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やっとアナトリアの遺跡巡りを開始しました。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
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2026年4月24日金曜日

フリギア渓谷の遺跡巡り アスランタシュとユランタシュ


続いて③アスランタシュとユランタシュへ 地図はGoogle Earth より
エスキシェヒル Eskişehir ②ミダス記念碑(ヤズルカヤ) Yazılıkaya/Midas Anıtı ③アスランタシュとユランタシュ Aslantaş-Yılantaş Ören Yeri ④アフィヨンカラヒサール ⑤アイザノイ Aizanoi ⑥キュタヒヤ Kütahya 
説明パネルは、①エスキシェヒル、④アフィヨンカラヒサル、⑥キュタヒヤに囲まれたフリギア高地は、フリギア人が歴史を通じて政治的にも文化的にも最も強力で影響力のある地域だったという。

バスは②ミダス記念碑を出て切り立った岩壁や

草地で放牧された羊の群も見ることができ、

仔羊だろうか、頭に赤い色を付けてあるのは。


開けたところもありいの、


羊の群が石になったような斜面もありいのして、


ところが道路工事中で引き返して遠回り。



説明パネルは、主にエスキシェヒルの境界に位置するこの地域には、前8-6世紀前半にかけて多くのフリギアの要塞が建設された。これらの要塞は、フリギア渓谷として知られる深い谷の近くの岩だらけの台地に位置し、周辺地域と谷へと続く道路を支配する戦略的要衝を占めていた。切り立った岩壁で守られた要塞内には、岩を削って作られた傾斜路、階段状の入口、巨大な貯水槽、貯蔵庫、階段付きのトンネル、祭祀記念碑、そして石室墓が設けられていた。その他の小規模な要塞は、監視や情報収集の拠点として使用されていた可能性があるという。

その岩崖は現代切り出されるとこんな感じ。

その内に同じ高さの風化した岩壁となり、


崖の中程に四角い穴が幾つもある。フリギアの岩窟墓が並ぶギョイニュシュ渓谷 Göynüş vadisi に到着。

アフヨンカラヒサール Afyonkarahisar 近郊 Google Earth より
ユランタシュ Yılantaş Ören Yeri アスランタシュ Aslantaş Ören Yeri Jマルタシュ遺跡 Maltaş ören yeri 

説明パネルは、フリギア高地の他の記念碑としては、岩窟墓がある。墳丘墓と同様に、これらは恐らく貴族の墓であったと考えられる。墓はフリギアの要塞の切り立った岩壁、あるいは近隣の岩層に彫られている。内部はしばしばフリギアの木造家屋の建築様式を模して彫刻されているという。

中は見ることができない。


Hユランタシュ
バスを降りて最初に見たのは地震で崩落したライオンの浮彫断片。これがアスランタシュ(ライオンの岩)かと思ったらユランタシュ(蛇の岩)だった。
Cultural Inventoryアスランタシュとユランタシュは、ユランタシュの墓はアスランタシュの西約70mに位置している。アスランタシュよりも大きく壮麗だっが、その土台となっている岩が地震によって崩壊したと考えられているという。

横向きのライオン頭部
説明パネルは、記念碑の損傷により、三角形の天井梁が見えるようになっている。ライオンのレリーフと足のレリーフは、現代まで残っている。扉には蛇の浮彫があり、両側には蛇を攻撃する二人の戦士が描かれている。岩が逆さまになっているため、この場面は今日では下から見ることはできない。前8-7世紀のものとされているという。
その蛇の浮彫があるので「蛇の岩」と呼ばれている。鬣がパンチパーマのようで、耳の下からは顎髭のように鬣が伸びている。

その後方に後肢の浮彫のある岩とペディメントが見える岩壁。


V字形の浅浮彫のある後肢
アスランタシュとユランタシュは、岩の表面に彫られたライオンの浮彫の破片の一つには、ライオンの絡み合った2本の肢がある。地元の人々がこれらの肢を蛇の頭と見なしたことから、ユランタシュという名前が付けられたという。
後肢は2本あるかな?

背後に見えるのは、前方が崩落してしまつた墓の後部?
同ページは、崩れた埋葬室の背面と左側の壁は、岩盤上にまだ残っている。外側に大きなライオンの浮彫がある右側の壁と、北向きの墓の入口がある正面は破壊されている。埋葬室は一つしか残っていない。傾斜した屋根には、梁も浮彫で彫られている。岩の奥の壁には、傾斜した天井の三角形の形状が見られる。
左側の前には、両端に短い柱が立つ、墓の入口の外側には、扉の両脇に立つ二人の戦士の浮彫がある。彼らは槍、兜、盾で武装し、門を守る守護者のように見える。戦士たちの間には、扉の上にゴルゴンの頭部(蛇の髪を持つ神話上の生き物)もある。E・ハスペルは前6世紀頃のものとしているが、その独特な特徴から、より後の時代のものである可能性が示唆されるという。
奥まで見に行かなかったが、同ページで丸い盾と槍を持つ二人の戦士のイラストなどを知ることができる。


もっと先へ進んでいくが、

墓がないかあちこち写しながら行くと、自然のものとは思えない横筋が気になって、


ちょっと寄り道してみたがこの先で岩壁がなくなっていた。


何の装飾もない四角い穴だけもあった。


そんな風に気ままに見学しているので、いつも皆さんから遅れがち。


右の岩壁に目をやると、

墓穴があちこちにあるが、何かの浮彫はなさそう。


続いて柱のようなものに前肢で寄りかかって向かい合うライオン像。これこそがアスランタシュ(ライオンの岩)だった。
のは、アスランタシュは谷で最も注目すべき墓である。その名は正面に彫られたライオンの浮彫に由来する。墓の岩は地上から11mの高さがあり、正面だけでなく両側面も平らに削られている。墓の入口はライオンの間にある。岩の上部にも彫刻が施され、階段があるという。

正面のライオンの浮彫は、後肢で立ち、互いに向き合っている姿で描かれている。その足の間には、風化が進んだ2頭の仔ライオンがいるという。

左のライオン


右のライオンは苔が鬣のように見える。


その下には仔ライオン


内部は全く見えないが丁寧に3段に彫り込んでいる。
内部について説明パネルは、非常に装飾的な正面、小さな入口、平らな天井、ベッドのない部屋は一般的に後期の特徴であるが、この墓は前8世紀という初期の時代に遡るという。


バスへ戻る時に見えた岩壁にも墓穴が。

道路の向こうはもっと崩壊が激しく、


続く岩壁も低く、切り立っておらず、


岩窟墓も自然に戻りつつあるようだ。



Ⅰマルタシュの遺跡 Maltaş ören yeri  前8-6世紀
この谷の南方にある遺構で、見学はしなかったが、 Google Map でいろんな画像を見ることができる。それはミダス記念碑と同じように切妻屋根があるが、端がややカーブしている。そして3段の刳りがあり、ペディメントは中央に斜めにした正方形が五つ並ぶ角柱がある。この箇所がミダス記念碑が崩壊仕掛けていて分からないところだ。
その下は幾何学的な浅浮彫が施されている。ただ下部の壁龕の奥は穴が開いている。

Türkiye Kültür Portalı の MALTAS FRIG ANITI は、壁龕の基部中央にある窪みは、おそらくキュベレの持ち運び可能な像が置かれていたほぞ穴であろう。壁龕内部で向かい合って描かれた扉パネルは、神殿の扉が完全に開いていたことを示しているようだ。壁龕の奥の壁にある大きな開口部は、その背後にある井戸の底へと通じている。この通路は、フリギアの遺跡であるバフシャイシュ遺跡やデリクリ・タシュ遺跡に見られるように、壁龕と背後の井戸をつなぐ円形の穴の形をしていたはずであるが、おそらく宝探しをする者によって壊され、広げられたのだろうという。 
キュベレ像はマタル像。なんとその背後には井戸があったとは。そこから水を取るために、マタル像は移動させることができる程度の大きさだったのだ。

