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やっとアナトリアの遺跡巡りを開始しました。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
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2026年2月20日金曜日

アンカラ アウグストゥス神殿とモスク Augustus Tapınağı


ローマ時代の公衆浴場の後は、当時列柱道路で結ばれていたというアウグストゥス神殿に向かった。

説明パネルは、ガラティア時代にテクトサグ・ガラティア人によって支配された古代アンキュラは、東西の交易路に位置していた。ローマ時代には、その重要な立地条件とガラティア属州の首都としての地位により、アンキュラはさらなる発展を遂げた。1937-44年に行われた発掘調査では、宮殿や屋根付き浴場を含む壮麗なローマ時代の建造物群が発見された。
浴場とパレストラの東側には、古代アンキュラの聖域、アウグストゥス神殿の領域から続く列柱道路が続いているという。

アンカラの地図 Google Earth より
❶アナトリア文明博物館 ❷アスランハネジャミイAhi Şerafettin (Aslanhane) Camii ❸アスランハネ墓地 Aslanhane Camii Haziresi ❹アスランハネの墓廟 Ahi Şerafettin Türbesi ❺アンカラ城門と時計台 Ankara Kale Kapısı ve Saat Kulesi ❻アンカラ城 Ankara Kalesi ❼ローマ時代の公衆浴場跡 Ankara Roma Hamamı ve Antik Kenti ❽ アウグストゥス神殿 Augustus Tapınağı ❾ハジュバイラムモスクと廟 Hacı Bayram-ı Velî Camii ➓アタテュルク廟 Anıtkabir, Atatürk ve Mozole


アウグストゥス神殿付近の地図 Google Earth より
A:アウグストゥス神殿 B:ハジュバイラムモスク C:ハジュバイラム廟 D:ローマ時代の半円形劇場跡 Antik Roma Tiyatrosu

まず見えたのがB:モスクのミナレット


もう少し近づくと、その隣に修復中と思われるA:アウグストゥス神殿の遺構が姿を現した。というよりも、何故古代の神殿の近くにモスクを建てたのだろう。



アウグストゥス神殿
説明パネルは、この神殿は、壁の内側にラテン語、外側にギリシア語で刻まれた独特の碑文によってその重要性を増している。この碑文には、初代ローマ皇帝アウグストゥスの偉業が記されている。建設はおそらくヘレニズム時代に始まり、地元の神々であるメンとキュベレの聖域として計画されたと考えられている。しかし、アウグストゥス帝の治世(前27-後14)にはガラティアがローマ帝国の属州となり、神殿は皇帝の崇拝の場として利用されたという。
神殿本体は幅が狭いが、かつては外縁に列柱があった。

外観復元図(説明パネルより)
説明パネルは、神殿は南西から北東に面しており、その大きさは36m×54.82m。コリント式で擬似双翅形平面を呈している。高さ2mの基壇上に建てられ、8段の階段がある。柱は狭い側に8本、広い側に15本。さらに、前室(プロナオス)の前に4本、後室(オピストドモス)にはアンティス型の柱が2本。神殿の南側と南東側の減築部分は、おそらく列柱(ペリスタシス)の基礎壁であり、基壇(クレピドマ)周囲の階段は未完成のままという。
柱頭は渦巻きのあるイオニア式。

平面図(説明パネルより)
ⓐ前室(プロナオス)ⓑ聖室(ケラ) ⓒ後室(オピストドモス) ⓓ列柱(ペリスタシス) ⓔ↑図 基壇(クレピドマ)
現存するのは黒い部分


❶プロナオス上部
説明パネルは、聖室(ケラ)への入口は、前室(プロナオス)の装飾のある扉枠を持つ大きな門から。ケラは礼拝彫刻のある暗い部屋で、司祭だけが入室できいる。地下室は現在残っている階より1m高くなっており、この部屋に登るには 4段の階段があったことがわかっているという。

外周の柱廊
その下の赤っぽい石積みの遺構はアウグストゥス神殿よりも前の時代のもの?

