チョルム博物館の中庭と館内はÇORUM MÜZESİで見ることができますが、私が見学した時とは展示品が違うような・・・。
中央の台の上に置かれているのは平らな粘土板文書。その前に置かれた平たい青銅製筆記具は、説明パネルによると、ワックスで覆われた板に文字を刻むための尖った端と、文字を消すための鈍い端が付いた小さな棒でできているという。
蝋板に文字を刻むか。文書の下書きやメモなど、一時的に必要な時に使ったのだろうか。真ん中が出っ張っているものは、丸く大きなスタンプ印章が深く押されている。これに付いては後日忘れへんうちににて
チョルム博物館のPDFは、アナトリアにおいて、最初に文字が用いられたのはアッシリア植民市時代(前1900- 1700)であるという。
ヒッタイト人は円筒印章をあくり好まなかったとか。
神像や動物を象った土製品や石の分銅など
石製護符
目玉が沢山あるようにも見えるが左のは組紐文になっている。金のブローチ 中期ヒッタイト時代、前14世紀初頭
説明パネルは、蓮の花、茎、二つの蕾をそれぞれ個別に細工し、金線で繋ぎ合わせた装身具。元々はライラック色と青色の象嵌が施されていたという。
階段を半階上がると四方の壁に展示ケースが並んでいて、やはりヒッタイト時代(前1650-1200年)のものが展示されている。
左より儀式用甕、動物の頭部形リュトン、水差し、大皿
ヒッタイト時代の土器類 前1650-1200年
左奥より ビール容器、ボウル ちょっと離れてビアマグ(巨大)
左手前より 渡り者の水筒(この扁平な壺は下の展示室には灰色のものがあって、紐で背中に背負うように図解されていた。)
横に広がらない深鉢やおそらく三つの把手のある広口の甕なども。
野ヤギの飾りのある祭器
気になったのは穴だらけの容器の蓋
わざわざ図解されているので珍しいものなのだろうが解説はないので、煮炊きしていて吹きこぼれないように工夫した蓋では、いや香炉の蓋かも、などと妄想している。
青銅製の剣や鏃
そして鎌
フリギア時代 前900-330年
フリギア人について説明パネルは、ヘロドトスやストラボンといった古代の著述家によれば、ヨーロッパに定住したフリギア人は、マケドニアとトラキアから海峡を通ってアナトリアに移住したトラキア人の部族の一つであり、ブリギア人またはブリグスと呼ばれていた。
西洋の古代史料によると、フリギア王国の初代王はゴルディオスであり、首都(ゴルディオン)は彼の名にちなんで名付けられた。ゴルディオスの後を継いだのは息子のミダスであった。また、同じ史料によると、ミダス王はキンメリア人の侵略者に敗北したことに耐えかね、雄牛の血を飲んで自殺したとされているという。
「王様の耳はロバの耳」のミダス王ですね。後日その墳墓を見学しました。
隣に描かれている建物の軒丸瓦のような屋根飾りかと思ったが、違うような・・
フリギアの土器 前900-330年
説明パネルは、初期フリギア時代、壺は一般的に手作業で作られていた。ヒッタイトの壺とは異なり、フリギアの壺は彩色や彫刻が施されていた。轆轤の使用は前10世紀末に始まった。チョルム地方のフリギア人集落では、暗い色で彩色され、幾何学的な装飾が施された未研磨の壺を見ることができる。また、フリギア陶器は前8世紀から、ハリス川(赤い川)の湾曲部でゆっくりと広まっていったという。
牛頭の儀式用容器と玉座に坐った女神像は白く塗られている。嘴形の片口壺は把手が日本の急須のように横に付いているのが興味深い。双耳の容器が二種。
青銅製の水差しや碗、衣服を留めるフィブラ(下)
再びフリギア時代の土器類
続く展示室には三方の壁に沢山のコインが並ぶ一角があって、そのごく一部
ちなみに硬貨が最初に造られたのは、リディア国(前7-6世紀)で、これもアナトリアだった。
説明パネルは、ヘレニズム時代における革新は、神々ではなく、王などの生者または故人の肖像が描かれたことで、肖像と共に王の名前も貨幣に記されるようになった。こうした慣習が次第に標準化され、すべてのヘレニズム王国の貨幣には、片面に王の理想的な肖像と名前、もう片面に王国のシンボルまたは王朝の紋章が刻まれるようになったという。
その傍らにひっそりと展示されていた土器。そのときは風呂桶だと思ったが、ちょっと小さすぎるかも。チョルム博物館のPDFにはフリギア時代の祭祀用カップとあるが、大きさから水槽が相応しいだろう。
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参考サイト
チョルム博物館内 3DVista Player v:0.1033によるÇORUM MÜZESİ(博物館内外の360°映像)
参考文献
「ヒッタイト帝国 「鉄の王国」の実像」 津本英利 2023年 PHP新書1376