お知らせ

やっとアナトリアの遺跡巡りを開始しました。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2026年4月17日金曜日

フリギアの谷巡り ヤズルカヤ近辺


本日はエスキシェヒルからフリギア渓谷の遺跡巡りをする。 地図はGoogle Earth より
エスキシェヒル Eskişehir ②ミダス記念碑(ヤズルカヤ) Yazılıkaya/Midas Anıtı ③アスランタシュとユランタシュ Aslantaş-Yılantaş Ören Yeri ④アフィヨンカラヒサール Afyonkarahisar ⑤アイザノイ Aizanoi ⑥キュタヒヤ Kütahya 
説明パネルは、①エスキシェヒル、④アフィヨンカラヒサル、⑥キュタヒヤに囲まれたフリギア高地は、フリギア人が歴史を通じて政治的にも文化的にも最も強力で影響力のある地域だった。主にエスキシェヒルの境界に位置するこの地域には、前8-6世紀前半にかけて多くのフリギアの要塞が建設された。これらの要塞は、フリギア渓谷として知られる深い谷の近くの岩だらけの台地に位置し、周辺地域と谷へと続く道路を支配する戦略的要衝を占めていた。
切り立った岩壁で守られた要塞内には、岩を削って作られた傾斜路、階段状の入口、巨大な貯水槽、貯蔵庫、階段付きのトンネル、祭祀記念碑、そして石室墓が設けられていた。その他の小規模な要塞は、監視や情報収集の拠点として使用されていた可能性があるという。


①エスキシェヒルを出発して、なだらかな丘陵が続き、

やがて農地となり、岩稜の丘は遠ざかり、

広い道路から分かれていくと、集落の斜面に珍しく山羊の群を見かけた。

やがてバスはローカルな道に入り、

車窓は切り立った岩壁が続くようになり、岩壁が途切れたところにポツンとある小さな岩へと曲がりくねった道が付いているのが見えた。ひょっとしてあれがミダスシェフリ?

慌ててズームしたが全然違うものだった。これも要塞の一つ?


この辺りの岩には穴があいていたり、建物を模したものもあるが、ミダスシェフリではない。



その後も崖は続いていて、一つだけ表面が平らに削られた岩の柱のようなものが見えてきた。ひょっとしてあれ?

とミダス記念碑を見つけたところで駐車場に到着。


確かにミダス記念碑に違いなかった。正面からの写真ばかり見ていたのである程度奥行きのある建物のようなもだというイメージが膨らんでいて、こんな風に薄っぺらい建物のファサードだけのものだとは想像していなかった。

集落の中を通って遺跡の入口へ。あっ、ノラ君が付いてきた。


②ミダス記念碑 Google Earth より
A:ミダス記念碑 B:向かい合うライオン像にも見える岩 C:クルクギョズの崖 Kırkgöz Kayalıkları D:フリギア式貯水槽 Frig Sarnıcı E:未完成の記念碑 Bitmemiş Anıt F:石のラクダ taş deve G:ミダスの玉座 Sümbüllü Anıt 


風化した岩壁の下部には人の手で穿たれた穴が並んでいる。お墓だろうか、祠堂だろうか。

緩やかな傾斜を進んでいくと穴だらけの大岩が現れた。


登り切ったところで左手にやっと見えた。
Aミダス記念碑 Midas Anıtı。
以前はミダスシェフリと呼ばれているような気もするが、現在ではミダス記念碑になっている。
説明パネルは、長方形平面で切妻屋根を持つフリギア時代の住居(メガロン)の正面を岩に彫り込んだもの。フリギア時代の岩窟記念碑の中でも最も壮麗なもの。記念碑の名称は、左上部分の平らな岩盤に刻まれた古フリギア語の碑文にある「ミダイ」という言葉に由来している。しかし、地元の人々は碑文があることから「ヤズルカヤ」(刻まれた岩)と呼んでいる。ここは母なる女神マタルに捧げられた野外神殿という。
昔はこれが神殿のファサードで、中央下の開口部から中に入るとアナトリア文明博物館に復元展示されていたミダス王の木槨墓が安置されていると勘違いしていた。

