説明パネルは、ヤズルカヤ(文字が刻まれた岩)は、ヒッタイトの岩窟聖域として知られている中で最大のもの。この聖域の主要部分は、屋根のない中庭のような部屋Aと、もっと小さな部屋Bで構成されている。両部屋は、ヒッタイトの神殿と同様に大きな建築群によって外部から隔てられていた。
大きな違いは、部屋AとBは屋根で覆われていなかったこと。ヤズルカヤの部屋Aは3月の新年祭で重要な役割を果たしていたと考えられており、部屋Bは前13世紀の王たちの祖先崇拝において機能していたと考えられている。
大きな入口の門の建物Ⅰから入り、柱廊のある中央の中庭2を通って神殿へ入ったという。
右手には②門の建物跡
ギャラリーA 左右の岩壁に浮彫が続いている。
説明パネルは、毎年春に新年の到来を祝う場所として使われていたと考えられている。聖域の側面には、フルリのパンテオンの神々の高浮彫が施されている。神々はおそらく行列のように二列に並んでおり、右側には女性、左側には男性(2柱を除く)が並んでいる。それぞれの神の名前は、突き出た手の上にルウィ語のヒエログリフで記されている。この二列は、嵐の神テシュプと太陽の女神ヘパトが出会う、後壁のメインシーンに向かっている。
しかし、聖域内で最も大きな浮彫は反対側の壁にあり、ハットゥシャの大王トゥドハリヤ四世を描いている。彼の治世中、前13世紀後半にこの複合施設が現在の形になったと考えられているという。
ヒッタイト新王国時代末期なので、アラジャホユックのスフィンクス門とオルトスタット(前14世紀)よりも後につくられたものだ。
No.1-12 黄泉の国の十二神
『古代都市Ⅰ ハットゥシャ』(以下『古代都市Ⅰ』)は、とんがり帽子を頭に、爪先の跳ね上がった靴を履いた十二神が、中央の主神に向かって規律正しいポーズで駆け足しているという。
名前は解読できないが、装いから山の神とされる
『古代都市Ⅰ』では、山の神3柱のつづきにNo.16の神が表されているらしいのだが、確認できない。スカートの鱗状の飾りも分からない。曇っていたので鮮明に写らなかったのか、技術が伴わなかったのか。
山の神の帽子の間にはルウィ語のヒエログリフで神の名が刻まれている。
No.16A・No.17 山の神
名前は解読できない。うろこ状の飾りがついた長いスカートを身に付け、帽子の頂点が前に垂れている
No.16A 赤っぽい地衣類が付いている箇所
No.17 割れ目の次
No.18-24 とんがり帽子とキルト姿の、未確認の神々
No.20は他の神々よりも大きく表されていて、スカートか長衣か判別できないが、他の神たちとは服装が違う。
No.23・24 未確認の神
あご髭をたくわえ、槌矛を手にしている
前の神はあごひげが分かる。
No.26 神ビサイサビ
No.27 冥土の神ネルガル
No.28・29 牛人
人間と牛の合体した牛人が大地を踏みしめ、頭上に天空を掲げている。世界を象徴したものであろう
No.30 戦いの神ザババ とんがり帽子に角が見える。刀を右肩にのせる
No.31 神ビリンキル 半円形のキャップを被る
No.32 守護神鹿の神
No.33 戦いの神アスタビ 右前に刀をのせる
その先で面が変わる。
次の面へ。段々神が大きく表される。
No.34 太陽神
半円形のキャップを被り、長いコートに身を包んでいる。右手に先端が大きくカールした聖杖を下げ、頭上に有翼日輪が乗る
有翼日輪でヤズルカヤよりも遡るものにエジプト新王国時代第18王朝末期の王ツタンカーメン(前14世紀後半)の副葬品厨子型カノプス櫃がある。
反対側の突き当たり
No.35 月の神
『古代都市Ⅰ』のイラストや写真ではこの神は背後に大きな翼がある。有翼精霊を拙ブログで調べても、ヒッタイト新王国時代より古いものはなかったが、もっと古いものを見つけたので、後日忘れへんうちににてこちら
No.36 神サウスカの侍女クリッタ
半円形のキャップで頭を包み、たっぷりしたプリーツのあるスカートをはいている。鏡あるいはタンバリンを手にしている
No.37 神サウスカの侍女ニナッタ
クリッタと同じ装いで、右手に持つのは角の形の軟膏入れらしい
No.38 サウスカ
