お知らせ

やっとアナトリアの遺跡巡りを開始しました。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2026年2月27日金曜日

アンカラ アタテュルク廟 Anıtkabir, Atatürk ve Mozole


アンカラ最後の見学はアタテュルク廟
アンカラの地図 Google Earth より
❶アナトリア文明博物館 ❷アスランハネジャミイ Ahi Şerafettin (Aslanhane) Camii ❸アスランハネ墓地 Aslanhane Camii Haziresi ❹アスランハネの墓廟 Ahi Şerafettin Türbesi ❺アンカラ城門と時計台 Ankara Kale Kapısı ve Saat Kulesi ❻アンカラ城 Ankara Kalesi ❼ローマ時代の公衆浴場跡 Ankara Roma Hamamı ve Antik Kenti ❽ アウグストゥス神殿 Augustus Tapınağı ❾ハジュバイラムモスクと廟 Hacı Bayram-ı Velî Camii ➓アタテュルク廟 Anıtkabir, Atatürk ve Mozole

アタテュルク廟 Anıtkabir Google Earth より
ⓐライオンの通路 ⓑ近道からの入口 ⓒ中庭 ⓓアタテュルク廟
近くまでバスで連れて行ってもらったので、わりあい歩かずにⓑの入口に辿り着けた。


ⓒ広大な中庭

北西側の回廊

時計回りに、
回廊の長辺とその中央にⓐライオンの通路

30年前にはこの道を歩いてきた。文字通りライオンの石像が並んでいた。

そして墓廟は東側にある。
トルコ共和国建国の父ムスタファ・ケマル・パシャ・アタテュルクの墓廟はとても立派なもので、国が造ったものだと思っていたところ、アタテュルクがイスタンブールのドルマバフチェ宮殿の執務室で亡くなったとき、財産をもっていなかったので、国民がお金を出し合って造られたとガイドのオキアイ氏に聞いた。

角柱が並ぶ柱廊の真ん中が棺の安置された部屋で両側はアタテュルクと独立戦争の博物館になっている。設計は何とあのブルーノ・タウトとは。

中に入ると、ヒッタイト時代の建物のように、木の梁を並べた平天井を模している。

いまいちのピント

沢山の人で柩が見えないが、左側通行でどんどんと歩いていき、棺に一例するとすぐに出て行くか、周囲の展示室に入っていく。
トルコの平均年齢が30歳とも32歳とも言われているが、独立戦争を知らない若い人たちも多く訪れていた。NHKの番組で若い女の子がアタテュルクについて「女性にとっていいことを沢山してくれた人」と言っていた。

スタンブールのアヤソフィアの金地モザイクを思わせる装飾。

やっと見えた紫の大理石の柩


外に出て階段を下りて写したが、もっと上から撮影すれば遠くの建物も見えたのに。

中庭は大きな色石の幾何学文様のだったが、壁にはこんなゴールドサンドウィッチや色ガラスのテッセラを組み合わせたモザイクの文様帯があった。



この日の夕食はアンカラ城の近くの

城壁側にあるハティポール邸 Hatipoğlu Konağı Restaurant にて。木の窓枠のあるいい雰囲気のレストランだった。

二階のテーブルへ。

出窓からは遠方に新しい街並みが広がっているが、旧市街の赤い屋根に混じって、午前中に見学したアスランハネジャミイのミナレットと外側から眺めただけの八角形の尖り屋根の墓廟が突き出ていた。


部屋の天井もいい感じ。

マッシュルームスープにサラダ。お飲み物は好物のアイラン

ギョズレメ
薄い生地にチーズや野菜が挟んである

デザート(名前を忘れた)

夕食の話題はなんと言ってもアタテュルクのこと。
アタテュルクは結婚はしなかったが愛人はたくさんいたとか、
財産がないのに愛人を囲えたのか?とか、
愛人がお金持ちだったのよ、とか。

それから、オキアイ氏が、日本の首相でトルコ人が一番尊敬しているのは誰でしょう?
それは小泉純一郎元首相です。
首相の時にトルコを訪問して、「トルコのどこに行きたいですか?」と聞かれて、イラン・イラク戦争の時にイランにいた日本人たちを救ってくれたトルコ航空の機長にお礼が言いたいと答えたからだそう。

そんな話で盛り上がるうちに暮れなずむアンカラの街。
ライトアップされないアスランハネジャミイのミナレットも辛うじて見えた。