入口側の二重の柱列

ここにも古い遺構

ローマ神殿の壁面に窓が三つあるとは。

壁の途中に凸帯が通っていて、卍繋文らしきものが浮彫されている。

6世紀にビザンチン帝国によって教会に改築された。主室の床は狭くなり、主室とオピストドモスの間の壁は取り除かれた。また、背面にはアプスが増築され、ケラの南東の壁に窓用の開口部が 三つ追加されたという。
ローマ神殿には窓はなかった。

窓の格子は壁を透彫にしたみたい。


❸オピストドモスと後に付け足された遺構

白い石材と赤い石が交互に積み上げられたアルマシュクの壁。どちらも柔らかそうで凝灰岩かも。

後方から見たアルマシュクの壁

反対側より

壁体上部にはアカンサスの蔓草文が続いていたような気配。


北側にはイスラーム関係の書店や数珠の店などが並んでいた。

女性用の礼拝室は地下にあるというこで東側の階段を下りていったが、礼拝室の手前にあったシャドルバン(お祈りの前に身を清める場所)の奥にあったトイレを使わせていただいて戻っているとエスカレータがあったので、そのまま地上に出てしまった。
モスク北側の広場は整備されていて、西側には坂下から上がるエスカレータ、アウグストゥス神殿の北側のエスカレータは下階の女性用のシャドルバンに行くためのもの。
礼拝時刻に重なったため地上階のモスク内には入れなかったが、他にモスクの写真がないのは、20世紀の修復のために、私には新し過ぎて撮影する気になれなかったから。


これは一体・・・

平レンガと白い石材を交互に積んだ壁面を切石の外壁で覆ったよう。

少し離れたところにも不明の建造物の残骸が。


B:ハジュバイラムジャーミイの側面
説明パネルは、1427-1428年には、神殿の北西の角にハジュ・バイラム・モスクが建てられた。初期の文献によると、寺院のオピストドモス(後陣)にイーワーン(開放されいる部屋)が増築され、寺院の壁の落書きから、ハジュ・バイラム・モスクの建設後、寺院がメドレセ(イスラム教の神学校)として使用されていることがわかる。エヴリヤ・チェレビは、1640年頃にはキュリイェに約300人の修道僧がいいると伝えている。モスクは長年にわたり何度も再建されているという。
建設時期はエディルネのムラディエジャーミイと同じ頃だが外観はかなり異なる。

続いてC:ハジュバイラム廟
正方形、八角形で円形を導きドームを架構したテュルベ
右側が出入口で、靴を脱いで入る。

内側はペンデンティブだった。一番大きいのがハジュバイラムの棺


この高台のアウグストゥス神殿側から❻アンカラ城とその城壁を望む。

城壁は何重にも巡らしたようだ。

その斜め右下にはⓓローマ時代の半円形劇場(復元)もあった。




関連記事

参考にしたもの
現地説明パネル


2022年3月29日火曜日

オスティア・アンティカ2 劇場と同業者組合広場


遺跡地図
オスティア・アンティカの遺跡地図 『ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROME』より


柱廊の西側は劇場の両隣に設置されたニンファエム(泉水場)
右上の平面図 後世泉水場の上に教会が建てられた
右下の立面図 その教会の想像復元図
左下の列柱図 ローマ帝国時代の泉水場の想像復元図 説明パネルより

4本の円柱のうち3本残っている。手前の欠けた円柱の様子から、ドラム式ではなく一本の石柱(モノリス)が並んでいたようだ。

確かに半円形の枠の中に別のものがある。これが教会の一部。


劇場
観客席後部の構造
ローマン・コンクリートが露出した壁面。外壁となるレンガの積み方だけではなく、高さによって骨材も変えるなどいろいろと工夫されていたことが見られて興味深い。
『古代ローマ人の危機管理』は、オスティアに限らず古代ローマのコンクリートは、骨材(セメントに混ぜる石)の比率が大きいだけでなく、骨材そのものも大きいため、骨材を固着させるセメントが強度を失っても、骨材どうしがかみ合って、持ちこたえられる可能性があるという。