斜肩から大きな翼が上に伸びている。長いスカートが半ば女性であることを示すが、男神の列に加えられている
No.39 知恵の神エア
袖なしコートをはおり、肩に槌矛を担いでいる
最奥部の最も重要な場面
『古代都市Ⅰ』は、ギャラリ-Aに神々の浮彫が施されたのはハットゥシリ三世(前1275-50)の時代だった。万神殿の建設には王妃プドゥヘパも強い熱意を示し、尽力したという。その王妃の自負心から、夫君ハットゥシリ三世をテブシュプに、自らをヘパト、息子のトゥドハリヤ四世をシャルマとして表したとも考えられようという。
詳細は忘れへんうちににて
ギャラリーAの最奥部から右壁にはNo.46AからNo.64までの神々が浮彫されているが、撮影し損ねた像も多い。
写せなかった女神たち
No.46A 女神タッルタキトゥ
浮彫像は失われたが名を表す象形文字が残っている
No.47 女神フテナ
No.48 フテルラ
女神像の中で最も良く残され、上の象形文字もはっきりとしている
No.49女神アラトゥ
頭上に壁龕が彫られたため、女神の頭部が一部破壊されている
No.50・51 未確認の女神
No.52 女神サルサ
No.53 神タブキナ 知恵の神エアの妻
No.54ニッカル 月の神の妻
カルトゥシュを右手で掲げ、左手には先の曲がった聖杖(リトゥウス)を握っている。
詳しくは後日忘れへんうちににて
その後は浮彫はなく、
ギャラリーAを出た角に四角い区画があって、
縦長のカルトゥシュが二つあるのが分かるくらい。
続いて狭い岩間を抜けてギャラリーBへ。
説明パネルは、狭い通路を通って入ることのできるこの部屋は、前13世紀末に息子のシュピルリウマ二世によって建立されたトゥドハリヤ四世の記念礼拝堂であったと考えられているという。
No.67-68 ペアの魔神像
ギャラリ-Bの門の両脇に立ち悪を祓う
左側しか写せなかったが、同書のイラストによると、ライオンの頭部で人間の姿。外側を向き、悪魔が入らないように両手を挙げている。
説明パネルは、狭い通路を通って入ることのできるこの部屋は、前13世紀末に息子のシュピルリウマ二世によって建立されたトゥドハリヤ四世の記念礼拝堂であったと考えられている。前世紀末まで埋もれていたため、壁の浮彫は主室のものよりもはるかに良好な状態で保存されているという。
突き当たりは三方が崖に囲まれている。
西壁
No.69-80 黄泉の国の十二神
北(右手)に向かって行進する
『古代都市Ⅰは、ギャラリ-Aの同じ場面(No. 1-12)よりも上質で、美しい仕上がりとなっているという。土に埋もれて風化しなかったからというだけではなく、神の名も刻まれず、密に彫り込まれているからだろう。
反対側の突き当たり
東側には壁龕は一つ
No.81 シャルマ神とトゥドハリヤⅣ
『古代都市Ⅰ』は、テシュプの息子シャルマは伸ばした左腕でトゥドハリヤ四世の肩を抱き、左手は王の右手首を握っている。右手の上の奇妙な象形文字は神、シャルマを意味する。
神に比べて小さな身体で表現された王は半円形キャップに長いコ-ト、腰には刀、左手に聖杖(リトゥウス)を握っている。ギャラリ-AのNo.64と同じ装いであるという。
詳しくは後日忘れへんうちににて
No.82 巨大な刀剣を表した風変わりな浮彫(説明パネルより)
『古代都市Ⅰ』は、高さは3.39mに達し、刀の先は地中に突き立てられている。刀の握り部分は左を向いた神の頭部を象り、そのとんがり帽子には幾つもの角が並んでいる。刀身には上半身を背中合わせにした2頭のライオン、その下は逆立ちした2頭のライオンというシンメトリ-なデザインとなっている。この浮彫は一般に刀の神と呼ばれてきたが、冥土の神ネルガルの像と思われる。刀は冥土の神ネルガルのシンボルだったという。
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有翼精霊についてはオリンピア考古博物館2 後期ヒッタイトの青銅板
参考文献
「古代都市Ⅰ ハットゥシャ」 2013年 URANUS
参考にしたもの
現地説明パネル

















































