お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2012年2月22日水曜日

3日目9 ヴァン城はウラルトゥ時代の遺跡2

やっと広い所に来たが、何も残っていない。ここがウラルトゥの王宮跡?他に広い場所はないので、ここに宮殿があったのだろう。
『地球の歩き方E03イスタンブールとトルコの大地』は、紀元前825年頃に、この地で高度な文明を築き上げたウラルトゥ王国のサルドゥール1世によって建てられたものというが、『ウラルトゥの美術と工芸展図録』にも『世界美術大全集東洋編16西アジア』にも、サルドゥリⅠの在位期間が明記されていないので、前9世紀としておこう。
今回の旅行では、紀元前9世紀という一番古い遺跡のこのヴァン城なのに、これでは思いを馳せようがない。
何もないのでKさんはどんどん東の方に進んでいく。
そこにはこのようなヴォールト天井の建物跡があった。
貯水池です
こんな岩山の上に住んで、水はどうするのだろうと思っていた。しかし、この天井はウラルトゥ時代のものかな。
東の端から西の端まで合わせて長さが1800mあります
ヴァン城の南側は、枯れ草の平地に遺構がパラパラとある。右端の建物はモスク跡、煙突のようなものはミナレット。
ヴァンの街とバスでやってきた道路、そして交差点で見えた修復された城壁が見えた。
この先にも行ってみたい。
しかし、王宮跡と向こうの城壁の間は続いていなかった。地震で裂けたのだろうか。

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南側は凸凹の土地で、先ほどのモスクに続いて日干レンガの遺構が2つ。
ヴァン城の下にはヴァンの旧市街がありました。第一次世界大戦で破壊されました。残っているのはセルジュク時代の建物跡です
そのような土地はヴァン湖まで続いている。湖に近づくほど緑が濃くなっていく。
左奥には住宅地が広がり、東西に走る道路のこちら側には新しいモスクが建っている。小さいながら平面いっぱいにドームが架かり、ペンシル型と呼ばれる細いミナレット、オスマン朝のモスクを踏襲したタイプだ。
手前には古いモスク跡。
先ほどのモスクといい、左手前のモスクといい、同じように太短いミナレット、ヴァン城から見下ろせるのはセルジュク朝の貴重なミナレットだった。
ミナレットの内部は螺旋階段になっているはず。その穴が見えないなあ。
新しいモスクの左側に、日干レンガではなく小さな切石積みの遺構が発掘されているようだ。ひょっとするとウラルトゥ時代の建物跡?しかし、内部は細かく区切られて、中央が広間か中庭になっていた様子。セルジュク時代のメドレセ(神学校)跡と考えた方がよさそう。
左向こうにキュンベット発見。
アップするとピンボケになってしまった。
どちらも列柱の上に八角形の屋根が載っている。このような開かれた建物はキュンベット、円形の墓廟ではないだろう。
王宮跡を戻って行くとヴァン湖が広がっていた。水際には湿地状のところがある。
この緑は牧草地のようで、牛があちこちにいた。
冬になるとヴァン湖から水が上がってきます
セルジュク朝の頃はヴァン湖の水位は今よりは低かったのだろう。
帰りは右側の通路を通ってモスクの下側に出た。東の先まで行くのだと思っていたのに、そのまま下山してしまった。
下山までに見た花はこちら

※参考文献
「地球の歩き方E03イスタンブールとトルコの大地」11-12年 ダイヤモンド社
「ウラルトゥの美術と工芸展図録」1985年 岡山市立オリエント美術館・古代オリエント博物館
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」2000年 小学館