お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2013年10月28日月曜日
デルフィ3 アポロンの神域2 シフノス人の宝庫
デルフィ、アポロンの神域平面図
14のところで参道は曲がっている。
12はシキュオン人の宝庫だった。
シキュオン人の宝庫についてはこちら
シキュオン人の宝庫に続いて一段高い位置建物の遺構が見えてくる。下から見ると木が邪魔で、どんな建物だったかわからない。
入口がよくわからない。
イオニア式柱頭のようなものが上に並んでいる。これがシフノス人の宝庫
13 シフノス人の宝庫 前525年頃 5.4X8.37m
『ギリシア美術紀行』は、金鉱脈の10分の1税として建立された「シフノス人の宝庫」。パロス島大理石によるイオニア式イン・アンティス型の建物で、その2柱は女人柱(カリアティド)という。
シキュオン人の宝庫とは入口が反対になっていて、こちら側(西側)が正面になる。
この位置にカリアティドがあったという。
土台の上に並んだものはイオニア式柱頭ではなく、土台と壁をつなぐ部材らしい。
カリアティドと入口の枠
入口の枠は卵鏃文と下向きのアンテミオンの文様帯。
カリアティド 後期アルカイック時代
アテネ、アクロポリスのエレクテイオンにはカリアティドが数体あるが、前421-406年の制作なので、シフノス人の宝庫のカリアティドの方が先行する。
エレクテイオンに行き着くまでにはかなりの日数がかかります。
少し離れて左側に展示されているのが、カリアティドの上にのっていたエキノス。
2頭のライオンが鹿を貪っているところが浮彫されているのだそうだ。トゲトゲしたところがライオンのたてがみらしい。
東破風「ヘラクレスとアポロンの聖三脚鼎争い」とフリーズ「トロイア戦争と神々の会議」 パロス島産大理石
よく残っている。
ペディメント ヘラクレスとアポロンの聖三脚鼎争い
鼎というよりも三脚だけしかわからない。
脚の長い鼎はオリンピア考古博物館でもあったが、デルフィ考古博物館にも展示されていた。それについては後日。
フリーズ トロイア戦争と神々の会議
右側はトロイア戦争の場面
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、右端の老ネストルは、おそらく息子の戦死を悼んで叫んでいる様子が現されているものと推測されるという。
同書は、中央に遺体となって倒れているのはアカイア軍の戦士アンティロコスで、彼を挟んでトロイア側の英雄メムノンとアカイア側最大の戦士アキレウスが一騎討ちをしているという。
楯の魔除けのシンボルは、都市国家によって決まってるのかと思っていたが、それぞれだったようだ。
トロイの兵士たち
四頭立ての戦車に乗っている人物の名が記されているが、あいにくギリシア文字は読めないのでわからない。
左半分には、天上において神々が集会を開いている情景が描かれている。神々は地上のアキレウスとメムノンの一騎討ちに、どのような結末を与えるべきかを討議しているのであるという。
左からアレス、エオス、アルテミス、アポロンを表しており、この4人はトロイア戦争の際にトロイア側に味方した神々である。5人目の神様はゼウスで、彼は中立を守った。主神ゼウスは肘掛けのあるひときわ豪華な玉座に座っているという。
この描き起こし図を見るまでは、右端も女神だと思っていた。
対する右側の神々は、右側の背を丸めている女神がテティス、その左がヘラ、アテナで、アテナの左の欠損部分にはポセイドンが表されていたと推定されている。テティスからポセイドンまでの4人の神々は、神話によればトロイア戦争の際、アカイア側に味方したという。
では、ポセイドンとゼウスの間の天秤をもっているのは誰だろう。
西フリーズ カリアティドの立つ玄関側の破風はなく、その下のフリーズだけだった。
テーマはやはりパリスの審判という。
左から2つ目
戦車から降りる女性はアフロディテとみなされていた。
