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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2025年2月7日金曜日

エディルネ ムラディエジャーミイ Muradiye Camii


⑦エスキジャーミイの後は⑧ムラディエジャーミイへ Google Earth より
①セミリエジャーミイ Selimiye Camii ②ユチュシェレフェリジャーミイ Üç Şerefeli Camii ③ソコルルメフメトパシャハマム Sokullu Mehmet Paşa Hamamı ④アリパシャチャルシュ Alipaşa Çarşıs ⑤ベデステンチャルシュ Bedesten Çarşısı ⑥リュステムパシャケルヴァンサラユ Rüstempaşa Kervansarayı ⑦エスキジャーミイ Eski Camii ⑧ムラディエジャーミイ Muradiye Camii  

アタテュルク大通り Ataturk Blv. を渡って、ミマールスィナン通り Mimar Sinan Cd. をひたすら歩いていった。
⑦エスキジャーミイ ①セミリエジャーミイ ⑧ムラディエジャーミイ


イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷』(以下『望遠郷』)は、セリミエ・ジャミイはエディルネを見下ろす東の丘に建っている。このモスクがあるカワク(ポプラ)広場は、14世紀末にパヤズット一世が宮殿を建てた所であるという。
ゆるい上り坂で、①セミリエジャーミイが前方に見えている。

やがてセミリエジャーミイの正門前を過ぎて、

通り過ぎると下り坂。セミリエジャーミイが丘の頂上に建てられたことがよく分かる。


やがて前方にムラディエジャーミイが見えてきて、右手にはなかなか雰囲気の良い建物が現れた。Necmi İğe Evi Etnografya Müzesi という民俗博物館だが立ち寄る時間はなかった。

これ以上下るとムラディエジャーミイの全体が見えなくなる。ミナレットは1本、柱廊のあるモスクである。


この先はもう郊外。何故か紅白の旗で飾られている。


複雑な交差点に来たら古びた建物を発見。
Google Map で調べるとイエニチェリハマム Yeniçeri Hamamı という公衆浴場跡らしい。イエニチェリはオスマン帝国の軍隊の一つで、デヴスィルメといって、帝国内に住むキリスト教徒の子供を徴用して、イスラームに改宗させ教育した。ミマールスィナンやリュステムパシャ、ソコルルメフメトパシャなどもイエニチェリだった。ひょっとして、エディルネが都だった頃、イエニチェリ軍団が使ったハマムだったのかも。

これもハマムの建物。左手はムラディエ通り Muradiye Bayırı
 


Google Earth で見ると南門があって参道も整備されているが、この通りとミマールスィナン通りの間からムラディエジャーミイが見えたので迷わずにそちらを選んだ
ⓐイエニチェリハマム ⓑムラディエジャーミイの参道 ⓒ西門 ⓓ正門 ⓔムラディエジャーミイ ⓕ南門


参道を登っていくと、再びムラディエジャーミイが姿を表して、道は二手に分かれたが、ⓒ右の近い方は扉が閉まっていたので左手ⓓへ。

すると周辺の集落が見えたり、


セミリエジャーミイも見えたりした。


正門への階段は修復中で歩きにくかった。のどかな住宅地が見られて良かったが、どうやら現在は南門から入るようになっているらしい。


境内に入ると手前に傘型の屋根のあるシャドゥルヴァン(清めの泉亭)、続いてモスクの柱廊と1本のミナレットの素朴なモスクが現れた。
『トルコ・イスラム建築紀行』は、逆T字型モスク。1425-27年にムラト二世が建てた。建築家不明という。
また、ムラト二世は同時期にブルサにもムラディエジャーミイ(1424-26)を建て、その後エディルネにユチュシェレフェリジャーミイ(1437-47)を建てている


Google Earth で上から俯瞰すると、五つの柱間のある柱廊に続いてドームの大中が縦に並び、主ドーム(大ドーム)の左右に小ドームがあるという最も簡素な逆T字型である。
TDV イスラム百科事典ムラディエ・コンプレックスに平面図が記載されています。
ブルサのオルハンガーズィジャーミイの構成に似ている。

ムラディエジャーミイキュッリエ(複合施設) Google Earth より
①正門 ②シャドゥルヴァン(清めの泉亭) ③トイレ? ④モスクの柱廊(ソンジェマアトイェリ、礼拝の時刻に遅れてきた人が礼拝する場所) ⑥大ドーム ⑦ミフラーブのあるドーム ⑧右タブハネ(修行者を泊めたザーヴィエがモスクに隣接した部分になってタブハーネと呼ばれ、旅行者が無料で短期間利用できる施設となった) ⑨左タブハネ
用語解説は『トルコ・イスラム建築紀行』より



イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷』(以下『望遠郷』)は、ムラディエジャミイはミマルスィナン大通り沿いの町の北東の丘にある。この建物はイスラム神秘主義に関心が深かったムラト二世によりメヴレヴィ教団の修道者の宿舎として1435年に建てられた。言い伝えによると、教団の創始者メヴラーナジェラレディンルーミーがムラト二世の夢に現れ、修道場の建設を依頼したという。その後ムラト二世はこの建物をモスクに変え、修道者たちを庭に移したテッケに住まわせたという。