浅浮彫の幾何学文様が整然と並んでいる。
詳しくは後日忘れへんうちににて

中央下に開口部があるが、内部には繋がっていない。女神マタル像を安置する壁龕というが、何時の時代にか失われてしまった。
そう言えばゴルディオン博物館の中・後期フリギア時代のマタル像が似たような壁面パネルの前に展示されていたのを思い出した。


ミダス記念碑や続く岩の下側にも人が穿った浅い穴がある。これがミダス記念碑と同じ時代のものではないだろう。


Bこの二つの岩が向かい合うライオン像に見えるのは私の妄想。


クルクギョズの崖 ヘレニズム時代、ローマ時代、ビザンツ時代
深い穴がたくさんある。
説明パネルは、東側には、ヘレニズム時代の壮大な岩窟墓がある。二つの部屋からなるこの墓は、2本の柱で支えられた破風を持つが、現在はひどく損傷している。ビザンツ時代には、岩の階段で部屋と部屋を行き来する多層構造の岩窟集落として利用されていたという。
岩窟墓というのは右下の三連の穴のことだろうか。フリギア時代よりも時代はさがるが、カッパドキアのウチヒサールのように住居にしていたのだろう。ということはこの辺りの岩は彫りやすい凝灰岩?

ノラ君と麓のヤズル村を見下ろす。遠くには似たような低い岩の丘が幾つもある。


続いて右下にも穴を開けられたミダス記念碑とクルクギョズの崖の間から反対側へ。


Aミダス記念碑の裏側には遊歩道が続いていて、


左から伸びているのは
Dフリギア式貯水槽 

岩の洞窟に続く階段ではなくて、雨水を集める仕掛け。

説明パネルは、元々は安全な取水のためにアーチ型の屋根で覆われていた。アーチと岩の階段は外部からの浸食によって失われている。集落のある上部台地から流れ落ちる水を貯めていたこの貯水槽は、下段のテラスで現在も利用されている「クルク・スユ」と「シファル・キュベレ」の泉に水を供給していたという。

この穴と

左側の穴から二つの泉に水が送られていた。時間があればその泉にも行ってみたかった。


向こうの道路沿いにも岩の崖が、しかも2段

その道路脇にあるのはFラクダ岩



もう少し進むと
E未完成の記念碑
説明パネルは、建築要素の寸法が不均衡であることから、この記念碑は計画通りに完成しなかったことが分かる。そのため、未完成の記念碑と呼ばれている。キュチュク・ヤズルカヤ(小ヤズルカヤ)とも呼ばれている。大きさは7m×10m。他の記念碑が東向きであるのに対し、この記念碑は西向きという。
小さいがミダス記念碑に似ている。


説明パネルは、未完成なので、この種の記念碑の建設技術について知ることができる。つまり、岩の表面は上から平らにされ、そこから浮彫を施し始めたと考えられる。建築要素と装飾要素が同時に岩に彫り込まれており、彫刻は上から下へと続いている。記念碑の2m下、左側には小さな岩の記念碑があり、右側には岩の祭壇があるという。
切妻屋根の飾りはこちらの方がよく残っている。

記念碑の2m下、左側には小さな岩の記念碑があり、右側には岩の祭壇があるというが、これ?それとも遊歩道の下?


ということでヤズルカヤの見学終了。ここから引き返して、集落を通って駐車場へ。
低い建物に平たい切妻の屋根

集落はあるのに地元の人は誰一人いなかった。


来た時と同じ道路を戻る車窓から見えたのは、

ミダス記念碑に似た形の上にも壁面を平らに彫ったものや、

やはり完成せずに放置された磨崖壁など。

これは来るときに見えたものだ。

ゴルディオン遺跡のメガロンについて同遺跡の説明パネルは、フリギア人が好んだ建築様式はメガロンで、大きく奥行きのある広間と、それよりずっと浅い控えの間またはポーチを備えた長方形の構造だった。そのほとんどは、石の基礎の上に日干しレンガと木材で建てられたという。
そのメガロンを岩に彫り出したものだろう。三角破風(ペディメント)の上には何かが彫られているみたい。ここでも建物の下には半円形の壁龕があるが、同時代のものか、下った時代のものか。




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参考にしたもの
現地説明パネル・ゴルディオン遺跡の説明パネル