ここにも貯蔵用大甕が。底が尖ったヒッタイト時代のものだろう。
遺跡地図 Google Earth より
❶ギョベクリテペ Göbekli Tepe ❷チャタルホユック Çatalhöyük ❸ハジュラル Hacılar ❹ジャンハサン Canhasan ❺アラジャホユック Alacahöyük ❻キュルテペ Kültepe
博物館は外観は変わらなくても、内部はかなりかわっていた。
それは展示の仕方がほとんどだが、最初に目に入ったのか、❶ギョベクリテペから出土したの石のモニュメント2点。これは30年前にはまだ発掘されてもいなかった。現在では12000年前の遺跡とされている。
説明パネルは、ギョベクリテペの最も特徴的な遺跡であるT字形の記念碑的オベリスクは、円形または楕円形の閉じた周囲を持つ屋内空間を形成するように配置されている。
T字形および逆E字形のオベリスクは、人間に関連する意味を持つと考えられる。T字形オベリスクが悪霊や祖先、あるいは石の魂、あるいは人間の形をした神々を表しているのかは不明という。
当館に展示されているT字形オベリスクのレプリカには、様々な動物の描写が見られる。野鴨、力強い雄のイノシシ、キツネ、ツル、ハゲワシ、ハクトウワシ、サソリ、ヘビ、ライオンといった動物の姿に加え、首のない人物像や幾何学文様、網目文様のレリーフもオベリスクに描かれている。オベリスクには雄の動物のみが描かれている。動物の姿が豊かに描かれていることは、ギョベクリ・テペ社会の精神世界において動物が重要な役割を果たしていたことを示しているという。
そう言われてもどれがどの動物か分からへんがな。
遺跡の写真パネル
シャンルウルファの北東15㎞、オレンツィク村の東2.5㎞、標高800mに位置し、ハラン平原の好立地にあるギョベクリ・テペは、無石器時代の遺物が発見される重要な遺跡。ギョベクリ・テペの最大の特徴は、神殿にT字形の記念碑的なオベリスクが見られることという。遺跡発掘時の写真パネル
ギョベクリ・テペの発掘調査は、更新世末期の狩猟採集生活から、完新世初期に始まった農耕と牧畜への移行を理解する上で大きく貢献している。特に、彫刻技術の卓越性、石像から小像、装飾された巨石立石に至るまで、芸術的な肖像画の豊富さは、先土器新石器時代にこの地域に住んでいた人々にとって象徴世界がいかに重要な役割を果たしていたかを反映しているという。
無土器新石器時代は今では先土器新石器時代と呼ばれている。
右手は旧石器時代のコーナー
そして、前回印象に残ったものの一つがこの❷チャタルホユックのコーナー
説明パネルは、9000年前、チャタル・ヒュユクに最初に住んだ農民たちは、屋根を出入口として利用し、隣家と密接した家に住んでいた。平らな屋根と日干しレンガ造りの家は、石造りの基礎はなく、広々とした居間を除いて倉庫のような構造で、居間には炉、窯、テラスがあったという。
チャタルホユックとその出土物については後日忘れへんうちににて
新石器時代の出土物の数々 チャタルホユック、ハジュラルその他の遺跡より
主にチャタルホユック出土の女神像
詳しくは後日忘れへんうちににて
その左側 背後はチャタルホユックの壁画
❸ハジュラルの女神像 前6千年紀
何故ハジュラル出土だと分かるかというと、裏側にこの土器が見えるからだ。
女性頭部を象ったカップ 前6千年紀中期 11.1㎝ 土器 ハジュラル出土
説明パネルは、彩文土器は、クリーム色またはピンクがかった黄色の地に赤褐色の幾何学文様で装飾されている。楕円形の口を持つ鉢、球形の水差し、大きな花瓶、長方形の壺、壷、水差しなど、様々な形態の土器がある。様式化された鳥、雄牛の頭、手のモチーフ、赤と茶色の幾何学文様が、土器の形状と美しく調和しているという。
ハジュラルについて説明パネルは、アナトリア高原南西部ブルダルの西約 25㎞にある先土器時代、新石器時代後期、金石併用時代の遺跡。ハジュラルの豊かな幾何学文様が刻まれた、焼成・研磨された赤釉の器類という。
女神像、小動物像、角状、球状のものなど
手前中央:銅製の杖頭(棍棒ではない?) ジャンハサン出土
左端:女神小像 前5千年紀前半 32.5㎝ ジャンハサン出土
