アナトリア文明博物館の内部は Anadolu Medeniyetleri Müzesi で見ることができます。
同館図録は、ウラルトゥ人は前1千年紀初期にヴァン湖地方に国を建て、最盛期にはウルミア湖とユーフラテスの谷、南トランスコーカシアのギョクチェギョルからアラクセスの谷、そして黒海の東岸からアッシリアの国境にまで拡がっていた。
はじめてその名が現れるのは前8世紀、アッシリア王シャルマネセル一世の楔形文書である。ウラルトゥ人はセム語系でもなくインドヨーロッパ語系でもなく、フルリ語に属するものと思われている。「ウラルトゥ」の名は前6世紀、北方からのメディアやスキタイの侵入によって消え去る事になるという。
フルリ人は青銅器時代にミタンニ王国を築き、ガラスをつくった人々と同じ民族だ。その後ガラス制作はどうなったのかな。
アディルジェヴァズ・ケフ Adilcevaz Kef 城塞の大きな写真パネル
アッシリアの建築とはちがって、石の土台に木材の長い梁を使用する事が多かった。円柱の並ぶ玄関ホールを備えた神殿や宮殿は建築史に残るものであるという。
建物内の柱礎 前7世紀 40×140×110㎝ アディルジェヴァズ・ケフ城塞
大きな石のブロック
説明パネルは、この柱礎は、ウラルトゥ王ルサ二世がアディルジェヴァズ・ケフ城塞にハルディ神のために建てた神殿兼宮殿に由来する。中央の大広間の屋根を支える二階部分は、角柱の浮彫のある柱礎になっている。この建築的特徴は、アナトリアにおけるギリシャ建築の彫刻された柱(columnae caelatae)の先駆けの一つという。
上から見ると
側面には同じデザインが繰り返される。
新アッシリア時代(前875-860年頃)の守護精霊に似ているが、アッシリアでは頭部は鳥だがウラルトゥでは人間になっていること、ライオンに乗っていること、そしてアッシリアでは生命の樹(組紐文のナツメヤシ)に受粉しているのに、ウラルトゥでは小さな糸杉に置き換わっていることなどの違いがある。
青銅器類 前8-7世紀
青銅製棺 前8-7世紀
アマスヤ博物館に展示されていたバスタブ型の青銅製棺(前1世紀)に似ている。把手は縦に付いているけれど。青銅製大鍋はもう1点、こちらは人面鳥が四つ。
フリギア時代にゴルディオンから出土した大鍋とほぼ同じ。
本作品は翼の細部を細かい彫りで表現しているし、背中に環が残っている。
しかし、他の鳥の背中には環があるのに、写したものに限って環がなかった。帯状の青銅製品
『世界美術大全集16西アジア』は、ウラルトゥの美術作品のなかでもこのような青銅製のベルトは周辺地域に類例を見ない特殊なものである。多くは幅が10㎝以上あり、周縁部に小さな穴が等間隔に穿たれているのは布や革に縫い合わせたのだろう。裏側にモティーフを彫り込んだ型(おそらく石製)を当てて打ち出された文様には、種々の動物、合成獣、神像などがあるという。
大小様々な土器
蓋付きのものも。右奥は竈のよう。
上写真の壁に展示されているのは壁画のほんの一部 前8世紀後半-7世紀前半
アッシリアの強い影響を受けてはいるが構図も様式も異なり、幾何学模様や植物モチーフ、さまざまな動物のシーンなどが明るい色調で描かれている。 赤、青、ベージュ、黒、白、まれには緑色などの明るい色を使っていきいきと描いているという。
人面の壺
何故か現在中央アジアで暮らしている女性にたまに見られる繋がった眉で表される。
木製品テーブルとその部品
同館図録は、伝統的な象牙彫りも継承されていた事がわかるという。
小さいながらも立っている。ひょっとしてゲームの駒?
コアガラスと人面蜻蛉玉(ピンボケ)
レースガラスかと思ったが、棒状の色ガラスを並べて溶かした縁熱垂下法のものだった。
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地下の展示室にはヘレニズム時代からローマ時代までの遺物が並んでいたが、とてもゆっくり見学する時間がなく、目に付いたものを撮影するに留まった。
金の装飾品
オリーブの花冠 ヘレニズム時代
ガラス容器
上段はコアガラス、階段は吹きガラス
コアガラスと人面蜻蛉玉(ピンボケ)


