その後アスランタシュから南東へ直線距離で6㎞くらいのところにある Ayazini という町のレストランへ。この付近は凝灰岩の岩壁を掘り込んで11世紀のビザンティン教会や住居、墓地があって、カッパドキアみたいなところらしい。レストランの外観もそれを模したものかも。

スープにサラダ

そしてメインは鶏肉のグリル。トルコでは日本と同じように切り身で出てくるので食べ易いけれど、量は半端ない。


そしてデザートのストラッチ(ライスプディング)




2026年4月10日金曜日

エスキシェヒル Eskişehir にも古いモスク


昼食後は旧市街の見学をした。 Google Earth より
③オドゥンパザル近代美術館 ④アトルハン手工芸品市場 ⑤クルシュンル・モスクと複合施設


バスで移動して③隈研吾氏設計のオドゥンパザル現代美術館 Odunpazarı Modern Museum (OMM) の前へ。写真はアタテュルク大通り Atatürk Blv. の北側から写したが、

右側通行なので、バスは遠回りして南側へ回ってくれて、お陰で他のオスマン朝時代の上階になるほど出っ張る三階建ての建物が、色調が異なり、最上階の中央の屋根が切妻になっていたりするのが見えた。

美術館の少し手前で下車してこの階段を上がって、美術館と青い建物の間のアリフベイ Arifbey Sk.  小路に入った。

狭い通りには二階建ての建物
が犇めくように並んでいる。

日本より早く咲いた藤の花


こういう色の方が落ち着いて暮らせそう。
トルコの国旗の三日月はイスラームを、星は自分たちが遊牧民だったことを忘れないようにという意味だそう。

なんとなく屋上に八角形の塔のようなものがあったりと異国情緒が感じられる。それはこの町にはクリミア・タタールの人たちが移住してきたからも。

パザロール Pazaroğlu Sk.小路に入ると濃いクリーム色の横長の建物があって、

それは④アトルハン・エル・サナトラル・チャルシュス Atlhan Sanatları Çar Şısı という歴史あるキャラバンサライの建物で、現在は手芸品などの商業施設になっている。

キャラバンサライの中庭には模型の荷馬車が置かれている。町が小さいので商業施設のハンも小さい。ブルサのコザハンの1/4くらいだろうか。
ここが集合場所となった。


ケマル・ゼイティノール Kemal Zeytinoğlu Cd. という広い通りに出ても色とりどりの町並みが続く。広い通りを渡って、

東側の狭い道に入ると土産物屋が並んでいたが、白っぽい建物が多くてほっとした。

その後狭い通りを右折左折して、

やがて⑤クルシュンル・モスクのミナレットが見えてきた。

ここからしか写せなかったミナレットのバルコニー下のムカルナス


俯瞰したモスクと複合施設 Google Earth より
❶正門 ❷シャドルヴァン ❸礼拝室入口 ❹ソンジェマアトイェリ ❺礼拝室 ❻ミナレット ❼ザーヴィエ(デルヴィッシュ達の宿泊所兼修道場) ❽タブハネ(旅行者を無料で短期間宿泊させる施設) ➒


❶北入口は、イスタンブール、カドゥルガ地区にあるソコルルメフメトパシャジャーミイの正面入口ほどは高低差はないものの、数段の石段があった(人で見えない)。

クルシュンル・モスクと複合施設 Kurşunlu Cami ve Külliyesi
İSLAM ANSİKLOPEDİSİKurşunlu Külliyesiは、オドゥンパザル地区に位置するこの建造物は、ユスキュダル-パヤス街道沿いの街道沿いの複合施設の一つ。モスクの入口上部の碑文は、1515年の日付を示している。しかし、碑文にはスレイマン大帝の名前と、創設者であるムスタファ・パシャの宰相としての地位が記されている。チョバン・ムスタファ・パシャの寄進証書は1526年の日付。碑文の日付、表現、そして寄進証書の日付を考慮すると、この複合施設は1515-26年に建設されたと考えられる。
ミマール・シナンの前の主任建築家であるアジェム・アリの時代に建てられているので、アジェム・アリがこの複合施設の建築家でもあった可能性が示唆されているという。