これは何の遺構だろう。

入って来た門と②シャドゥルヴァン


③モスクの左脇の建物は水道の蛇口が見えているのでトイレかも。



④ソンジェマアトイェリの屋根を支える柱と尖頭アーチ。そしてアッラーを表すカリグラフィー。


ソンジェマアトイェリの天井は先ほど見えたように小ドームではない。


⑤礼拝室入口

何故かこの上のドームを撮影していなかったが、どうやらトルコ襞によるドーム架構らしかった。

浅いムカルナス

キュンデカリ技法の扉は閉まっていた。これまでも、やっと到着したのに閉まって見られないということがあったのでガッカリしたけれど、幸い扉に鍵は掛かっていなかった。


礼拝室に入ると短い階段がある。そこから最初に目に入ったのは⑦礼拝室のミフラーブと腰壁のタイル、そして部分的に残っている壁画だった。
『望遠郷』は、礼拝場はタイルとフレスコ画で豪華に飾られている。ミフラ ーブの装飾は15世紀初頭にイズニックでつくられた最も美 しいタイルであるという。
全く色彩もタイルもないそのドームはトルコ三角形で加工されていた。詳しくは後日忘れへんうちににて


⑦礼拝室

ミフラーブはブルサのイェシルジャーミイ(1414-1424)のようにタイルだけで造られている。エディルネのムラディエジャーミイは1425-27年なので、ミフラーブの形もタイルもよく似ている。

ムカルナスの下の壁龕にはイマームが入る。



これしかなかったキュンデカリ技法の説教壇の写真。

ミフラーブ両側のステンドグラスは補修っぽい。



左壁奥のタイル装飾
腰壁には六角形のイズニクタイルとトルコブルーの三角形タイルの組み合わせ。

左壁手前のタイル装飾
六角形のタイルにはさまざま植物文様が描かれている。染付のように地が白くないのは、初期のイズニクタイルだからだろう。
TDV イスラム百科事典ムラディエ・コンプレックスは、タイル壁の上端にはレリーフ装飾が施されたパルメットのフリーズがある。このフリーズの下にも壁画が続いていることから、後から付加されたものと考えられているという。
セリミエジャーミイのメドレセで展示されていた陶片はこのフィニアルの一つだった。


右壁説教壇に隣接する壁面
TDV イスラム百科事典ムラディエ・コンプレックスは、イズニクの青白陶器の品質を示すこれらのタイルにより、エディルネにオリジナルのスタイルが現れる。しかし、これらのタイルの多くは 2001年に破壊され盗まれた。現在は修復が完了し、壊れた部分は取り替えられ、盗まれた瓦の場所は石膏で覆われて白地になっているという。
タイルについて詳しくは後日忘れへんうちににて


左壁上部の壁画
カリグラフィーの部分と大きく植物が描かれた庭園のような壁画。他ではみたことがない。

ミフラーブ壁上部の壁画
カリグラフィーの続きが建物の絵とは。

右壁の壁画
左右対称に植物が描かれていたようだ。


⑥大ドーム
階段を上がって見上げればトルコ襞からの架構で、わずかに壁画が残っていた。六角形の採光塔には半ドーム状の曲面があるが、『望遠郷』は、礼拝場には四つの部屋がある。礼拝場のドームには当初は採光窓が開いていたが、今では採光塔が取りつけられているという。ひょっとすると、⑦エスキジャーミイの採光塔も後の時代の補修で取り付けられたものかも。


入口マッフィルの上の壁画


⑥大ドームと⑦ミフラーブのあるドームの境にあるアーチには、これまでに見てきたモスクのドームに描かれたものと共通するモティーフだった。


⑨左タブハネ
二つの窓はタンスのようなもので塞がれている。

その北壁にも壁画が残っていた。



⑧右タブハネ
南壁に残る壁画。壁画についても後日忘れへんうちににて

ドームはペンデンティブのようだが、三角形の曲面ではなく、平面に近いように見える。テュルク系の人たちは、西進している間にペンデンティブやスキンチで架構したドームは見てきたはずなのに、新たな形の移行部を創り出そうとしてきたのかも。


タイルや壁画については後日忘れへんうちににて


さて、後に見ると写し損ねた箇所もあったが、この時は満足してムラディエジャーミイを去った。
来たときと同様北側の正門から出て坂を下りていると、近隣の家の犬に激しく吠えられた。気にせずに歩き続けていると、イスタンブールでよく見かける大きな野良犬ではなく、小型の飼い犬だ、鎖につながれていなかったらしく追いかけてきて唸り声を上げた。
次の瞬間、もっと大きな唸り声を上げたのは、なんとこの私だった。その犬はおとなしく戻っていったが、数十年も生きていると、ちょっとやそっとでは驚かなくなるものだ。

イエニチェリハマムのあった交差点から、ミマールスィナン通りに入ると再び上り坂。トイレに行きたくなったので、道沿いのカフェ「コーヒーハウス アイタチュん家」に入ることにした。カフェハネととい名称なのに、絵がチャイ(紅茶)とは。
チャイを頼むと、女の子が運んでくれた。お金を払おうとすると、その子も店主のお父さんも微笑みながら「要らない」という素振りをするのだった。ラマダン(トルコ語ではラマザン)中だからだろうか。大いに助かりました。


再びセリミエジャーミイに近づいてきたところでハマムを見つけた。エディルネ・サライハマムセンター Edirne Merkez Saray Hamamı というらしい。


反対側に表の入口があった。
Google Map に記されたこのハマムのウェブサイトによって、オスマン帝国史上最古の浴場の一つであること、古宮殿の浴場であったこと、1365年に建てられたことなどが分かった。現在は高級ハマムとして営業中。


セリミエジャーミイを通り過ぎ、再びエスキジャーミイが見えてきた。

次に見学するのはバヤズィットジャーミイのキュッリエ(複合施設)で、アタテュルク大通りにある Orduevi というバス停に向かって行った。





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参考サイト

参考文献
トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社
「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同朋舎出版 1994年 同朋舎出版