お知らせ

やっとアナトリアの遺跡巡りを開始しました。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2025年11月7日金曜日

アラジャホユック 小神殿と洞道


アラジャホユック遺跡地図 Google Earth より
❶ヒッタイト時代のスフィンクス門 ❷初期青銅器時代の王墓群 ❸小神殿 ❹洞道 ❺休憩所 ❻金属工房 ❼貯蔵庫 ❽神殿 ❾ライトレール車両 ➓博物館 ⓫王墓の一部?


その後外側の通路を歩いて行くと、一本の木の右側に小神殿の石積みの基礎が見えてきた。ヒッタイトの建物の基礎は石積みなのだそう。


❸小神殿 平面図、立面図、そして想像外観の説明パネル
説明パネルは、小神殿は石灰岩の基礎の上に築かれている。基礎線に沿って、明るい色と暗い色の切石が壁面に配され、支柱として機能していた。これらの石のうち、角石は突出るように配置されていたという。
説明パネルの外観

そして立面図や断面図

平面図(写し方が悪く歪んでいます)
比較的保存状態の良いこの建物は北側に入口があり、11の正方形と長方形の部屋で構成されていたという。

一本の木の右側よりパノラマ合成

別々の写真でも大きい方が分かり易いかな。

向こうに❺休憩所と石積みの基礎のない(あるいは未発掘)ところ



一本の木の左側よりパノラマ合成

向こうに❻金属工房、❼貯蔵庫、❽神殿などが見えている


❺休憩所に向かう通路から再び初期青銅器時代の王墓が見えてきた。

⓫王墓の一部?
斜面に案内図にはない石積みの基礎が。

これは『鉄を生みだした帝国 ヒッタイト発掘』で「13王墓全景」とされている図版下左に写っているものだが王墓群よりも高く、離れているので違うのかな。
13王墓については後日忘れへんうちににて
アラジャホユック 13王墓全景 鉄を生みだした帝国 ヒッタイト発掘より


❺休憩所への通路と別れて西方面へ。


❹洞道の入口
説明パネルは、ほぼすべての大都市には要塞が存在していた。アリシャル、アラジャ・ホユク、その他の一環として、アーチ型のトンネル状の通路を備えた門構造のものが建設された。歩行者のみが通行可能だったという。

こんな遺構に入れるなんて😃

洞道の構造 説明パネルより

通路は、アーチといっても石を持ち送って三角形になっていた。半円アーチを築く技術がない時代なので。この洞道の上に両側に石を積み石板を渡していたらしい。


通路は左に折れている。


しばらく進むと向こうが明るくなってきた。


これで門の外に出たことになる。


洞道の上の建物と地下道の平面図

無理なパノラマ合成だが、入口と出口
左側が西門


左側の写真がないが、西門の遺構。

西門
説明パネルは、洞道門は、二つの塔、二つの扉、そして一つの入口で構成されていた。門の基礎は大きな石灰岩のブロックで築かれ、内部は土で埋められていた。高さ2mで床は大きな石板で舗装されていた。門の外側に面した部分は破壊されているという。
破壊の痕跡だった。


その後は来た道を戻り、

❺休憩所へ。
そこにはアラジャホユック遺跡の発掘状況と層位が図解されていて、

編年表もあったが、ⅢとⅡ、ⅡとⅠの間の空白期間がかなり長いことを知った。



王墓群とスフィンクス門



その後、立ち入られない箇所を時計回りに迂回して、東側に遺構が続く通路を通った。

❻金属工房や❼貯蔵庫など、現在も発掘調査が行われているあたり

❻金属工房はこの辺り?

それともこの辺り?



そしていつの間にか❷初期青銅器時代の王墓群の見える位置に来ていた。

そして❶ヒッタイト時代のスフィンクス門を入った所へ。


振り返ると門の石積みがあって、凹凸のある大きな石を不揃いながら形を隣接する石に合わせて削り、巧みに積み上げていた。

現地ガイドのオキアイさんはその精密さを「インカ帝国に勝る」と表現したが、インカ帝国はアラジャホユック遺跡よりはるか後の時代。


スフィンクス門から戻る通路の傍に遺物が並べてあった。

神に祈りを捧げているらしい浮彫や何が表されていたのか分からないものも。

左は歩いているのか疾駆している馬、おそらくライオン像そして人物立像




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参考文献
鉄を生みだした帝国 ヒッタイト発掘」 大村幸弘 1981年 NHK BOOKS

参考にしたもの
現地説明パネル