❷シャドルヴァン(清めの泉亭)
同ページは、モスクの北側にある清めの泉亭は1960年代に建てられた。菱形の柱頭を持つ8本の大理石の柱に支えられた広い軒のある小さなドームで覆われているという。
菱形の柱頭というのは蓮の花を幾何学的に表現したものだろう。

❻ミナレットと❹ソンジェマアトイェリ(礼拝時刻に遅れてきた人が礼拝する場所)
同ホームページは、正方形の平面を持つ、単一ドームのモスクで、切石で造られている。モスクの北側には、五つの小ドームのある柱廊がある。ドームは、ムカルナス装飾の柱頭がのる6本の大理石の柱の上に立つ尖頭アーチのペンデンティブで支えられている。アーチは白と赤の石を交互に配しているという。

ここで解散となり、少ない時間ながら私はこのモスクを見学することにした。

❺礼拝室は単一ドーム

キブラ壁(メッカの方角)にミフラーブとミンバルがあるだけのシンプルな造り。


ドームは大きな2枚のムカルナスでできたスキンチで正方形平面から八角形へ移行し、そのまま円形を導いている。この辺りの装飾はについて同ページは、礼拝堂にはペンワーク装飾のみが施されており、最近修復されたという。

ミフラーブの外枠も修復されているが、その内側はオリジナル。
同ページは、多角形のニッチのミフラーブは、大理石を模して油絵で描かれているという。

緑の部分 は大理石を模した風合いを出している。
ムカルナスのヴォールトを持つミフラーブの角の部分の上には、メヴレヴィー教団の帽子があるという。ムカルナスの頂部がその帽子を表しているということか。

ムカルナスの外側には襞のある布で荘厳しているように描かれている。

ムカルナスの下にはカーテンの上飾り(スワッグ)のように描かれていて、たくさんの房がさがっている。

そして脇の面にカーテンと房飾りまで描く念の入れよう。
これを見ていて思い出したのはイスタンブールのハセキヒュレムスルタンジャーミイ(1539-50年ミマールスィナンが最初に造った複合施設、16世紀に礼拝室を追加)のミフラーブやミンバル(説教壇)に描かれた絵。

古典的な比率で建てられた説教壇は大理石でできているという。


時間が気になったのとミフラーブに見入っていたため、後方の女性用マッフイルは見損ねたが、同ページは、入口側にある木造の女性用マッフイルは後から追加されたと思われるという。
集合時間に何とか間に合い、バスでホテルへ。


エスキシェヒルの町 Google Earth より
①ポルスク川の橋で下車 ②昼食のレストラン ③オドゥンパザル近代美術館 ④アトルハン手工芸品市場 ⑤クルシュンル・モスクと複合施設 ⑥夕食のレストラン



夕食は再びバスでアイテンウスタグルメレストラン Ayten Usta Gurme Restoran へ。

端を渡ったら公園かと思ったら、灌漑用の池の向こうにレストランがあるのだった。


四人分のパンと前菜。


少しずつ取り分けた前菜(メゼ)と私が選んだパン、そして自家製アイラン(工業製品よりも美味しい)


続いて四角いパスタ入りのスープ(かなり食べた)とサラダ(今となっては赤いものが何だったか分からない)


メインのバラバン・キョフテ(エスキシェヒル風)で
下に細かく切ったパンが敷いてある。

デザートは Cennet Çamuru なるカダイフ




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参考サイト

参考にしたもの
説明パネル