お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2025年9月5日金曜日

アンカラからチョルムへ


アナトリアのヒッタイト、フリギアの遺跡巡りをしてきました。(地図は Google earth より)
❶アンカラ ❷チョルム ❸アマスヤ ❹アラジャホユック ❺ボアズキョイ(ハトゥシャ) ❻カマンカレホユック ❼エスキシェヒル ❽フリギア渓谷一帯


イスタンブール空港に早朝到着し、珍しくタラップでアンカラ行きに乗り換える。日本でいうと伊丹-羽田間の主要路線だと思うのだが、こんなに小さな飛行機とは。

アンカラ空港に着いてすぐにバスへ。少人数の旅なのでバスは小さめだが、座席はゆったり。Wi-Fiも繋がって地方のホテルよりも便利。



アンカラを出発すると小さな集落や、

アナトリアの大地が次々と車窓に現れて楽しい。


クズルウルマク川 Kızılırmak Nehri (赤い川)に添った高速道を通り、

なだらかな高原では小麦畑が広がり、


真っ赤な岩山に目を奪われるし、

丘陵の斜面に現れた白いものも気になる。何だろう?


木のない丘陵の間の向こうにも同じような丘陵が見えている。


日本同様に地震国なのに、30年前に来たときと変わらず建物の建て方は華奢。


険しい岩峰が迫るところもあれば、


長閑な景色も望める。バスの中で居眠りなんてもったいない。

街に入る前に見えた瓦葺きの大きな屋根はレンガ工場だった。



チョルムの市街地に到着。


すぐにエヴィという名のレストランへ。地元の名物料理イスキリプ・ドルマ İskilip Dolma を頂きました。

乾燥を防ぐためか、パンには蓋が。そう言えば器が全部金属製。
酸っぱいスープと自家製アイラン

短いパスタ入り煮汁は

煮汁で炊いたピラウにのっているのが
イスキリプ・ドルマ、その上に煮汁をかけて食べますが、量が凄い。

アイスクリームのように見えるのはトルコの伝統的スイーツのヘルヴァ helva。自家製のシンプルな味で、チャイとともに頂きました。



そして出発。
現地ガイドのオキアイさんは「あのホテルの名アニッタはヒッタイトの最初の王の名前です」と言った。
でも聞いたことのない名前だ。実はヒッタイトについては古い書物での知識しかなかった。それを痛感して帰国後購入した『ヒッタイト帝国 「鉄の王国」の実像』は、「赤い川」に囲まれた中央アナトリア全域(のちにヒッタイト帝国の中核となる地域)をほぼ統一し、「大王」を名乗ったという。

アニッタ王の版図はほぼクズルウルマク川(赤い線)の中。 Google Earth より
❶アンカラ ❷チョルム ❸アマスヤ ❹アラジャホユック ❺ボアズキョイ(ハトゥシャ) ❻カマンカレホユック


さて、ツアー最初の見学はチョルム博物館。
博物館についてÇorum II Kültür ve Turizm Müdürlüğüは、博物館の建物は1914年に病院として建てられたもので、その後、農学校、保健学校、商業学校、工業学校、アタテュルク高等学校として使用された。この建物は典型的な19世紀の建築的特徴を持ち、1988年の火災を契機に“保護が必要な文化的不動産遺産に登録された。1989年に修復が開始され、2003年3月11日に新チョルム博物館としてリニューアルされたという。

中庭の左側に並んでいるのは石製のもの



中には発掘調査の写真と説明文のパネルがあって、
レスロール初期青銅器時代(前3000-2000)の集落と墓地は、チョルム県レスロール(カレボイヌ)村の北西1300mに位置している。
レスロールではピトス(保存用の甕)、壺、石棺墓が見つかっているが、ピトス墓(甕棺)が主流である。手作りでほとんどが茶色の粘土を敷いたピトスの高さは50-140㎝、幅は40-95㎝である。子どもも大人も、遺体はたいてい曲げた姿勢で墓に埋葬されている。通常は頭をピトスの底のほうに、足を開口部のほうに置くが、例外もある。ピトスの口は東と南西を向いているものもあれば、西と北西を向いているものもある。ピトスの口は通常約30㎝の土で覆われ、墓の周囲に5個以上の石が置かれていた。


その下にはピトス墓(
甕棺)と周囲にはかなり風化した石が置いてあって、出土状況が再現されていた。


通路のあちこちにも遺物が並んでいて、中にはキリスト教時代のものも。上に広い凹みがあるので、教会の外壁だったのだろうか。

ここにも。現地ガイドのオキアイさんがアナトリアには30もの王朝がありましたと言っていたが、キリスト教時代はアナトリアにとっては歴史的に新しいものだ。



中庭の右側にはヒッタイト時代の大甕や壺など。

屋根の下には大きな甕棺らしきものと、時代不明の柱頭が展示されいていたが、遠方から写しただけなので、時代は不明。壁際にも柱頭や円柱などが並んでいる。


博物館の建物に近づくと、

牡牛の浮彫の噴水口 ヒッタイト帝国時代(前1450-1200 )


そして玄関の両側にはライオン像が置かれていたが、大きく写すのを失念していた。


内部は次回




参考サイト
チョルム博物館内は3DVista Player v:0.1033によるÇORUM MÜZESİ(博物館内外の360°映像)

参考文献
「ヒッタイト帝国 「鉄の王国」の実像」 PHP新書1376 津本英利 2023年 株式会社PHP研究所