説明パネルは、ジャンハサンのテラコッタと石で作られた裸の母神小像は、新石器時代の女神像の主要な様式を受け継いでいる。その他の像は、ポロスと呼ばれる背の高い頭飾りや、衣服を着用していること、そして衣服に絵文様が施されていることなどから、地域的な違いが見られるという。
左は骨でつくったもの。
中央上は土製の動物たち。
説明パネルは、動物形の土器はハジュラルで初めて発見された。口縁部は楕円形という。
青銅器時代(前4千年紀末-3千年紀)
❺アラジャホユック出土のスタンダードとサンディスクについてはすでに記事にした。
それについてはこちら
偶像と小像 前期青銅器時代(前3000-1950年) アラバスター(雪花石膏)製 ❻キュルテペ出土
説明パネルは、キュルテペは、南の隣国との良好な関係によって、前期青銅器時代後期に繁栄したと考えられている。前期青銅器時代特有のアラバスター製の偶像や神像は、11-13層で発見された墓から出土しているという。
副葬品だった。
説明パネルは、神や女神を様式化したもので、装飾された円盤状の胴体を持ち、三角形で装飾された単頭または複数頭を有している。単頭の偶像は神や女神を、双頭の偶像は神の夫婦を表していると考えられているという。
丸い胴体には浅く縄文のような線が穿たれ、その間に目玉文のようなものが並んでいる。
アッシリア植民都市時代(前1950-1750)
『アナトリア文明博物館図録』は、カルムをとり囲む壁は約500mもあった。ロバでやって来た商人達はアナトリア側の町でチェックを受け、手数料を払ってから門を入った。絵の中に商談する人々や粘土板に書きこんでいる書記の姿がみえる。
この時代の始まりはすなわち、アナトリアにおける歴史時代と中期青銅器時代の始まりである。
前1960年、北部メソポタミアの古アッシリア王国はアナトリアとの確固たる通商体制をつくりあげた。当時のアナトリアは多数の封建的都市国家が分立していたが大部分はハッティ族に支配されていた。アッカド王国の頃からメソポタミアの人々はアナトリアの豊富な資源については知っていたので、今やアッシリアのイニシアチブの下に組織的な通商関係を確立したのである。アッシリア商人は自分たちのことばと楔形文字と円筒印章を伝えた。かくて前1950年にアナトリアの歴史時代が始まったのであったという。
商業区(カルム)の町の遺跡平面図 写真パネルより
右端 嘴付き水差し
奥上 人物形二連壺 前2千年第1四半期 高31.5㎝ 幅32㎝ 厚17.1 ㎝ 薄い灰色の胎土に化粧土、ろくろ製 キュルテペ、カールム・カニシュ出土
『トルコ文明展図録』は、平らな頭部、短い頸、円筒形の胴部をもち、平底。二つの容器は様式化された人の形をしており、並んでいる。この人の像は大きく口を開け、唇部は朝顔状に開き、容器の口として機能をもつ。幅が狭くて長い鼻は突き出ている。片方の手は口のところにもってゆき、もう一方の手は胸においているという。
下にも二連の壺があるが、珍しいものなので、特別な儀式の時に使われたのでは。
粘土板文書の数々 前19-18世紀 キュルテペ出土
動物形リュトン(儀礼用土器) 前2千年紀初期 キュルテペ出土
全部犬に見えるが、三番目の焦げ茶色はライオン形リュトンで高12.5㎝、手づくね製。
『トルコ文明展図録』は、カタツムリの形をした容器。口縁部は平らで、頸部は円筒形、胴部は円形。薄い鈍黄色の胎土には、ピンクがかったクリーム色の化粧土がかけられ、褐色顔料で装飾されているという。
彩文靴形リュトン 前19世紀 高8-8.2cm 長13.3-13.7㎝ キュルテペ、カールム・カニシュII層出土 手づくね製
同展図録は、薄い鈍黄色の胎土に、上部にはクリーム色の化粧土、足の甲の部分には赤褐色の化粧上がかかっているという。
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参考文献
「アナトリア文明博物館図録」 アンカラ、アナトリア文明博物館
「トルコ文明展図録」 中近東文化センター編集 1985年 平凡社
「トルコ三大文明展図録」 監修大村幸弘(財団法人 中近東文化センター主任研究員)、真室佳武(東京都美術館館長)、鈴木董(東京大学東洋文化研究所教授) 編集ΝΗΚ、NHKプロモーション 2003年 発行ΝΗΚ、NHKプロモーション
参考にしたもの
博物館の説明パネル




































