お知らせ

やっとアナトリアの遺跡巡りを開始しました。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2026年3月6日金曜日

ゴルディオン ミダス王の墓と言われてきたMM墓


これまではアナトリア北部の遺跡や博物館を巡ってきた。(地図は Google earth より)
❶アンカラ ❷チョルム ❸アマスヤ ❹アラジャホユック ❺ボアズキョイ(ハトゥシャ) ❻カマンカレホユック ❼エスキシェヒル ❽フリギア渓谷一帯


本日はいよいよフリギア時代の都ゴルディオンにあるミダス王の墓の見学をしてエスキシェヒルという街へ移動。
❶アンカラ Ankara ❷ゴルディオン Gordion ❸シヴリヒサル Sivrihisar ❹エスキシェヒル Eskişehir Google Earth より

❶アンカラから高速E90号線で白鳥の湖 Kuğu Gölü という池の上を通り、

最寄りのインターで下り、緑と黄色の平坦な農耕地の中をバスは走る。

間もなくぽつぽつと墳丘墓が現れてきた。マケドニアの円墳群のよう。
『GORDION MUSEUM』は、ゴルディオン近郊には、円錐形の土盛りの墳丘墓である古墳が80-90基あり、そのうち約35基が発掘されている。埋葬時期は前8世紀半ばからヘレニズム時代(前3-2世紀)までと広範囲にわたる。前7世紀後半までは、死者(ほぼ常に1基の古墳に1人)は木製の墓室に埋葬されていたが、その後、墓室を使わずに火葬する方式が好まれるようになった。この形式の埋葬は青銅器時代の中央アナトリアでは知られていなかったため、古墳埋葬の長い伝統を持つヨーロッパから来たフリギア人によってもたらされたと考えられているという。
フリギア人の故地マケドニアやトラキアの墳墓を受け継いでこの形になったのかな。

左手の大きな円墳がミダス王の墓かと思って写したのに、


羊さんたちの群れに気をとられ(しかもピンボケ)ている間に、


シャッターチャンスを逃し、右手のミダス王の墓を写せなかった。現在ではMM墓と呼ばれている。
全体を見ずして入口の前まできてしまった。この辺りはミケーネのアトレウスの宝庫に似てるけど、内部はどんなんかな?

MM墓断面図
『古代王権の誕生Ⅲ  中央ユーラシア・西アジア・北アフリカ編』は、この墓はまず地表に大きな角材と丸太を組み合わせて墓室となし、その上を石で覆い、さらにその上に盛り土をして造られている。
リュディアとフリュギアの古墳については、北方草原地帯の遊牧民(スキタイなど)からの影響と見る考え方もある。確かにとりわけフリュギアの古墳の構造は前期スキタイ時代の古墳と類似する点が多いが、年代的にはほとんど同時かむしろフリュギアの方がやや古いくらいなので、簡単に認めるわけにはいかない。
トンネルは発掘時に設けられたという。
私は安易にマケドニアやトラキアの墳墓を受け継いだフリギアの墓が北方遊牧民に伝わったと思っていた。ミケーネのアトレウスの宝庫とは全く違っていた。
ゴルディオン古墳群MM号墳 古代王権の誕生Ⅲ 中央ユーラシア・西アジア・北アフリカ編より


長い通路を通って、やっと入ったところは小さなホールになっていて、説明パネルなどがあった。


MM墓室 内部の長さ6.20m、幅5.15m、側壁の高さ3.25m
説明パネルは、外側は粗いセイヨウネズの丸太で覆われており、その密度と強度により、墓室本体は上部の古墳の重量から守られた。
墓室の壁と天井は、松の角柱で作られている。どちらの木材も、古代ゴルディオン近郊で入手できた。
しかし、大きな床材と棺は、フリギア原産ではない杉で作られている。これは、王から王へと外交的な贈り物が交換されていたことを示唆している。トンネルの突き当たりに見える木材はすべてオリジナルで、2700年以上もそこに立っているという。
アナトリアのキリキア地方にレバノン杉はタウルス山脈にも生えていたと思うが、フリギアの領土にタウルス山脈は含まれていなかった。
アトレウスの宝庫は内部が大きな円錐形の空洞だった。外観は似ていてもその点で全く異なる。


墓室へと歩きだしたら、かなり奥まで見学用に造られた羨道が続いているのだった。

延々と歩いて行く。天井に渡してあるのは木材のよう。


やっと見えてきた2700年以上前の木。
まず、説明パネルがその密度と強度により、墓室本体は上部の古墳の重量から守られたという外側の粗いセイヨウネズの丸太で囲まれている

左側面と前面の角

前面の右側と奥壁

木槨をあちこち写しまくる。

前740年頃に伐採された松


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30年前にアナトリア文明博物館に展示されていた墓室(現在はなくなっている)
『アナトリア文明博物館図録』は、ドアはないが三角形の破風がついている。内室の隅から見つかった遺骨は身長1.59mで60才以上と見られるがこの歴史学上貴重な墓はミダス王のものと思われているという。

