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やっとアナトリアの遺跡巡りを開始しました。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
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2026年1月30日金曜日

アナトリア文明博物館 ウラルトゥ


石彫美術遺物の展示のある中央の広い展示室への出入口を挟んで、フリギア時代の建物のレプリカ展示の右手にはウラルトゥの建物の大きな写真パネルがある。ここからがウラルトゥのコーナーになっている。
アナトリア文明博物館の内部は Anadolu Medeniyetleri Müzesi で見ることができます。

同館図録は、ウラルトゥ人は前1千年紀初期にヴァン湖地方に国を建て、最盛期にはウルミア湖とユーフラテスの谷、南トランスコーカシアのギョクチェギョルからアラクセスの谷、そして黒海の東岸からアッシリアの国境にまで拡がっていた。
はじめてその名が現れるのは前8世紀、アッシリア王シャルマネセル一世の楔形文書である。ウラルトゥ人はセム語系でもなくインドヨーロッパ語系でもなく、フルリ語に属するものと思われている。「ウラルトゥ」の名は前6世紀、北方からのメディアやスキタイの侵入によって消え去る事になるという。
フルリ人は青銅器時代にミタンニ王国を築き、ガラスをつくった人々と同じ民族だ。その後ガラス制作はどうなったのかな。

アディルジェヴァズ・ケフ Adilcevaz Kef 城塞の大きな写真パネル
アッシリアの建築とはちがって、石の土台に木材の長い梁を使用する事が多かった。円柱の並ぶ玄関ホールを備えた神殿や宮殿は建築史に残るものであるという。

別の方向から見た説明パネル
部屋の出入口にアーチがある。

建物内の柱礎 前7世紀 40×140×110㎝ アディルジェヴァズ・ケフ城塞
大きな石のブロック
説明パネルは、この柱礎は、ウラルトゥ王ルサ二世がアディルジェヴァズ・ケフ城塞にハルディ神のために建てた神殿兼宮殿に由来する。中央の大広間の屋根を支える二階部分は、角柱の浮彫のある柱礎になっている。この建築的特徴は、アナトリアにおけるギリシャ建築の彫刻された柱(columnae caelatae)の先駆けの一つという。

上から見ると

側面には同じデザインが繰り返される。
ウラルトゥの宮殿のファサードを描いた中央の場面では、ライオンの上に向かい合って座る神のような人物像が、その間に「生命の樹」のモチーフを配しているという。

新アッシリア時代(前875-860年頃)の守護精霊に似ているが、アッシリアでは頭部は鳥だがウラルトゥでは人間になっていること、ライオンに乗っていること、そしてアッシリアでは生命の樹(組紐文のナツメヤシ)に受粉しているのに、ウラルトゥでは小さな糸杉に置き換わっていることなどの違いがある。

階段状の胸壁の上に猛禽がとまって、図案化された植物を中心に向かい合っている。嘴かにぶら下がっているのはウサギ?


青銅器類 前8-7世紀

青銅製棺 前8-7世紀
アマスヤ博物館に展示されていたバスタブ型の青銅製棺(前1世紀)に似ている。把手は縦に付いているけれど。

青銅製大鍋と三脚台(背後の壁は不明)

大鍋 前7世紀初 アルトゥンテペ出土
同館図録は、4頭の牛の頭がついて典型的ウラルトゥ風に飾られたこの大鍋はフリギア、ギリシア、イタリアに輸出されていたという。

小鳥のような形の平たい板が留め金で取り付けられているのに牡牛の頭部とは。

青銅製大鍋はもう1点、こちらは人面鳥が四つ。
フリギア時代にゴルディオンから出土した大鍋とほぼ同じ。

本作品は翼の細部を細かい彫りで表現しているし、背中に環が残っている。
しかし、他の鳥の背中には環があるのに、写したものに限って環がなかった。


帯状の青銅製品

似たものは岡山市立オリエント美術館の『ウラルトゥの美術と工芸展』の図録で知っていた。
『世界美術大全集16西アジア』は、ウラルトゥの美術作品のなかでもこのような青銅製のベルトは周辺地域に類例を見ない特殊なものである。多くは幅が10㎝以上あり、周縁部に小さな穴が等間隔に穿たれているのは布や革に縫い合わせたのだろう。裏側にモティーフを彫り込んだ型(おそらく石製)を当てて打ち出された文様には、種々の動物、合成獣、神像などがあるという。 
横線の突起と列点文だけが横に並んだシンプルなもの。