左端
北フリーズ ギガントマキア(神々と巨人族との戦い)
同書は、シフノス・フリーズでは、左から右へ戦いながら行進している人物像が神々を、反対方向に進む人物像が巨人族を表しているという。
左端は不明
戦車の隣に立つ背の高い人物は、酒の神ディオニュソスを表している。酒神は背中に獣皮を羽織って、その前肢を胸元で結び、前方に伸ばした左腕にもプロテクター代わりにやはり獣皮をまとっている。車上に立つやや小柄な女性は、掟の女神テミスである。テミスは神々や人間の集まりを司る女神で、巨人族との戦いに際して神々を糾合する役目を果たすために、フリーズ中に描き入れられたのであろう。女神の乗った戦車を引く2頭のライオンも、神々に協力して一人の巨人を襲っているという。
このディオニュソスの装束が、やがてアレクサンドロス大王の着衣として表されるようになるのか。
その右側で弓矢を引いているのは、アポロンとアルテミスの双子の神々である。短衣を着ける手前の男神がアポロン、長衣を着ける奥の女神がアルテミスで、両神はともに弓矢の名手として知られているという。
ヘラ、アテナ、アレス、ヘルメスが巨人族と戦っている。
アテナは、着衣の端にヘビが並んでいるので見分けやすい。
左腕に楯を持つアテナ。楯の裏側中央に腕を通して固定する道具が付いている。
倒れた人物(どちらか不明)の上で格闘する構図は、西フリーズにもあった。
結局は右端まで行き着いた神々の勝利ということになる。
南フリーズ リウキッポスの誘拐
『DELPHI ARCHAE0L0GICAL MUSEUM』は、2組の馬の行進。くびきで戦車に繋がれた4頭の馬と戦士の乗る馬という。
14 メガラ人の宝庫(左) 前450年頃
メガラ人はオリンピアにも宝庫を建てていて(前520年頃)その破風とフリーズが残っているが、デルフィのものはなさそうだ。
15 テーベ人の宝庫 前371年 写真なし
『ギリシア美術紀行』は、レウクトラの戦いでスパルタのギリシア支配を終結させた記念に建立されたという。
16 ボエオティア人の宝庫 前550年頃
オンファロス
世界のヘソと呼ばれる円錐状の石。
『古代ギリシア遺跡事典』は、デルフィが「世界の中心」とされるようになったのは、ギリシア神話の時代にさかのぼる。自らが支配する世界の中心の場所を探ろうとしたゼウスが、大地の東西の両端から2羽の鷲を放つと、その2羽がこのデルフィの上空で落ち合って舞い降りたという。以来デルフィは、「大地のヘソ(オンファロス)」として、世界の中心であると信じられるようになったという。
オンファロスは様々な時代につくられ、複数残っている。出土場所も異なる。これはローマ時代のものとか。
考古博物館には前330年頃のオンファロスがあった。これについては後日。
デルフィ2 アポロンの神域1 シキュオン人の宝庫←
デルフィ4 アポロンの神域3 アテネ人の宝庫
関連項目
デルフィ11 デルフィの町とギュムナシオン
デルフィ10 アポロンの神域9 スタディオン
デルフィ9 アポロンの神域8 劇場
デルフィ8 アポロンの神域7 アポロン神殿
デルフィ7 アポロンの神域6 デルフィの馭者像
デルフィ6 アポロンの神域5 青銅蛇の柱に載っていたのは鼎
デルフィ5 アポロンの神域4 ハロースに埋められていたもの
デルフィ1 まずはアテナ・プロナイアの神域から
※参考文献
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事出版社
「DELPHI」 ELENI AIMATIDOU-ARGYRIOU 2003年 SPYROS MELETZIS
「DELPHI ARCHAE0L0GICAL MUSEUM」 DIANA ZAFIROPOULOU 2012年 BIBLIOSYNERGATIKIS.A.
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版