お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2025年3月7日金曜日

金角湾沿いの教会と城壁


ガラタ橋の下階で昼食の後は、バスに乗って金角湾を少し遡ったところにある二つの教会を見学した。

イスタンブール Google Earth より
①オトガル Otogar ②テクフル宮殿跡 Tekfur Sarayı ③アタテュルク橋 Atatürk Köprüsü ④ガラタ橋 Galata Köprüsü ⑤聖ステファン正教会 Sveti Stefan Kilisesi ⑥聖ゲオルギオス大聖堂 Aziz George Katedrali
⑤聖ステファン正教会と⑥聖ゲオルギオス大聖堂はフェネル Fener 地区にある。フェネル地区について『イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷』(以下『望遠郷』)は、この地区はかって、ギリシア正教会人居住区であった。16世紀初頭にイスタンブールにやって来たファナリオテス(ギリシア商人)は、オスマン帝国の保護下で巨万の富を集め、中には帝国の高官になる者も現れたという。


ミュルセルパシャ通り Mürselpaşa Cd. でバスを降り、城壁跡のところで現地ガイドのギュンドアン氏に説明を聞く。何故かというと、この日は日曜日で、ブルガリアから来た信徒たちが沢山来ていたから。
珍しく城壁の中に詰まっているものが見えてラッキー。

私はメモもとらず、ひたすら城壁を見ていたので、耳では聴いているつもりでも、記憶には全く残っていない。



⑤聖ステファン教会
城壁跡と金角湾に挟まれたところに造られたブルガリア正教の教会。敷地の門を入ったところで写したら、全体が入らなかった。
説明パネルは、聖ステファン教会はブルガリア総督府の付属施設。全体がプレハブの鉄材で作られた非常に興味深い建物。平面は金角湾に垂直で、三廊式身廊のバシリカという。

教会の写真パネル
ギリシア正教会の聖堂らしくなく、入口上に鐘楼があるタイプで西方の教会のようにラテン十字形なのだった。
説明パネルは、建築様式は一部がネオゴシック、一部がネオバロックで、構造は建設当時ヨーロッパで広く普及していた歴史主義建築の折衷様式で設計されているという。


ナルテクス(拝廊)から身廊を見る。信者でない者は、本来は身廊へは入れないことになっていたが、明らかに信者でない観光客でも入ることは許された。

説明パネルは、ブルガリアの聖ステファン教会はブルガリア総督府の付属施設。全体が
プレス成形された鋼鉄で作られた非常に興味深い建物。平面は金角湾に垂直で、三廊式身廊のバシリカという。

右側廊
ヴォールト天井と交差天井が交互に並んでいる。

イコノスタシス(聖障、聖職者だけが入ることのできる内陣前にある壁)
説明パネルは、金メッキの見事な木製のイコノスタシスは、この建物で唯一注目すべき非金属の部材という。見る角度によっては金ピカでもなかった。


ギュンドアン氏が鉄でできていると言っていたのは覚えていたので、外に出て鉄が錆びているところを撮影。

平面は西方の教会と同じ縦長の十字形。

翼廊と後陣もあるので十字形。

後陣を回って庭園から写す。

斜め前方から。境内で教会の下から鐘楼までカメラには収めることができない。

離れた方が教会がよく見える。

再びバスで移動。建物がなければ対岸が見える。


広い中央分離帯が終わったところでユルドゥルム通り Yıldırım Cd. に右折。すぐのT字路でバスを降りると、オスマン様式のカラフルな街だった。

サドゥクアフメト博士通り Dr. Sadık Ahmet Cd. を南下。右手にローマ時代の壁ではない石壁が現れて、聖ゲオルギオス司教座聖堂であることがわかった。前面に木造の建物があって、そこがセキュリティチェックで、その後数段上って左へ。

あまり古くなさそうな建物

右の小さな建物には、


隣の石壁の上の建物に続いていた。

そして、その左にあるのが聖堂。
『イスタンブール歴史散歩』は、ギリシア正教総主教座は、トルコ征服後、1586年までパムマカリストス教会(現フェティエ・モスク)にあったが、1601年以後はずっとここに置かれている。現在の聖ゲオルギオス総主教会は1720年にできたものである。この教会も、トルコ帝政時代に建てられた他の教会と同様、バシリカ形式だが、これは当時は石積みの円屋根を持ったキリスト教会を建てることが禁じられていたためであるという。

三角破風の丸いもの

上から2段目の窓の下には双頭の鷲は王冠を被り、右足でラテン十字、左足で球状のものを掴んでいる。地球儀のよう。



ナルテクス(拝廊)に入ると、右端にトプカプ宮殿で見たような細工の櫃があった。カバーがあるので貴重なものだろう。『望遠郷』は、象牙をはめ込んだ総主教の台座という。

木片と象牙でイスラームの幾何学文様が構成されている。


中に入ると、
左側廊奥のイコノスタシス


その下部
右に十二使徒に囲まれた聖母子のイコンがある。

イコノスタシスは身廊、右側廊と教会の幅いっぱいに造られていた。

中央上部の小枠には、上談に聖人たち下段にキリスト伝が描かれている。


身廊の正面


右側廊


身廊のヴォールト天井の装飾は控え目。


アンボン(説教壇)は細かな象嵌のある木製のよう。

身廊側のアーケードと左側廊

その平天井或いは浅い交差ヴォールト天井には、

キリストのイコンがあった。左手で持っているのはやはり地球儀のよう。


身廊後部
二階の腰壁には大理石が貼られているのか、描かれているのか石の模様が続いている。
その下には金地モザイク画が幾つか。

天使が教会を献納している。

ゴールドサンドイッチガラスのテッセラはこれ以上大きくするとピンボケ。天使の姿を構成するテッセラがガラスではないのか、とても暗い色をしている。


リュネットのフレスコ画

天使たちがテーブルを囲んで食事をしているって、何の場面だったかな?


聖母子像は側廊に。


教会から出てトイレを拝借。


外壁には聖ゲオルギオスの龍退治の浮彫や、

十字架の浮彫だけでなく、

タイルの破片で造った十字架が飾られているのには驚いた。

赤い釉薬にもいろいろあるので、タイルがつくられた時期はいろいろかも。


その後ホテルへ。夕食まで時間があったので、カドゥルガにあるソコルルメフメトパシャジャーミイを再び訪ねたが、やはり撮影禁止だった。スレイマニエジャーミイでさえ、柵の向こうからは撮影することができたのに、何故だろう。

そして夕食はホテルの最上階のレストランにて。窓越しなのでいろいろ反射するが、アヤイレーネアヤソフィア、その奥にはアジアサイドのチャルムジャ塔まで眺められた。

最初はアプリコットジュースと程々の量のサラダ
トルコは野菜が美味しいので、凝ったドレッシングはかけない。

続いてパンにナッツや香菜をのせて焼いたもの。

メインはズッキーニのドルマ
ドルマは野菜の中を刳り貫いて、中身に米や挽肉、トマトなどの野菜を詰めて煮込んだもの。妙な盛り付けだけどこれで一本なのだろう。トルコの野菜は巨大。


食べているうちに日が暮れてきた。ライトアップされたスルタンアフメットジャーミィ(ブルーモスク)も、マルマラ海を行き交う船も見えてなんという贅沢。その上手間のずんぐりしたミナレットのあるモスクはフィルズアージャーミイ Firuzağa Camii というミマールスィナン以前(1491)に建てられたもの。
前回に双方の見えるレストランの屋上で寒さに震えながら食事をした時は、ちょうどアザーン(トルコではエザーン、礼拝の呼びかけ)の時刻だった。双方のムアッズィン(アザーンを知らせる人)が張り合って、何時までも終わらなかったが、今回は時刻が違うのか、止めてしまったのか、全く聞こえなかった。でも、窓が閉まっていたから聞こえなかっただけかも。

デザートは果物の盛り合わせ、こんなに沢山。

最後にアヤソフィア。満月に近い月が一緒に撮れてラッキー。




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参考文献
「イスタンブール歴史散歩」 澁澤幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社
「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同朋舎出版 1994年 同朋舎出版