お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年8月10日月曜日

グル・エミール廟3 南及び西側


グル・エミール廟を東部回廊南から出ると、

細かく浮彫された木の扉が素晴らしい。

マリカさんによると、ティムールの時代、木の扉は文様の凹みに貴石が嵌め込まれていたとか。

外に出ると、時計回りに。
この高いドームについては後日
写真に写っているのは、地下墓室の扉が閉まっているのを眺めている人。
以前は入ることができたらしいが、現在では鍵がかけられている。
『ウズベキスタンシルクロードのオアシス』は、裏手の戸から地下室へ通じる階段があり、地下1階の部分の4間四方ほどの薄暗い部屋に、1階と同じ配列で墓が並んでいる。中央のティムールの墓石は半間X1間半のコーランが一面に刻まれた大理石で造られており、石の壇の上に置かれている。
1941年にソ連の調査隊が初めて彼の墓を開き、右足が短く、赤毛で頭の大きい、言い伝え通りのティムールの遺骨を確認したという。
ガイドのマリカさんは身長187㎝で金髪だった。ウズベク人は大きいですといっていた。
どちらにしても、碑には、アラビア語で「ティムールはジンギス・ハーンと共通の祖先を持っている」と記されている(同書より)が、モンゴル族であるチンギス・ハーンの子孫ではなかったことは確か。

南部回廊とはいうが、建物の基礎だけ。
廟に付属していた壁体がわずかに残っているが、部屋の面影はない。
残骸を見上げていると、上の方にムカルナスだったものがありそう。
ムカルナスのところだけ漆喰かな。
ムカルナス下部の平たい部分は焼成レンガのようだが、凹面となるムカルナスは漆喰か、それとも焼成レンガの小片を組み合わせていたものが剥がれてしまったのか、よくわからない。

西側にまわると、大ホールの東側に奥行のあるイーワーンが開いていて、廟のバンナーイの外壁が見えている。そして、その床にも石棺があるのだった。

その先にも大理石の床と基礎部分が再現されている。おそらくハナカだったところ。

平面図でMとした4箇所の丸いのはミナレット址で、このように反時計回りの階段が付いて、ある程度の高さまで復元されている。
外からも見える、このプラスチックの屋根の下には、石製の遺物が置かれている。
観光客が囲んでいるのは、ティムールが最後の遠征に出発する前に、兵士に飲ませた酒の入っていた巨大な容器。

            グル・エミール廟2 内部

関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
ドームを際立たせるための二重殻ドーム
グル・エミール廟1 外観

※参考文献

「ウズベキスタ ンシルクロードのオアシス」 萩野矢慶記 2000年 東方出版