ガラタ橋の下階で昼食の後は、バスに乗って金角湾を少し遡ったところにある二つの教会を見学した。
①オトガル Otogar ②テクフル宮殿跡 Tekfur Sarayı ③アタテュルク橋 Atatürk Köprüsü ④ガラタ橋 Galata Köprüsü ⑤聖ステファン正教会 Sveti Stefan Kilisesi ⑥聖ゲオルギオス大聖堂 Aziz George Katedrali
⑤聖ステファン正教会と⑥聖ゲオルギオス大聖堂はフェネル Fener 地区にある。フェネル地区について『イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷』(以下『望遠郷』)は、この地区はかって、ギリシア正教会人居住区であった。16世紀初頭にイスタンブールにやって来たファナリオテス(ギリシア商人)は、オスマン帝国の保護下で巨万の富を集め、中には帝国の高官になる者も現れたという。
ミュルセルパシャ通り Mürselpaşa Cd. でバスを降り、城壁跡のところで現地ガイドのギュンドアン氏に説明を聞く。何故かというと、この日は日曜日で、ブルガリアから来た信徒たちが沢山来ていたから。
珍しく城壁の中に詰まっているものが見えてラッキー。
城壁跡と金角湾に挟まれたところに造られたブルガリア正教の教会。敷地の門を入ったところで写したら、全体が入らなかった。
説明パネルは、聖ステファン教会はブルガリア総督府の付属施設。全体がプレハブの鉄材で作られた非常に興味深い建物。平面は金角湾に垂直で、三廊式身廊のバシリカという。
教会の写真パネル
ギリシア正教会の聖堂らしくなく、入口上に鐘楼があるタイプで西方の教会のようにラテン十字形なのだった。
説明パネルは、建築様式は一部がネオゴシック、一部がネオバロックで、構造は建設当時ヨーロッパで広く普及していた歴史主義建築の折衷様式で設計されているという。
説明パネルは、金メッキの見事な木製のイコノスタシスは、この建物で唯一注目すべき非金属の部材という。見る角度によっては金ピカでもなかった。
ギュンドアン氏が鉄でできていると言っていたのは覚えていたので、外に出て鉄が錆びているところを撮影。
後陣を回って庭園から写す。
離れた方が教会がよく見える。
サドゥクアフメト博士通り Dr. Sadık Ahmet Cd. を南下。右手にローマ時代の壁ではない石壁が現れて、聖ゲオルギオス司教座聖堂であることがわかった。前面に木造の建物があって、そこがセキュリティチェックで、その後数段上って左へ。
あまり古くなさそうな建物
右の小さな建物には、
隣の石壁の上の建物に続いていた。
そして、その左にあるのが聖堂。
『イスタンブール歴史散歩』は、ギリシア正教総主教座は、トルコ征服後、1586年までパムマカリストス教会(現フェティエ・モスク)にあったが、1601年以後はずっとここに置かれている。現在の聖ゲオルギオス総主教会は1720年にできたものである。この教会も、トルコ帝政時代に建てられた他の教会と同様、バシリカ形式だが、これは当時は石積みの円屋根を持ったキリスト教会を建てることが禁じられていたためであるという。
三角破風の丸いもの
ナルテクス(拝廊)に入ると、右端にトプカプ宮殿で見たような細工の櫃があった。カバーがあるので貴重なものだろう。『望遠郷』は、象牙をはめ込んだ総主教の台座という。
右に十二使徒に囲まれた聖母子のイコンがある。
イコノスタシスは身廊、右側廊と教会の幅いっぱいに造られていた。
アンボン(説教壇)は細かな象嵌のある木製のよう。
身廊後部
二階の腰壁には大理石が貼られているのか、描かれているのか石の模様が続いている。
その下には金地モザイク画が幾つか。
天使が教会を献納している。
リュネットのフレスコ画
天使たちがテーブルを囲んで食事をしているって、何の場面だったかな?
外壁には聖ゲオルギオスの龍退治の浮彫や、
十字架の浮彫だけでなく、
タイルの破片で造った十字架が飾られているのには驚いた。
赤い釉薬にもいろいろあるので、タイルがつくられた時期はいろいろかも。
その後ホテルへ。夕食まで時間があったので、カドゥルガにあるソコルルメフメトパシャジャーミイを再び訪ねたが、やはり撮影禁止だった。スレイマニエジャーミイでさえ、柵の向こうからは撮影することができたのに、何故だろう。
最初はアプリコットジュースと程々の量のサラダ
ゴールドサンドイッチガラスのテッセラはこれ以上大きくするとピンボケ。天使の姿を構成するテッセラがガラスではないのか、とても暗い色をしている。
その後ホテルへ。夕食まで時間があったので、カドゥルガにあるソコルルメフメトパシャジャーミイを再び訪ねたが、やはり撮影禁止だった。スレイマニエジャーミイでさえ、柵の向こうからは撮影することができたのに、何故だろう。
トルコは野菜が美味しいので、凝ったドレッシングはかけない。
続いてパンにナッツや香菜をのせて焼いたもの。
食べているうちに日が暮れてきた。ライトアップされたスルタンアフメットジャーミィ(ブルーモスク)も、マルマラ海を行き交う船も見えてなんという贅沢。その上手間のずんぐりしたミナレットのあるモスクはフィルズアージャーミイ Firuzağa Camii というミマールスィナン以前(1491)に建てられたもの。
前回に双方の見えるレストランの屋上で寒さに震えながら食事をした時は、ちょうどアザーン(トルコではエザーン、礼拝の呼びかけ)の時刻だった。双方のムアッズィン(アザーンを知らせる人)が張り合って、何時までも終わらなかったが、今回は時刻が違うのか、止めてしまったのか、全く聞こえなかった。でも、窓が閉まっていたから聞こえなかっただけかも。
デザートは果物の盛り合わせ、こんなに沢山。
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参考文献
「イスタンブール歴史散歩」 澁澤幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社