレフェリジャーミイの三つのバルコニーがあるミナレットが見えるので迷いません。


その後⑥リュステムパシャケルヴッンサラユと⑦エスキジャーミイへ向かっていると⑤ベデステンチャルシュが左手に見えてきた。

トルコの国旗の向こうにエスキジャーミイが見えているのだが・・・


⑤ベデステンチャルシュ平面図
『トルコ・イスラム建築』は、14世紀になると街道上のキャラバンサライの建設は激減し、代わりに都市内の商業施設として、ハンやベデステンの建設が始まった。
一般に商業施設の「ハン」は、内部に広い中庭があり、出人口以外は壁で閉じた矩形の建物で、中庭に向かって開いた商店を中庭の回りに巡らしている。一方「ベデステン」は、貴金属などの高価な商品を扱う商店用に建てられた建物であり、保安対策や防火対策がより十分に講じられている。2ないし4ヶ所の出入口を持ち、屋根で覆われた内部の通路の両側に商店を並べた矩形の建物で、場合によって周囲の街路や広場に向けて開いた商店も建物の外側に並べている。
エディルネ・べデステンは、エスキジャーミのワクフ財産として、メフメット一世によって1417-18年に建てられた。現在も立派に使用されている代表的なべデステンである。41m×78mの規模で、中央に直径7mのドーム12個で覆われた空間、その周りに36の小部屋、建物の外側には大小64の商店を配置したプランである。ここの賃貸料はエスキ・ジャーミの運営資金にされていたという。
①入口 ②外側の商店 ③ドーム(14個) ④支柱 ⑤内部の商店
エディルネ ベデステンチャルシュ平面図 トルコ・イスラム建築紀行より

ドームの並は7個ずつ二列あり、横に並んだ二つのドームの間には④支柱が立っている分屋根に盛り上がりがある。
エディルネ ベデステンチャルシュドームの並び トルコ・イスラム建築紀行より

②外側の商店

①入口を入って両側には商店が通路にまで商品を飾っている。奥の平たいアーチりの下に下がった国旗の向こうが⑤内側の商店街になる。

⑤内部の商店街は壁側と支柱の間の両側に商店が並んでいる。


③ドームと明かり取りの穴



ベデステンチャルシュの途中で北側に出ると⑦エスキジャーミイが見え、

ベデステンチャルシュとエスキジャーミイの間の道を進んでいくと、その先にリュステムパシャケルヴァンサラユが現れて、

その手前のタクシー乗り場の傍に公衆トイレがあった(少額ですが有料です)。


ということで⑥リュステムパシャケルヴッンサラユへ。
年季の入った軒と歪んだ外壁


リュステムパシャ・ケルヴァンサラユ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、オスマン朝時代に建設された都市型キャラバン・サライの傑作。現在は、ホテルとカフェとして使用されている。
建設年1554年 建設者リュステムパシャ 建築家ミマールスイナンという。
ここもまたミマールスィナンが造ったものだったが、何故こんなに歪んだ建物にしたのだろう。何か理由があったはず。

平面図 『トルコ・イスラム建築紀行』より
①宿泊部入口 ②道路側商店 ③宿泊部中庭 ④1階の厩(2階は宿泊室) ⑤2階への階段 ⑥ハンの入口 ⑦ハンの中庭 ⑧回廊 ⑨小部屋 ⑩2階への階段
エディルネ リュステムパシャ・ケルヴァンサラユ平面図 トルコ・イスラム建築紀行より


ケルヴァンサラユについて『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、旅行者、特に商人とその召使、そして彼らの品物や馬を収容する建物だった。これらは都市だけでなくキャラバンのルート沿いにも建てられた。
オスマン帝国のキャラバンサライはセルジューク朝のキャラバンサライとは異なり、特別な旅行者のためのエリアがあり特別なエリアがあり、タブハネ (ゲストハウス) と呼ばれていた。キャラバンサライは通常、柱廊と暖炉を備えた、細長く、高く、幅の狭い客室だった。交易路沿いのキャラバンサライは、通常アラスタ、浴場、食堂、モスクを備えた複合施設だった。
都市の宿は、シンプルな長方形の中庭に沿って 2列の部屋で構成されている。中庭の小さな礼拝用の建物は現存していない。旅行者の宿は台形の中庭を囲んでいる。実際のキャラバンサライは一階にあり、食堂と客室は上階にある。イーワーン構造の部屋もある。部屋ごとに専用の入口があるという。

⑥ハンの入口(少し上の写真の捻れた小ドーム)

説明通りホテルになっていた。


⑦ハンの中庭へ


中庭で寛ぐ人たち


THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNANは、エディルネのリュステムパシャキャラバンサライ (1560) は、街の宿と旅行者の宿を組み合わせたもの。街の宿は、シンプルな長方形の中庭に沿って 2列の部屋で構成されている。中庭の小さな礼拝用の建物は現存していないという。
中庭は広く、ガラス張りの建物があって全体が見渡せなかった。

右側の中ほどに③宿泊部中庭への通路があるはず。

同書は、キャラバンサライは一階にあり、食堂と客室は上階にある。イーワーン構造の部屋もある。部屋ごとに専用の入口があるという。

⑩二階への階段


通路の照明の飾り


③宿泊部中庭へ。


こちらは変則的な中庭がある。
同書は、旅行者の宿は台形の中庭を囲んでいるという。

中をのぞき見るのは憚られたので、

早々に①宿泊者入口から出てしまった。


外に出ると歪んだ外壁が見渡せた。平面図にも歪んだ箇所ははっきりと表されているのに、どの本にも何故こんなに歪めて造られたかの説明がない。



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参考文献
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社
トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication