お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年10月9日水曜日

ペロポネソス半島5 オリンピア8 博物館4 青銅の楯


『オリンピアとオリンピック競技会』は、ペロポネソスで最大の神殿であるオリンピアのゼウス神殿は、エリス人がトリフィリア人の都市(前572年に、既に隣国のピサによって破壊されていた)から奪い取った戦利品を資金として、前470年に着工され、タナグラの戦いでスパルタがアテネとその同盟軍を破った前457年過ぎに完成した。この完成年代は、スパルタが戦勝記念としてゴルゴン・メデューサの顔が描かれた黄金の盾を神殿に奉納したことを根拠としているという。

その黄金の盾を考古博物館で探したが、青銅製のものしかなかった。


楯のエンブレム 青銅製 前6世紀後半 
『OLYMPIA』は、打ち出しによる凶暴な姿の表現。有翼で、ライオンの前肢と魚の尾があるという。
口を開き舌を出している。両手はベルトに挿した先の曲がった短剣を握っている。
もしこの楯そのものが黄金製であったとしても、こちらの方が時代が古い。
楯のエンブレム 青銅製 前6世紀前半
博物館の説明板は、打ち出しと裁断。中央にゴルゴン、周囲に3枚の鎌形の羽根を表したメダイヨン。ゴルゴンの目は骨の象嵌があった。神は蛇、犬のような4本の牙、下を垂らしているという。
何故三つ巴のように羽根が3枚もあるのか。2枚の羽根を鎌形の3枚にすると、回転するスピード感が出て、より敵を威圧したのだろうか。


メドゥーサの首だけが表された楯は陶器に描かれている。

コリントス黒像式ヒュドリア 前570-550年頃 ダモスの画家 チェルヴェテリ出土 パリ、ルーヴル美術館蔵
丸い楯全面に大きくメドゥーサの顔が表されている。

これらのメドゥーサ像からは100年以上たってから奉納された楯に描かれていたメドゥーサはどんな姿だったのだろう。

博物館には全く異なる楯もあった。

左右対称のペガサスの楯飾り 時代不明

おまけ、青銅製防具いろいろ

コリントスの兜
A 後期のタイプ 前6世紀末-5世紀
B 発展期のタイプ 前7世紀中葉-前6世紀初頭
C 初期のタイプ 前7世紀

胸当て 前650-625年頃 イオニアの島の工房で制作
全体に刻線による装飾がある
上段 左右対称のライオンと牡牛の組み合わせ、中央にライオンとスフィンクス
下段 戦いに勝利して帰還した兵士達を出迎える女性たちとリラを弾く楽師
この衣装はギリシア風?
うーん、そのような線刻があるような、老眼でよく見えないような、ピンボケのような ・・・

上段は肩当? 前7世紀頃
中央のものには膝頭にゴルゴンが打ち出しで表されている。

下 mitra(lionguard) 腹部の防具 クレタ工房制作 前7世紀後半
左のものはハープを弾く女性が線刻されている。
脛当て? 前6世紀
それぞれ打ち出しによる植物文のようなものがある。

オリンピア7 博物館3 ゼウス神殿のメトープ←      →オリンピア9 ヘラ神殿界隈

関連項目
メドゥーサの首
オリンピア12 オリンピアのトロスはフィリペイオン
オリンピア11 宝庫の軒飾り・棟飾り
オリンピア10 スタディオンの西に並ぶもの
オリンピア6 博物館2 ゼウス神殿破風の彫刻
オリンピア4 博物館1 フェイディアスの仕事場からの出土物
オリンピア3 フェイディアスの仕事場
オリンピア2 オリンピック競技のための施設
オリンピア1 遺跡の最初はローマ浴場

※参考文献
「オリンピアとオリンピック競技会」 ISTEMENE TRIANTI,PANOS VALAVANIS 2009年 EVANGELIA CHYTI
「OLYMPIA THE ARCHAEOLOGICAL SITE AND THE MUSEUMS」 OLYMPIA VIKATOU 2006年 EKDOTIKE ATHENON S.A.