中・後期フリギア時代について『GORDION MUSEUM』は、ミダスのフリギア城塞が破壊された後のある時期、そして確実に前6世紀初頭までに、かなり高い場所に新しい城塞が建設された。古い城塞と平面図を比較すると、建設者は以前の王都の配置を再現しようとしたことがわかる。メガロンは好まれ続けた建築様式である。
新しいフリギア城塞はさまざまな改修を受けながら前4世紀後半まで存続し、中期フリギア期から後期フリギア期にかけて存続した。新しい城塞の存続中、あるいはそれ以前から、ゴルディオンも拡張され、下町と外町が建設された。少なくとも大ゴルディオンの一部は外郭の要塞によって守られていたという。
土器のスタンプ刻印による文様
同図録は、フリギアに特徴的なものは、焼成前に土器に文様を刻印する技法で、前8世紀に始まり、その後数世紀にわたって続いた。ここに見られる土器の刻印は、フリギア人が南東ヨーロッパ、特にトラキア(現在のヨーロッパ・トルコ、ギリシア東部、ブルガリア)と共通する特徴という。
土器断片 石畳文とロゼット文様
中・後期の土器について図録は、新しいフリギアの城塞が築かれた後も、いくつかの種類の土器が存続した。幾何学文様の彩色装飾も継続しているが、フリギアの画家たちは以前よりも人物画に強い関心を寄せるようになったという。
中段に黒色研磨仕上げの雄牛の頭のリュトン断片(小さくて分かりにくい)
下段には黒色の磨研土器など。
上中央:嘴付き水差し 細密に幾何学文様が描かれている
黒色の土器類が多い。
参考文献
3:菱形の型押し文様のある容器断片 9:2色の線を自由に描いている。幾何学文様に飽きたのだろうか。
その他の土器類 前8-6世紀 ハジュトゥールル Hacıtuğrul 遺跡出土
黒色磨研土器が多いが、中には研磨されていないものや赤っぽいものも
左:レキュトス 中央:帯文様の水差し 2点はリディア時代か 右:灰色のクラテル
スフィンクス付き聖杯、キオス島から輸入
リディア時代?の土器と比べると極めて薄造り
工芸品
中段左:青銅で補修された猪の牙一対で輪っか状になっている
母なる女神キュベレ、安山岩
『GORDION MUSEUM』は、フリギア人の主神は母なる女神であり、碑文では単に「マタル」(母)とされ、時には「キュベレ」という呼称が加えられることもある。古フリギア城塞時代のゴルディオンでマタルが崇拝されていたという証拠はほとんどないが、新城塞の建設と関連して、マタルを描いたと思われる石像がいくつか発見されているという。
アンカラのアナトリア文明博物館にはキュベレ像が展示されていて、その帽子や着衣に共通点がある。そのうちアンカラ 、バフチェリエヴラーより発見されたキュベレ像(前7世紀)と同じく右手に坏、左手に鳥を持っている。
同館図録は、マタルは通常、杯を口に当てている姿で描かれている。ある例では、もう一方の手に猛禽類(タカ?ハヤブサ?)を持つという。
図録は、ミダスの王国滅亡後、前6世紀初頭には、ゴルディオンは西アナトリア地方出身のリュディア人の支配下に入り、首都はサルディスに置かれた。ヤスホユクの主要な集落マウンドの南に位置する小さなマウンド(キュチュク・ホユク)は、かつて要塞だった。この場所では大量のリュディア土器が発見されたことから、リュディア人の前哨基地であったと考えられていたが、アテネから輸入された土器から、前6世紀第3四半期の包囲戦で破壊された。アナトリアと近東の2種類の青銅の矢じりから、包囲戦の敵が特定される可能性が高い。リディア人は、おそらく前 540 年のキュロス大王によるリディア征服に関連して、キュロス大王のペルシア軍と戦ったという。
リディアは貨幣を最初に造った国家として知られているが、前546年にキュロス二世に敗れた後はアケメネス朝ペルシアの領土となり、アレクサンドロス大王が東方遠征でペルシアを撃退していく中で前333年までにはペルシアから解放された。
ガラス類
同館図録は、様々な技法と素材を用いたもの。ファイアンス、型ガラス、そしてコア成形ガラスは、フリギア時代とヘレニズム時代に輸入されたもの。吹きガラスは一般的に前100年頃に始まるが、ここに展示されている吹きガラスのローマ時代のものという。
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参考にしたもの
博物館の説明パネル


















