①セミリエジャーミイ Selimiye Camii ②ユチュシェレフェリジャーミイ Üç ŞerefeliCamii ③ソコルルメフメトパシャハマム Sokullu Mehmet Paşa Hamamı ④アリパシャチャルシュ Alipaşa Çarşıs ⑤ベデステンチャルシュ Bedesten Çarşısı ⑥リュステムパシャケルヴァンサラユ Rüstempaşa Kervansarayı ⑦エスキジャーミイ Eski Camii
「エスキ Eski」とはトルコ語で「古い」という意味、「新しい」は「イエニ yeni」。
小ドームが九つあるが、
⑥西側のミナレットを見ながら正面に回る。ミナレットの基部がトルコ三角形なのか、トルコ襞なのか、
思いっきりズームしてみると、四隅がトルコ襞っぽい。その下側は矩形の四隅に円錐形の頂部のある小さな円柱を付け加えるなど、ミマールスィナンの基部とはまた違った構成だ。建築家はコンヤ出身のハジュ・アラーエッディン(『トルコ・イスラム建築紀行』より)。
話はそれるが、「ハジュ」とはムスリムでメッカ(マッカ)への巡礼を果たした「ハジ」または「ハッジ」のトルコ語。その証として顎髭を生やし、人徳者らしくふるまわなければならないのだそう。空港では白い布に身を包んだ一団を見かけることがあるが、それをカメラに収めるのは憚られた。亡くなるとその布で包まれて土葬され、土に還るとされている。
『トルコ・イスラム建築』は、1402年のアンカラの戦で、ティムールに大敗したバヤズィット一世は捕虜となり憤死した。バヤズィットの息子たちの間でスルタン位継承戦が始ま り、オスマン朝は分裂状態になった。1413年にメフメット一世(在位1413-21)が統一するまで、スルタンの空位期であった。この時期にヨーロッパ側のエディルネを本拠地にした息子たちの一人のスレイマンが、1403年に建設を開始し、スレイマンの兄弟メフメット一世が1414年に完成したモスクが、エディルネ・エスキ・ジャーミであるという。
また『イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷』は、建物には施工者メルイブンイブラヒムと建築家ハジュアラエッティンコンヤルの名前が刻まれている。
1749年の火災と1752年の地震で壊れたが、マフムト一世の時代に修復されている。1932年と1944年にも修復が行われた。セルジュクトルコ建築の影響を受けた建物という。
モスクの正面白っぽい門の先に①礼拝室入口、その両側が②ソンジェマアトイェリ、東側のミナレットはバルコニーが一つだけ。
立面図・平面図 トルコ・イスラム建築より
①礼拝室入口 ②ソンジェマアトイェリ(礼拝の時刻に遅れてきた人が礼拝する場) ③ミフラーブ ④ミンバル(説教壇) ⑤ムアッズィン用マッフィル ⑥多ドーム式礼拝室 ⑦スルタンのマッフィル ⑦ミナレット
同書は、ブルサ・ウル・ジャーミの強い影響をうけている。
礼拝室は約45m四方の正方形で、断面が3.4m四方の太いピアを4本立て、9個の等しい正方形のベイを生み出し、各ベイに直径12.5mのドームを架けたプランである。正方形からドームへの移行方法には、トルコ三角形、ペンデンティブ、トロンプを使い分け、ドラムの高さにも変化を持たせているという。
立面図にも平面図にもミナレットは二つバルコニーのあるものしか記載がないのは何故だろう。
複合柱は白い石、アーチはレンガ、壁は白石とレンガのアルマシュク。入口前にこれまで見たことのない不思議な形の玄関。
内部の九つの小ドーム 『トルコ・イスラム建築』より
①礼拝室入口 ③ミフラーブ ④ミンバル(説教壇) ⑤ムアッズィン用マッフィル ⑦スルタンのマッフィル
ⓐ-ⓘ各ドーム
やはりブルサのウルジャーミイのようにカリグラフィーがしたためられていた。しかもここの角柱は太く短い。
赤と白を交互に配した幅の広い尖頭アーチはずっしりと重そう。真ん中のドームの右向こうの角柱には螺旋階段を備えた木製の⑤ムアッズィン用マッフィルがあり、三つ目のドームは正面に見えている尖頭アーチがミフラーブ壁に埋め込まれている。
最初のドームからぶら下がったランプ
最初のドームからぶら下がったランプ
ⓑドームの外側から斜め左方向
カリグラフィーはブルサのウルジャーミイと同じで左右対称のものもある。その一つ一つの下にプレートがあるので、それを書いた能筆家の名前や年代などが分かるのだろう。
ⓑ中央のドームは輪郭が八角形で、礼拝室にはこの四隅にだけムカルナスがある。
そのドームの下に⑤ムアッズィン用マッフィル、入口側に女性用マッフィル
ⓒミフラーブのあるドームはトルコ三角形
『トルコ・イスラム建築』は、壁の一定の高さの所から天井に向けて三角形の面を斜めに繰り出して、天井に正多角形を作り、ドームを載せる方法という。
今までありそうでなかった珍しいものを見ることができた。このトルコ三角形によるドーム架構法については後日
何をしていたのか自分でも理解に苦しむが、ミフラーブ壁全体を写していなかったので、女性用マッフィルの二階から写したもの。ランプでミフラーブが見えないけれど。
そうそう、左端のカリグラフィーの下にあるのが、現地ガイドのギュンドアン氏が言っていたイマームが説教をする台で、梯子がかかっている。
ステンドグラス
中央のパネル上部は紺色の帽子を被ったおじさんの顔のよう。怒っている。
その下には向かい合ったおじさんの横顔とか。
水色や青のガラス片にうねりがある。左へ
ⓓのドーム
黒っぽい部分がオリジナル。針葉樹(糸杉?)と広葉樹が交互に描かれ、四隅のペンデンティブには赤い実をつけた枝垂れた木
ドームの大きさは皆同じだが、壁画はそれぞれ異なり、こんなに小さなものもある。周囲も黒ずんでいるので、古いものかも。中心の文様と縁の文様の間に広い空白があるのも古い様式のよう。
空白部分はⓔのドームに次いで広い。詳しくは後日忘れへんうちににて
ドーム下から斜め右方向
失礼ながら、カリグラフィーというよりもカリカチュアに見えるものも。
ちょっと高くなって、手すりも他のところより前に出ているのがミフラーブの正面。
その後はⓖのドーム
文様部分は広がってきた。後日忘れへんうちににて
ⓗのドーム
中心の文様はⓕのドームくらいの大きさ。黒っぽい部分がオリジナルか、古いものだろう。
詳しくは後日忘れへんうちににて
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参考文献