お知らせ

やっとアナトリアの遺跡巡りを開始しました。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2026年1月16日金曜日

アナトリア文明博物館 古ヒッタイト時代から後期ヒッタイト時代まで


ヒッタイト時代(前1750-1200)
『アナトリア文明博物館図録』は、記録によると植民市時代の終わり頃にピタナの息子アニッタがヒッティ人の都市国家を統一してヒッタイト王国を確立したという。
ハットゥシリ一世は、アッシリア商人がアナトリアを去った後、都をネシャ(カニシュ)からハットゥシャ(ボアズキョイ) へと移した。この時代を古ヒッタイト時代という。
出土品を見るとこの時代の芸術はアナトリア様式を忠実に守っている事がわかる。陶器は形や技巧の点でアッシリア植民時代とほとんど同じであるが、酒杯は少し大きめなものが人気があったという。


主な都市と遺跡 ヒッタイト以前
❶ギョベクリテペ Göbekli Tepe ❷チャタルホユック Çatalhöyük ❸ハジュラル Hacılar ❹ジャンハサン Canhasan  ❺アラジャホユック Alacahöyük ❻キュルテペ Kültepe 

アナトリアのヒッタイト古王国時代から後期ヒッタイト時代までの遺跡群 
アラジャホユック Alacahöyük ❼イナンドゥクİnandık ❽ハトゥシャ(ボアズキョイ)Hattuşa  ❾ファスッラール fasıllar monument ➓アスランテペ Arslantepe ⓫カルケミシュ Karkamış 
Google Map で❾を拡大して360°写真の水色のポイントにストリートビューの人を置くと、なだらかな斜面に横たわる像が見えます。

⓬ビュクリュカレ Büklükale ⓭カマンカレホユック Kaman Kalehöyük ⓮ヤスホユック Yassıhöyükはアナトリア文明博物館に所蔵されている遺物はありませんが、ヒッタイト時代の遺跡です。


ヒッタイト古王国時代 前1680-1450年

貼付文装飾付き壺 ❼イナンドゥック出土
同館図録は、植民市時代からの伝統であるレリーフ飾りの壺類はこの時代エスキャパル、イナンドゥック、ビティクで発見された。帯状にレリーフで飾ったイナンドゥックの壺は最高の例であるという。
古ヒッタイト時代(前1650年頃)の貼付文装飾付き壺などはすでに記事にしています。
それについてはこちら

牡牛形儀礼用土器 ヒッタイト古王国時代 前16世紀 赤煉瓦色土、赤色スリップ・光沢磨研 高67.0㎝ 幅47.0㎝ イナンドゥック出土
『トルコ三大文明展図録』は、弓状に表現された尾の下方部は穿孔され、背中には円錐形の注入口が設けられている。上方に曲がって伸びる角の半分は明色のスリップが施されている。眼球部は窪んでおり、別の物質が象嵌されていた。儀礼の際には容器内の液体を鼻孔から注いだのであろう。鼻孔は特別に肉厚に作られているという。
同館説明パネルは、牡牛はヒッタイトのパンテオンの嵐の神テシュプを象徴しているという。
轆轤成形した二つの円筒に継ぎ足して牡牛の体をつくったような造形。小さな牡牛もつくられた。

また嘴付き水差しについては後日忘れへんうちににて


ヒッタイト新王国時代(前1450-1200)
塔形儀式用器 前14世紀(『アナトリア文明博物館図録』では前18世紀) 32.5㎝ ❽ハトゥシャ(ボアズキョイ)出土 
説明パネルは、口の広い祭器の縁の部分。メロン(外壁)と2層の塔を備えた城壁が描かれている。塔状容器は、主に地下階まで発見された城壁を反映しているという。
羊や牛の頭部が付いていて、左側の用器は左上の羊に、右側の用器は右下の牡牛の口が開いていて、液体を注ぐようになっている。


ヒッタイト時代

アラジャホユック スフィンクス門前左側のオルトスタット 前1399-1301 安山岩
右端の牡牛像に祭壇を挟んで礼拝する国王と王妃、


そして礼拝のために向かって進む人たち。その中には軽業師や楽士たちも含まれる。
詳しくは後日忘れへんうちににて

アナトリア文明博物館にはオリジナルのスフィンクスがあったがどちらも写りが悪くて残念。

右のスフィンクスの側面に浮彫された双頭の鷲のオリジナル



❾ファスッラールの未完成の石碑 前13世紀
Turkish Archaeological NewsFasıllar Monumentは、ファスッラールという小さな村には石碑があり、前13世紀に彫刻が始まったが、未だ完成していない。未完成のこの記念碑は現在、村を見下ろす丘の中腹にある。
ヒッタイト神話の二柱の神が、互いに重なり合って立っている。上部にはっきりと見える像は嵐の神。嵐の神の片方の足はライオンの頭に、もう片方の足は下に立つ神の肩に乗っている。下部は山の神で、二頭のライオンの間に立っている。記念碑は未完成だったため、一部はより詳細に彫刻されているが、他の部分は輪郭のみが描かれている。
この記念碑は斜面に位置しているため、間近でじっくりと眺めること、特に全体像を把握することは困難。幸いなことに、アンカラのアナトリア文明博物館には、この記念碑の垂直に立てられた複製が所蔵されているという。
ヒッタイト時代の石碑のレプリカでした。後で撮影した側面と共に。