ライオンを追う騎馬人物、生命の樹、頸部に矢を射られて疾走するライオンというモティーフが繰り返されてる。



大小様々な土器
蓋付きのものも。右奥は竈のよう。

アナトリアでフリギア時代までつくられた嘴付き水差しはなくなり、壺類も丸い胴部のものが多い。


上写真の壁に展示されているのは壁画のほんの一部 前8世紀後半-7世紀前半
アッシリアの強い影響を受けてはいるが構図も様式も異なり、幾何学模様や植物モチーフ、さまざまな動物のシーンなどが明るい色調で描かれている。 赤、青、ベージュ、黒、白、まれには緑色などの明るい色を使っていきいきと描いているという。


人面の壺
何故か現在中央アジアで暮らしている女性にたまに見られる繋がった眉で表される。


木製品
テーブルとその部品


象牙細工
同館図録は、伝統的な象牙彫りも継承されていた事がわかるという。

寝そべったライオン
線刻で鬣が背中から腰に至るまで彫られていて起伏がない割に、顔は威嚇するように口の上に皺を寄せ、咆哮しているみたい。

小さな飾り片 象牙細工

生命の樹を表した象牙板


人物小像 象牙
小さいながらも立っている。ひょっとしてゲームの駒?



地下の展示室にはヘレニズム時代からローマ時代までの遺物が並んでいたが、とてもゆっくり見学する時間がなく、目に付いたものを撮影するに留まった。

金の装飾品

オリーブの花冠 ヘレニズム時代

帯の一部や首飾りなど

さまざまな冠


耳飾り



ガラス容器

上段はコアガラス、階段は吹きガラス

コアガラスと人面蜻蛉玉(ピンボケ)

レースガラスかと思ったが、棒状の色ガラスを並べて溶かした縁熱垂下法のものだった。





関連記事
ウラルトゥの美術1 青銅製品

参考文献
「アナトリア文明博物館図録」 発行年不明 アナトリア文明博物館
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館


参考にしたもの
博物館の説明パネル

2026年1月23日金曜日

アナトリア文明博物館 フリギア


アナトリア文明博物館の内部は Anadolu Medeniyetleri Müzesi で見ることができます。

フリギア(フリュギア)時代について『アナトリア文明博物館図録』は、前12世紀の初めころフリギア人が、エーゲ海からの移民の跡をたどるようにして南東部ヨーロッパからアナトリアへとやって来た。首都はゴルディオンにおかれた。
残された銘からフリギア人はインドヨーロッパ系の言語を使っていた事がわかる。ギリシアの出典、特にヘロドトスによれば、フリギア人はマケドニアから出たとしているが、アッシリアの出典によるとムシュキの王ミタとされている。今日ではミタはミダスで、アッシリアのいうムシュキがフリギア人だとされているという。
「王様の耳はロバの耳」のミダス王の国。

アナトリア文明博物館の中央に石彫の大ホールがあり、ヒッタイト時代からのオルトスタットなどが展示されているが、フリギア時代(前1200-700)のものもあった。
『アナトリア文明博物館図録』は、オルトスタットにライオン、馬、牛、グリフォンやスフインクスが彫られているが、西アナトリア、後期アッシリア、 後期ヒッタイトの影響を見る事ができる。当時、フリギア人は後期ヒッタイトの工房からの影響を受けていたと考えられている。したがって、これらの浮彫は、後期ヒッタイトの彫刻芸術を目にしたフリギアの職人によって制作されたと考えられるという。
アンカラ近郊にもフリギア時代の遺跡が幾つもあって、そこから出土したオルトスタットが中央のオルトスタットギャラリーに並んでいた。

歩く馬 前1200-700年頃 安山岩 アンカラ、キュチュケヴレル Küçükevler 出土
説明パネルは、図の脚の筋肉は概略的に描かれているという。
オルトスタットが低いからだろう、スペースに収まるように横長に馬が彫られている。

90度曲がって一対の有翼の動物

左は人面の有翼のライオン 平たい帽子を被っているのか、上に続いていて帽子の一部なのかも
右は有翼のライオン 馬のような鬣にカールした毛の房

90度曲がって牡牛

その続きは行進するライオン


外回廊の一角にフリギア時代遺物が展示されていて、まず、大きなパネルに王の葬儀の様子が再現されていた。


テーブル 前8世紀末 木製 ゴルディオンの大墳墓出土
パネルで金属の坏や小さな水差しが置かれたテーブルの脚部だが、

アナトリア文明博物館図録に記載されていたテーブルの構造図
四角いテーブルなら各角に脚を付けたら良いと思うのだが。
ゴルディオンの大墳墓出土テーブルの構造図 アナトリア文明博物館図録より


嵌め込み細工のテーブル 前8世紀末 高さ94㎝ ゴルディオンの大墳墓出土
葬儀の場面に遺体の足許に描かれたもの

このテーブルの構造も複雑。

嵌め込まれた卍形や、ドーナツのような円の中に繰り広げられる連続円文のようなものなど、他にはみられない独自の嗜好が見られる。


卍形も様々。


木製のテーブルは他にもあった。

後方のテーブルは最初に展示されていたテーブルの縮小版のようだが、部材が太い。

おそらくテーブルの天板だが、ビーズ状のものは何かな


土器
同館図録は、フリギアの陶器はろくろ製だが、無地のものと多色のものと二つのグループに大別できる。金属製を模した黒や灰色の無地のものが一般的である。文様のあるものは、明るい地色に赤茶色で四角、三角、波形やジグザグ線で同心円や市松文様を描いたものが多い。中には幾何学文様で完全にうめられているものもあるし、パネルに仕切って動物モチーフを描いたものもある。フリギア人の想像力と創造性を反映した動物型のリュトンは、 先史時代からアナトリアで使われてきた酒杯の流れをくんでいるという。1

中には幾何学文様で完全にうめられているものもあるし、パネルに仕切って動物モチーフを描いたものもある。フリギア人の想像力と創造性を反映した動物型のリュトンは、 先史時代からアナトリアで使われてきた酒杯の流れをくんでいるという。
右上の水差し 中筒がある。これについてはすでに記事にした。
左中のティーポット 前8世紀初 ゴルディオンW墓出土

独特なのは鳥の形のもの。

嘴が少し開いているが、水差しには狭すぎるようだけれど、リュトン(酒坏)には大きすぎる。脚部が鳥の足と違って丸い高台になっている。


動物文の大型容器も。

黒い土器類


大角羊形水差し


カラスが三羽並んでいるような容器
中央の鳥の足の間には穴があるので儀礼用かも。

象牙細工には細かな象嵌も。

象牙細工 ウサギを捕らえた猛禽



青銅器類

大鍋 
有翼の人物が四方から大鍋の中をのぞき込んでいる。どこかで見たような・・・
説明パネルは、ゴルディオンで出土した青銅製の大鍋は、フリギア金属工芸における最も傑出した発見の一つ。これらの丸い胴体の大鍋の縁には、人や動物を模したものが装飾として施されている。
人頭の魔物で装飾された大鍋は、アッシリア美術の影響を示している。これらの大鍋はウラルトゥの大鍋と非常に類似しており、ウラルトゥから請来されたものと考えられるという。
ウラルトゥの大鍋については次回


キュベレ像
説明パネルは、フリギア人は多くの神々を崇拝していたが、人間の姿で描かれた神はただ一人。それは「母」を意味する名を持つ女神「マタル」で、碑文にはマタルはいくつかの属性とともに記されている。キュベレの語源は、おそらくフリギア語で「山」を意味する「キュベレイア」に由来するという。

フリギアの女神マタルは、常に直立し、前を向く成熟した女性として描かれる。彼女は長いドレスと精巧なポロスを身に着け、頭飾りの後ろからベールが垂れ下がっている。彼女は手にいくつかの物を持ち、それが彼女の神性を示している。それらは、飲み物を入れる杯、あるいはボウル、猛禽類、そしておそらくザクロと思われる丸い物体である。
フリギアにおけるキュベレーに捧げられた祭祀記念碑は、前9-6世紀にかけてのものという。

長衣のスカートに当たる布は左右で異なる細かな衣褶があり、傍の小さな楽士たちはそれぞれ異なる楽器を奏でている。

キュベレ像 前7世紀 浮彫 安山岩 アンカラ 、バフチェリエヴラーより発見
上のキュベレ像と異なるのは上半身の着衣にも襞が刻まれていること。簡素な造形だが、屋根の装飾が大きく表されていること。


建物のレプリカ展示
同館図録は、フリギア人は西アナトリアの伝統的形式により幾何学模様のテラコッタで屋根を飾り、床は多色のモザイクで飾った。この博物館にある最高のテラコッタパネルはゴルディオンとパザルリから出たものである。パネルには兵士、ライオンと牛の戦い、人間、鳥、馬、生命の木の両側に立つ山羊などが彫られているという。
これまでにチョルム博物館 ヒッタイトとフリギアアラジャホユック博物館でテラコッタの鐙瓦や向かい合って生命の樹に寄りかかる草食獣、丸い盾と槍を持つ兵士などを見ていた。

丸い盾と槍を持って行進する脚の長い兵士たち

生命の樹を中央に向かい合う草食獣だけでなく、向かい合うグリフィンも。

後日フリギアの都ゴルディオンを見学しました。


                        →アナトリア文明博物館 ウラルトゥ


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参考文献
「アナトリア文明博物館図録」 アナトリア文明博物館発行の古い(1995年以前)図録

参考にしたもの
博物館の説明パネル