お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年2月5日土曜日

9-2 サンタ・コスタンツァ廟(Mausoleo di Santa Costanza)は集中式

サンタニェーゼの外に出ると、白い線が放射状に出た前庭があった。先まで行って左折すると生け垣の向こうにコスタンツァ廟が見えた。
『イタリアの初期キリスト教聖堂』は、建物が建っているのは、緑豊かな修道院の一角である。手前にサンタニエーゼ聖堂があり、それを回り込んだ庭園の奥に木々や草花にうずもれるように、サンタ・コンスタンツァ聖堂があるというが、その通りだった。
古い文献にはコスタンツァではなく、コンスタンツァとなっているので、私は今回旅行の準備をするまで、コンスタンツァ廟だと思っていた。
生け垣というのも珍しい。やっぱりコスタンツァ廟の前庭も白石のX字形と輪郭になっていた。
外観は簡素な煉瓦のかたまりである。正面の平坦な外壁の向こうに、円筒形が立ち上がっている。その頂部は、ローマ風の歯形のような軒蛇腹(デンティス)で区切られていて、その上に瓦屋根が載っている。開口部はすべて堂々としたローマンアーチでつくられている。ただ一つ、正面入口のみが白大理石の枠組みで囲われているが、その上に大きな「めくらアーチ」が載っていて、それがこの簡素にして力強い建物にふわしいという。
「めくらアーチ」はブラインド・アーチ(Blind Arch)の訳語で、実際に開口部のないアーチをいう。古代ローマの建造物にも用いられた。荷重をアーチの両側に分散させ、真下に掛からないようにしている。
扉は開いていた。
この円形の建物は、当初は柱廊をその周囲に巡らせていたものであるが、今日それはなく、ただ正面に薄くナルテックス(入口前室)が付いているのみであるという。

グーグルアースで真上から見ると、ファサード(玄関正面)の部分だけ弧が切り取られている。

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北東向きの入口を入ると狭いナルテックスがあるが、ナルテックスがどんな風になっているか見る余裕もなく、廟堂内に吸い込まれていった。
内部は暗かった。周歩廊に並んだ椅子に坐ってしゃべっている人が2人と、暗いのに周歩廊の天井を撮している人が1人いるだけで、説明をする人がいるわけでもない。
中央には2本ずつのコリント式円柱が12組巡っていて、その中に祭壇がある。
『建築と都市の美学』は、初期キリスト教建築には円形・八角形・などの集中式プランも見うけられる。この形式はキリスト教の典礼には不都合となっていたため聖堂は少なく、聖人の墓廟や洗礼堂として造られたものが多いという。
『イタリアの初期キリスト教聖堂』は、美しい、珠玉のような円形聖堂である。中心にドーム(円蓋)を頂く聖堂建築としては、西ヨーロッパに残る最も古い例だといわれている。
この聖堂は、最初はコンスタンティヌス帝の2人の娘、コンスタンツァとその姉ヘレナの洗礼堂として建てられたものであるが、コンスタンツァの没後、その霊廟として用いられるようになり、13世紀半ばになって聖堂に改築された。現在でも建物の一番奥にコンスタンツァの石棺(ただし模作)が置かれているのを見ることができるという。
コスタンツァ廟は洗礼堂として造られ、墓廟となったパターンだ。
丸い平面から、内陣を囲む12組の円柱と同じ数だけの窓が、円天井に開けられている。円天井は内側の直径が10m以上あるが、直径43.3mもあるパンテオンのドームのオルクス(目という名の直径約9mの開口部)とあまり変わらない。
しかし、想像していたよりも高かった。円天井まで20mはありそうだ。
円天井一面に描かれた壁画は、13世紀半ばに聖堂にされた時のものだろうか。13世紀といえばゴシック様式の時代、果たしてこのような絵が描かれていたのだろうか。

『世界美術大全集7西欧初期中世の美術』は、円蓋を飾っていたモザイクは、1620年頃まではかろうじて残存していたが、その後すべて失われてしまった。しかし、15世紀末から16世紀のいくつかの水彩模写や素描、それらに加えられた記述から、そのおおよその全体図は知られている。円蓋頂部には、小円の枠内に、天幕のモティーフがあった。その周辺の壁体は、二重のカリアティード(人像柱)風モティーフとアカンサス葉文によって、上下2層の各12区画に分割され旧・新約聖書の物語場面が配されていたと思われる。上層の12場面中、記録から確認できるのは「盲人の治癒の奇跡」などの新約キリスト伝2場面だけである。下層部は9場面が確認され、聖ペテロと聖パウロにまつわる1場面以外は、エリヤ、スザンナ、ノア、ロト、カインとアベル、モーセを主人公とする旧約聖書場面となっている。そして円蓋底部には、小舟や筏に乗って漁をする童子や人間たち、魚や水に浮かぶ水鳥といった、いわゆる「ナイル川情景が描かれていた。こうした円蓋部の失われた壁画も創建時の360年前後のものとすれば、ドゥラ・エウロポスの孤立した作例を除いて、教会堂壁画プログラムにおける旧・新約聖書サイクルの最も古い例を確認できることとなるという。
ではこのフレスコ画は17世紀初頭以降に描かれたものになるだろう。
中央にいるのはキリストのようだ。 
コスタンツァ廟の中心軸からそれて、レンガがむき出しになった筋が円天井の中央から出ているのは何だろう。
おっちゃんがせっかく写してくれたので、他の写真も。キリストの背後に描かれた人物。
これは窓の上の帯状の部分で、現世の場面が描かれているようだ。僧侶の背中には何かの場面が描かれている。
※参考文献
「建築巡礼42 イタリアの初期キリスト教聖堂」(香山壽夫・香山玲子 1999年 丸善株式会社)
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)  
「建築と都市の美学 イタリアⅡ神聖 初期キリスト教・ビザンティン・ロマネスク」(監修陣内秀信 2000年 建築資料研究社)
「世界美術大全集7 西欧初期中世の美術」(1997年 小学館)