感恩寺の向こうには大鐘川(テジョンチョン 대종천)が流れている。ほとんど流れがなかったが、『図説韓国の歴史』によると、感恩寺創建当時(682年)は寺の前に船着場があり、海中陵とつながっていたとされるのだそうだ。1300年もの年月で川底は低くなり、流れが遠くにいってしまったというわけや。




説明パネルに短い日本語の解説が付けられていた。三国統一の偉業を成し遂げた新羅の文武大王(661~681)の死後、東海の竜になり倭敵から東海を守ると言う遺言に従って築造した水中陵で、またその名を大王岩とも言う。このような水中王陵は世界でも類例のない特異なものであるということだ。明括山城で日本軍が敗退した後も度々倭国はやってきたんやね。
武井氏はまた、このようなために、海中王陵に向かい一晩中祈りを捧げるムーダンなどの人々を見ることができる。また、島には上陸できないが、そばをモーターボートでまわることはできるということで、『図説』によると、ムーダンは巫堂と書き、女シャーマンのことらしい。我々が行った時はそのような人はいなかったが、武井氏のページにはその写真もある。




このあたりの店で食べてもよかったね
タクシーを待たせてなかったらね



※参考文献
「図説韓国の歴史」(金両基監修 1988年 河出書房新社)
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)
※参考サイト
慶州へ行こうの竜の寺、新羅・感恩寺・文武大王(문무대왕)海中王陵