お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2025年4月25日金曜日

ユスキュダル Üsküdar ルミメフメトパシャジャーミイ Rumî Mehmet Paşa Camii


❶アティクヴァリデジャーミイからドクトルファフリアタベイ通り Dr. Fahri Atabey Cd.  に出た。


ソコルルメフメトパシャ・イルコクル(ソコルルメフメトパシャ小学校)というバス停に着くと程なく❷カラダヴドパシャジャーミイのバス停に停まる路線バスがやって来た。

ユシキュダル地図 Google Earth より
❶アティクヴァリデジャーミイ Atik Valide Çamii ❷カラダヴドパシャジャーミイ Karadavud Paşa Camii ❸ルミメフメトパシャジャーミイ Rumî Mehmet Paşa Camii ❹シェムシアフメッドパシャジャーミィ Şemsi Ahmet Paşa Camii ❺ミフリマースルタンジャーミイ Mihrimah Sultan Cami ❻フェリー乗り場
緑色の線はカドキョイからドルムシュ、徒歩、ミニバスでソコルルメフメトパシャ小学校 Sokullu Mehmet Paşa İlkokulu 停留所までの行程。


バスに乗って近くに座っていた老婦人に Karadavud Paşa Camii に行きたいというと、「まだだから坐れ」という。とりあえず出口付近で立っていようと歩き出すと、老婦人は私の腕をつかんで「まだだ」という。近くにいたお孫さんが「お祖母ちゃん、そんなことしたらだめ」と言うと、腕を放してくれた。そんなことを2、3回繰り返した。トルコの人たちは親切で、気に掛けてくれているのがよく分かった。まるで高橋由佳利氏の「トルコで私も考えた」シリーズの初期の作品の世界に入ったようだった。

❷カラダヴドパシャジャーミイ Google Earth より
三つのドームと柱廊だけの小さなモスク。逆T字型よりも簡素な構造。
そのドームは正方形、八角形、円形と移行している。


カラダヴドパシャジャーミイは1495年の創建で、ベヤズィト二世の頃に造られたモスク。

左が正面の入口で、これが中庭、奥の屋根のかかったところがシャドルヴァン(清めの泉亭)で、その右の地下がトイレ。


そしてこれがモスク
低いソンジェマアトイェリ(礼拝の時刻に遅れて来た人が礼拝する場所)の柱廊と小さなドームが横に三つ並んでいる。中央が礼拝室で左右はタブハネ(修行僧のデルヴィッシュ達を泊めたザーヴィエが、後にモスクに隣接した部分になってタブハネと呼ばれ、無料で短期間宿泊できる施設となった、『トルコ・イスラム建築紀行』より)

そして無骨なミナレット
ソンジェマアトイェリに入ったが、入口は閉まっていて、覗いてみると、大勢の人たちがおのおの書見台の前に坐り、ホジャが講義をしているようだったので、

集会が終わるまでお昼を食べておこうと通りに出ると、向かい側にラフマージュン  lahmacun の店があった。ハジュオール Hacıoğlu というチェーン店のよう。
実は、ラフマージュンは私の30年来の愛読書『トルコで私も考えた』シリーズの第3巻の「トルコのランチタイム」で紹介されていたので、是非食べてみたかった。前回は同書にあったピデを食べたし。

大きな窯、これで焼くのか。

ラフマージュン(ひき肉、タマネギ、パセリのトマトソース味)とサラダ、アイランそしてストラッチ Sutlac 


薄いのが2枚。ラフマージュンでサラダを巻いて食べるのも『トル考』で知っていた。


そしてデザートのストラッチはライスプディング
30年前に食べた時は大甘だったが、今どきは甘さ控えめ


外に出ると雨が降っていた。再びカラダヴドパシャジャーミイへ。今回は正面の門から入った。

しかしやはり講義は続いていたので、翌朝来ることにした。



その後どんどん雨が激しくなる中を❸ルミメフメトパシャジャーミイまで歩いて行ったので写真はない。


❸ルミメフメトパシャジャーミイ 
wikipedia によると、オスマン帝国時代にイスタンブールのアナトリア側に建てられた最初のモスクである。逆T字型の平面のモスクで、タブハネは両側に2つずつ、合計4つある。
右側の部屋は相互につながっている。左側の広い部屋はイマレット(貧しい人たちに食事を提供する施設)として使われている。
このモスクの建設は1469年に始まり、2年間の建設期間を経て1471年に完成し、礼拝のために開放された。このモスクは建築的にビザンチンとオスマン帝国の影響が融合している。モスクは1953年に最後の大規模な修復工事を終えた。
モスクはボスポラス海峡を見下ろす丘の上にあるという。
征服王メフメト二世の時代(復位1451-81)に建てられている。

イスタンブールの旧市街ではグランドバザールの近くにあるマフムトパシャジャーミイ Mahmut Paşa Camiiが1462年にやはり逆T字型プランで建造されている。双方の大きな違いは、ルミメフメトパシャジャーミイは礼拝室が大ドームと半ドームなのに対して、マフムトパシャジャーミイは大ドームが二つということ。
Google Earth より
❶ソンジェマアトイェリ ❷礼拝室入口 ❸礼拝室 ❹ミフラーブ ❺タブハネ ❻イマレット ❼墓廟


やっとモスクらしきものが木々の間から見えた。手前の八角形の建物がルミメフメトパシャ廟。

境内に入って入口の方へ回り込んでいて見上げると、ドーム下のレンガのアーチや窓の上縁のアーチに違和感を覚えた。イスラム百科事典によると、後の時代の修復で改変されたとか。

ソンジェマアトイェリ(礼拝の時刻に遅れて来た人が礼拝する場所)


左ソンジェマアトイェリ
円柱にはこれまで見たことのない柱頭があった。

右ソンジェマアトイェリ
入口脇の円柱だけ他のものと違う石が使われている。

礼拝室入口は複雑なムカルナスがなくてすっきりしている。


礼拝室の奥に❹ミフラーブのある半ドーム

スキンチに窓がある不思議な構造。その下のムカルナスはただの装飾。

その下にミフラーブとミンバル


ミフラーブもミンバルも古いものではなさそうだ。


主ドームの架構はペンデンティブで、入口側の壁面には窓がたくさん開いたカーテン壁。
あまり写真を写さなかったので、 Google Map の360°写真で三方の壁面に窓がたくさんあること、タブハネなどへの扉は閉じていたことなどを知った。

女性用マッフィルの隅に二階への螺旋階段を見つけたので上がってみると、

簡素ながら奥行きのあるマッフィルで、真ん中からドームやミフラーブ壁を見ることができた。


主ドームにはオリジナルらしい壁画が少しだけ残っている。

忠実に復元されたものだ。


そしてミフラーブのある半ドームと手前の主ドームのペンデンティブ。


外に出て改めてレンガが多用されたモスクだと感じたが、当初からそうだったのだろうか。


境内の外に出た方がドームがよく見えた。

坂の下には Landmark 1923 というタワー、うっすらと見える対岸は新市街。

坂を下りきって道路を渡り、振り返るとルミメフメトパシャジャーミイが顔を出していた。

妙な修復のおかげでいまいちな建物になってしまった。


そして少し左を見るとイエニヴァリデジャーミイ Yeni Valide Camii のミナレットと、消えてしまいそうなチャルムジャタワー。




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参考サイト

参考文献
「トルコで私も考えた1」 高橋由佳利 1996年 集英社 
「トルコで私も考えた2」 高橋由佳利 1999年 集英社
「トルコで私も考えた3」 高橋由佳利 2002年 集英社
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社