私には、山の神の頭の上に左足をのせているが、右足は極端な浅浮彫か、石材が剥がれてしまったために放置されたように見える。

それとも左足を前に出して、右足は彫るところだったのか。


ライオンは足や尾まで彫られている。


後期ヒッタイト時代(前1200-700
『アナトリア文明博物館図録』は、ヒッタイト帝国は前1200年頃、いわゆる海の民の侵入によって滅亡し、生き残った人々はタウロス山脈の南や南東部に逃げた者たちが新ヒッタイトと呼ばれる。このでき事の後、中央集権的な国家を建設する事はもはやできなかった。アッシリアからたびたび攻撃され前700年、ついに完全に歴史から消え去ったがヒッタイトの伝統は最後まで守られていたという。
この海の民の侵入説は今では否定される傾向にある。それについては後日忘れへんうちににて

オルトスタット 前1200-700 石灰岩、➓アスランテペ出土
説明パネルは、アスランテペはユーフラテス川の西側、1838年に建設された現代の都市マラティアの北東7㎞に位置している。前5000年から後11世紀まで人が居住していたアスランテペは、ヒッタイトの文献では「メリディア・メリドゥ」の都市として知られている。
発掘調査では、入口門と中庭の両側に石に浅浮き彫りの装飾が施された2体のライオン像、その向かい側に埋葬されたムタル王の像、そして後期ヒッタイトの宮殿が発見されたという。

王が酒と犠牲を捧げる場面
説明パネルは、酒を捧げ、犠牲を捧げる場面。左部に神の象徴を持つ神が戦車に乗り、手にはブーメラン、腰には剣を持っている。同じ神が中央で左手に稲妻の束を持っている。
右側では、王が神に酒を捧げている。上部のカルトゥシュには「偉大にして強大なるスルメリ王」と記されているという。
ブーメランではなくボアズキョイ近くのヤズルカヤ、ギャラリーBに彫られた黄泉の国の十二神の持物と同じ鎌型の剣に見える。

神が乗る戦車
車輪は十字のスポークだろうか。

神に酒を捧げる王
神々への供物として雄牛を抱えた召使いが後ろに立っているという。
液体が稲妻のようにギザギザに表現されていて、その下の双耳壺の形が面白い。


竜退治
説明パネルは、イルヤンカの伝説を描いた作品。嵐の神が槍で蛇イルヤンカを倒す。蛇の渦巻きには波線が描かれ、その隙間に人物像が浮かび上がっているという。

イルヤンカを退治する嵐の神。Hittite MonumentsArslantepeでは、嵐の神(テシュプとは明記されていない)の後ろにいるのは息子のシャルマとしている。
ハトゥシャの岩窟聖域ヤズルカヤでは、テシュプに向かい合う女神ヘパトの後ろに小さく表れていたシャルマ神が、ここでは父テシュプと共に、同じ大きさで登場している。

波文の隙間に人物像と言われても・・・


宮殿の門付近より出土した王とライオン像の解説パネル

ライオン像 
説明パネルは、宮殿門の内部隔壁の入口に位置している。頭部と前面はプロトーム型に加工されており、胴体はライオン門の他の像よりもわずかに高く作られているという。
顔も耳も丸い。鬣の線刻はハトゥシャのライオン門のライオンのそれほど細かくはないし、前肢付け根の渦巻き文もない。

足の指の表現が面白い。尾は後肢の間に巻いている。

ムタル王像
石灰岩、アスランテペ、マラティヤ、前1200-700年
ムタルはアッシリア王サルゴン2世に従属する地方王で、アスランテペの統治のために派遣された。この像は宮殿の入口に埋められていたところを発見された。忠誠を示すため、入口の右側に置かれた。ムタルは長衣を着て、肩掛けを羽織り、右手には剣の柄または杯を持ち、足にはサンダルを履いてるという。


⓫カルガミシュ(カルケミシュ)出土のオルトスタット 前900-700年

狩猟用馬車の行進 宮殿長壁のオルトスタット 石灰岩
説明パネルは、狩猟用の馬車。2名の人物が乗り、一人は馬車を操縦し、もう一人は矢を放っている。どちらの人物像も、頭蓋骨の形をした頭飾りをかぶっている。矢を放つ人物の腰についた短剣が目を引く。馬の脚の間には動物が描かれているという。

4枚続きの狩猟用馬車の行進 宮殿長い壁のオルトスタット 石灰岩

その1枚
説明パネルは、戦車に乗った2人の人物のうち、1人は馬の頭絡を持ち、もう1人は矢を放っている。馬の足元には、腰に矢を受けた裸の敵がうつ伏せになっている。この人物は敵兵であるため、他の人物よりも小さく描かれていると考えられる。
オルトスタットの下部には、二重の組紐文が施されている。車輪の表現といい、上の狩猟用馬車よりも進んでいる。

王家の控え壁のオルトスタット
ヤリリス王の家族
アッシリア新ヒッタイト様式を最もよく反映した浮彫。頭部、顔、腕の丸みを帯びた輪郭が特徴で、顔と首のラインは巧みに表現されているという。

カルケミシュではおびただしい数のオルトスタットが出土している。

像の台座


カルケミシュ出土のオルトスタットは多いので、後日忘れへんうちににて




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参考文献
「アナトリア文明博物館図録」 アンカラ、アナトリア文明博物館

参考にしたもの
アナトリア文明博物館の説明パネル