劇場への階段


劇場は半円形で舞台の建物は失われている。その奥は同業者組合広場
『望遠郷 ローマ』は、劇場は、浴場と並んで古代ローマ都市を特徴づける施設である。この劇場はアグリッパによって建てられ、2世紀末にコンモドゥス帝が一部修復させた。この修復後は、 約4000人を収容できたという。現在の外観、とくに階段席と列柱廊は1927年の大修理によるものであるという。
これまで見てきた古代ローマの劇場の中では小さい。

想像復元図
同書は、舞台(オルケストラ)には矩形と曲面の壁龕が交互に設けられ、その上には発掘のさいに見つかった大理石装飾の断片が置かれていたという。
オスティア・アンティカ 劇場の想像復元図 『ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROME 』より

舞台のどこを飾っていたのか、石造の仮面の浮彫が並んでいた。

レンガ積み(オプス・テスタケウム)の充填剤だけの巨大な塊。割石だらけだが、補修したのか、そのままなのか。

レンガ積みは残っていても、上部は補修して割石もところどころ出している。



広場の中にはケレス神殿
同業者組合広場の列柱は石製のようなのに、その中の神殿の円柱はレンガ積みに漆喰を上塗りしている。
それについてはこちら


舞台へと降りていく。


舞台を装飾していたものらしく、レンガとは別財で、卵鏃文様やアカンサスの葉などの飾りが残っている。

別の遺構。デンティル(歯形装飾)の上には複雑な装飾がある。

座席側。こぢんまりした観客席。

下方は3段下がって砂地となるのだが、妙なものが気になった。
それは炎のような形を石でつくってあり、段の間に刺さっていた。


同業者組合広場
広場を囲む舗床モザイクは当時の通路。その外側に店舗が並んでいた。
『望遠郷 ローマ』は、モザイクは、さまざまな色の石やガラスの小断片を並べて絵や模様を描きだす芸術であり、 古代ローマで技法・表現ともに大いなる発展を遂げる。壁面や天井、床など、目的や図柄によって、4種類の技法が区別されていた。幾何学的な模様から複雑な絵画的表現まで、 色彩も単彩、多色とモザイク芸術のあらゆる可能性が究められた。オスティア(とくに2世紀の同業組合広場のもの)は、人間や動物を黒白のシルエットで描いたモザイク舗床で有名であるという。

低い円柱跡のところから、屋根付きの店舗になっていた。
オスティア・アンティカ 同業者組合広場の想像復元図 『ANCIENT OSTIA』より

おっと、また飛行機が上空を通過。


シンプルに文字だけのものもあれば、


何文様というのだろう。カーペットのように敷き詰められ、小さな区画に船が描かれている。

港町だけあって、船とイルカの絵が多い。


2本の木の間に容器


凪いだ海を漕いで進む帆立船


向かい合うイルカとオスティアの灯台


石畳文を配置を換えて変化のある幾何学文様に。右下隅も灯台?


上下逆さまに写してしまったが、奥からイノシシ、続いてヘラジカ、手前は象。
『望遠郷 ローマ』は、この猪は、鹿や象などを描いた大型モザイクの部分。このモザイク には、狩猟、拳闘士と動物、動物同士など、円形闘技場での闘技に使われた動物が描かれているという。

簡素な七宝繋文かと思えば、黒地に白の円と四角が交互に配されたところもあったりして。


文様がお店の看板のようになっているものも。

奥の寸胴鍋に三つ足のついた容器は何だろう。手軽にスープの飲める店を表しているのかな。


風変わりな幾何学文様だけの店も。






関連項目

参考文献

「ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROME」 VISION S.r.L. 2015年

「古代ローマ人の危機管理」 堀賀貴 2019年 九州大学出版会
「望遠郷 ローマ」 1995年 ガリマール社・同朋舎出版・編