秘儀荘というのは、ディオニュソスの秘儀を描いたのだろうと言われている壁画が一面に描かれた6の部屋から命名された。
左隣の5の部屋にも壁画があった。パネルとしては小さいが、ここにもポンペイの赤を背景に人物像が描かれている。
奥の部屋Cはアトリウムから南壁が見えた部屋だ。ここからは緑の東壁が見えている。
人物像のパネルの上に壁面を真似て数段が表され、その上が開いていて、東面と南面には他の部屋の上部が見えるように、明るい色彩で描かれている。そして角には角柱。6の部屋よりも進んだ第2様式のように思う。
上の2面のある場所は低いヴォールト天井になっている。そのこちら側は天井が高く、上の方にも壁画があったようだ。
その下には赤というよりも赤紫のパネルが並んでいて、その上には壁面を真似たような絵がある。この部分は、奥の2面よりも前に描かれた第2様式ではないだろうか。
一番手前には6の部屋と繋がった開口部がある。
部屋の北東隅は壁が出っ張っている。壁画は右奥と同じ頃に描かれたものだろう。手前には7の部屋と続く開口部。
だいぶいたんでいるが、ポンペイの赤を背景とした、南東隅と同じ頃に描かれた壁画だ。しかし、上の方に描かれたものは少々異なっている。緑色の3段の壁面のようなものが両側に描かれ、それを中央で立体的に切り開き、2人の人物が描かれている。
床面には三角と四角を斜めに配置したような舗床モザイク。土埃をかぶっているが、赤・黄・緑・黒など、本来は鮮やかな色彩だったらしいことが伺える。
これで見学は終わり、一度外に出て西北の柱廊へ。途中で見かけた部屋にも第2様式の壁画が残っていた。これもポンペイの赤かな。中央のパネルに小さく何かが描かれているようだ。
そのまま北の逆L字形の柱廊を見ながら、CDから建物に沿ったテラスを通って、平面図に現在の入口とされているところから秘儀荘の外に出た。
外から見た秘儀荘。中央の奥まった7の部屋の出入口にはロープが張られている。両側の出張った柱廊間を移動するのに外に出たが、その部分は元々屋根のある居間だった。
復元図では、居間は西側に後陣のような出っ張りのある部屋だったようだ。現在でもその基礎の部分は残っている。
西側には見学した階の下にアーチ列がある。『完全復元ポンペイ』は、建物の前半分は、傾斜地を平らにするために築かれた四角形の人工堤の上に建っているという。
地下にも部屋があったということではないらしい。
これで2時間のポンペイ遺跡の見学は終了。部屋の中まで入って細部を見ようと思ったら、やっぱり一日がかりになるだろう。
※参考文献
「ポンペイ 今日と2000年前の姿」(アルベルトC.カルピチェーチ 2002年 Bonechi Edizioni)
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」(サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス)