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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2025年5月23日金曜日

ミマールスィナンの建築巡り カバタシュ Kabataş モラチェレビジャーミイ Molla Çelebi Camii


ベシクタシュにあるスィナンパシャジャーミイ(1554-55)の見学後、④ドルマバフチェ通りを渡って、見学できなかったバルバロスハイレッディンパシャ廟を恨めしげに一瞥した。小さいとはいえ、ミマールスィナンのごく初期の建造物(1541年)なのだから。
その後ドルマバフチェ通りを西へ。


イスタンブール新市街地図 Google Earth より
①ベシクタシュ Beşiktaş フェリー乗り場 ②バルバロスハイレッディンパシャ廟 Barbaros Hayrettin Paşa Türbesi  ③シナンパシャジャーミイ Sinan Paşa Camii ④ドルマバフチェ通り Dolmabahçe Cd. ⑤ドルマバフチェ宮殿  Dolmabahçe Sarayı ⑥メ
ジリスィメブサン通り Meclis-i Mebusan Cd. ⑦ドルマバフチェジャーミイ Dolmabahçe Camii ⑧カバタシュトラム駅 Kabataş Tramvay istasyonu ⑨モラチェレビジャーミイ Molla Çelebi Camii ⑩フンドゥクル-ミマールスィナン大学駅 Fındıklı-Mımar Sınan Ünıversıtesı ⑪ミマールスィナン芸術大学  Mimar Sinan Güzel Sanatlar Üniversitesi


フンドゥクル Fındıklı にある⑨モラチェレビジャーミイへ、雨の中をひたすら歩く。
長々と続く壁の向こう側はトルコバロックの⑤ドルマバフチェ宮殿があるのだが、この壁はそれよりも古そう。


やがて⑥メジリスィメブサン通りと名が変わった。トラムT1線の始発駅は⑧カバタシュなので、宮殿を過ぎたところにある同じくトルコバロックの⑦ドルマバフチェモスクよりもずっと向こうにある。


歩き続けるかトラムに乗ろうか、迷いながら歩いていると、なんと運良くトラムが⑧カバタシュ駅にいたので、走っていって乗ることができた。⑨
モラチェレビジャーミイを通り過ぎたところの⑩フンドゥクル-ミマールスィナン大学駅で降りて少し戻ったが、一駅でも乗れて楽だった。
実はモラチェレビジャーミイは前回訪れたのだがその時も大雨だった。その上扉は閉まっていた。ソンジェマアトイェリで毛布にくるまっていたホームレスっぽいおっちゃんに聞くと「午後からなら開いているから午後に来なさい」ということだったが、その日の午後は予定があったので、今回の旅では一日の終わりに来ることにしていたのだ。

曇ったレンズにも気付かずにミナレットを写したが、
同書によると新しいものという。
そう言えば、以前のミナレットの塔身はかなりの数の多角形で、このようなのっぺらぼうの円筒ではなかった。


おっ、主ドームのそばに重量塔発見。ミマールスィナンが初期に造ったスィナンパシャジャーミイにはあったっけ? 写真を見る限りなかったです。


平面図 『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』(以下『Architect Sinan』)より
❶礼拝室入口 ❷ソンジェマアトイェリ(礼拝の時刻に遅れて来た人が礼拝する場所) ❸主ドーム ❹ミフラーブ ❺ミンバル(説教壇) ❻付け柱の支柱(上部に重量塔) ❼付け柱の支柱 ❽独立した支柱 ❾マッフィルへの階段 ➓マッフィル
モラチェレビジャーミイについてArchitect Sinan』は、フィンドゥクルにあるモラ・チェレビのモスクには建設の碑銘がなく、1570年に着工され1584年に完成したと推定されている。当時、モスクの西側に浴場も建設されていたが、1957年にトプハネ・ドルマバフチェ道路の拡張工事中に取り壊されたという。
トプハネのクルチアリパシャジャーミイ(1578-80)のミフラーブ壁も突き出た平面になっている。エディルネのセリミエジャーミイ(1568-75)でミフラーブ壁を壁体から突き出すという平面にして以降、ミマールスィナンはこのような形を好んで使ったのだろうか。
モラチェレビジャーミイ平面図 Architect Sinan His Life, Works and Patrons より


同書は、モスクは大規模な修復工事を経たが、大きな変更を受けることなく現代まで存続した。1723年と1724年の火災後、ソンジェマアトイェリのアーケードは木製の支柱を持つ片持ち式に改修され、現在の白い大理石の柱を持つアーケードは1958年に建設されたという。
このアーケードも新しいものだった。
スィナンパシャジャーミイと違ってソンジェマアトイェリは開かれた柱廊になっていて、小ドームが五つある。あれ、向こうにホームレス風の人が坐り込んでいる。ひょっとしてあの時のおっちゃんかも。

この柱頭も古いものではなかったのか。



主ドームの直径は11.80m


突き出した半ドーム下のミフラーブでは、ホジャが二人の子供たちに講義をしていたので、気を散らさないように近づかなかった。
こぢんまりしたモスクなので、ミフラーブのある空間の幅はせまく、右付け柱に❺ミンバル(説教壇)、左付け柱に説教台と、一枚の写真に収まってしまう。シャンデリアが邪魔で除けなければならないほどだった。

補修を受けているのでオリジナルではなないだろうが、ミフラーブ上にはステンドグラスがあった。


ステンドグラスは、白い円形のガラスが並んでいるのがシェフザーデジャーミィ廟のものに似ているが、

モラチェレビジャーミイのものは板ガラスを丸く切っているようで、シェフザーデジャーミィ廟のステンドグラスはざらざらしたガラスが嵌め込まれている。



❺ミンバル(説教壇)は木製

浮彫もあるが古いものではない。



珍しく礼拝室の中程にある❻支柱も付け柱。

⑩マッフィルは木製で、

⑩入口上のマッフィルと⑧支柱
この辺りはコンクリート製のようで、主ドームを支える支柱のうち、この2本だけが独立した円柱だった。

こちらの➓マッフィルは女性用だろうか、照明が点いていた。


このステンドグラスも古いものではない。

外から眺める。

たったこれだけの小さなモスクだった。


ミフラーブ側の出っ張りと半ドーム、❸主ドームとそれを支える半ドーム、そしてミフラーブ側の付け柱の上にも重量塔があった。


通りの反対側から見ていたら礼拝室入口側の独立した支柱にも重量塔があるのか確認できない。そこでGoogle Earth で上から見てみるとなさそう。


その後はトラムT1線で旧市街のホテルに戻り、夕食は近くのドネルケバブ屋にて。この日は希望者だけで少人数だったので、若い添乗員さんから楽しい話をいろいろと伺うことができた。

その後スイーツが食べたくなったので、トラム通りのMADOでドンドゥルマ Dondurma を買った。トルコでは沢山採れるピスタチオにチョコレート。生クリームではなく植物の根から採った粘る成分でつくられているので低脂質、でも高糖質かも。



                     →ユスキュダル カラダヴドパシャジャーミイ

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参考文献
「Architect Sinan His Life, Works and Patrons」 Prof. Dr. Selçuk Mülayim著 2022年 AKŞIT KÜLTÜR TURIZM SANAT AJANS TIC. LTD. ŞTI.