しかし説明パネルは、MM(「ミダス王墓」)は、これまでで最大のもので、王の墓であると考えられている。1957年の発掘調査で、60-65歳くらいの男性の遺体が発見された。この古墳は前740年頃に築造されたもので、ミダス王自身のものではない。なぜなら、歴史記録によれば、ミダスは前709年にはまだ存命していたから。しかし、「ミダス王墓」という名称は今でも使われている。なぜなら、ミダスはこの古墳を、この都市と伝説のゴルディアスの結び目にちなんで名づけられた父ゴルディオスのために築造した可能性が高いからだという。
だからMM墓と呼ばれるようになったのか。
ミダス王の墓室 アナトリア文明博物館図録より

棺の上に横たわった王の遺体(ホールの説明パネルより)
説明パネルは、王は杉材の棺に横たわっており、その周囲には紫と金色の布が敷き詰められていた。182個の青銅製フィブラ(精巧な衣服留め具)が棺の上と横から発見されたが、そのほとんどは故人への供え物であった可能性が高いという。
金色の布って何でできていたのだろう。


『世界美術大全集』は、フリュギアの墳墓は、太い木材を組み合わせて切妻型の墓室を作り、それをまた木材を組んだ部屋と切石による囲みが覆い、さらにあいだに砕石を充填するという手の込んだものであった。そのおかげもあって墓室に納められた副葬品の保存状態はひじょうによく、家具などの木製品も当時の状況そのままに出土したという。
構造としては、木槨木棺墓を石槨が取り囲むという形らしい。しかもその間に砕石を詰めるという入念さ。

上方から見たMM墓の構造 GORDION MUSEUM より
説明パネルは、墓室の屋根葺きは葬儀が終わってから完成したため、儀式の時点では墓室は、完成途中の古墳にある、木で覆われた大きな穴のようだっただろうという。
墓室がそのような造り方だったので、扉というものは必要ないものだった。

棺と宴会の道具が墓室に降ろされ、注意深く並べられ、ほとんどの鉢は九つの木製のテーブルの上に積み重ねられたという。
副葬品というよりも、墓室での宴会の道具がそのまま残されたように思う。

取っ手や輪の付いた青銅製の物はすべて、墓室の東、南、西の壁に打ち込まれた69本の鉄の釘の一つに吊るされていた(しかし、その後数世紀の間に鉄は最終的に錆びて壊れ、吊るされていた物はすべて床に落ちた)という。
青銅製の釘だったら吊されたままだっただろうか。
上方から見たMM墓の構造 GORDION MUSEUM より


現在アナトリア文明博物館では大きなパネルに王の葬儀の様子が再現されていた。蓋のない棺の両脇には手すりのようなものが嵌め込まれている。
説明パネルは、墓室からは金は発見されなかったものの、豪華な木製家具と大量の貴重な青銅器が、この葬儀の壮麗さを物語っている。青銅製の遺物の一部はゴルディオン博物館に展示されているが、出土品のほとんどはアンカラのアナトリア文明博物館に所蔵されているという。
アナトリア文明博物館で展示されていたものはこちら


さて実物の墓室はこんな小さな開口部(おそらく発掘したときに開けられた穴)から覗くしかない。

開口部の上の木材

杉の棺は、ここからは見えない右の壁に沿って置かれていた。

遺物はなくても今でも残っている木材が何より見たかった。
ゴルディオン近郊で入手できた松材は表面だけが少し割れている程度。とても2700年以上前のものには見えない。

左の壁に三つの大鍋、その右側に角の丸いテーブル類があった。


ホールの説明パネルより

墓室内の遺物の状況(手前が開口部)
『GORDION MUSEUM』は、木造墓の開口部から、埋葬時にフリギア王と共に置かれた大量の青銅器が発見された。特に、底部にドーム状の空洞を持つ鉢(オンパロス鉢)が多く見られた。
また、青銅製の安全ピン(フィブラ)も多数発見され、死者の遺体に多く付けられていた。これらのピンには様々な種類があるが、いずれも留め金の上に突き出た一対の角が特徴。このタイプは、中央アナトリア地方全体に広く分布しているが、学者の間では一般的に「フリギア型」と呼ばれているという。
左の三つの丸いものは大鍋、中央よりの三つの角の丸いものはテーブル類でその一つがこれ

ゴルディオン博物館のフィブラ(ゴルディオン博物館にて)

オンパロス鉢の出土状況

そしてアナトリア文明博物館で展示されていた大鍋


入口のホールにカメラのリアルタイム映像があって、見学では見ることができない方向から木槨の内外をうかがい知ることができたが、色が着いておらず残念。


最後にやっと全景を撮影することができた。