お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年5月13日火曜日

1日目-5 感恩寺(カムンサ 감은사)址


そこまでして感恩寺に来たかった理由は、この寺の三層石塔が韓国で最古のものらしいことを知ったからだった。

もうすぐ日本海という場所にある感恩寺址は見学料は不要。駐車場から後世あるいは近年につけられた石段を登ると一面の草むらだった。三層石塔に早く近づきたいのだが、柵や木段があちこちに付けられていて、どのように歩いていけば良いのか迷ってしまう。ここは回廊部の盛り上がりなのだが、向こうの木が3段の自然石で囲ってあるので、お墓かと気になる。韓国は黒と白の鳥が多いね
伽藍よりもカササギに目がいくおっちゃんである。鳥のもう少し向こうに回廊跡が見えているのに。向きを変えて低い石段を順番に通っていくしかない。人がいるのは金堂址で、石がごろごろ見えている。
ところで説明板によると、所在地は慶尚北道 慶州市 陽北面 竜堂里 55-1
感恩寺は文武王が三国統一をした後、倭寇の侵略から国を守るために建てはじめ、神文王2年(682)に完成した寺院
という。養生に透けて三層石塔があるのがわかる。しかし近寄ってもよく見えなかった。
1959年12月、西塔を補修した際、三層目の塔身から創建当時設置された舎利装置が発見されたという。金堂まで来た。死んで竜になって国を守るという文武王の遺言によって東海の大王岩に安置し、金堂の下は竜になった文武王が出入りできるよう作られたという。
先ほどごろごろと見えたのは礎石だった。礎石が創建当時から動いていないとすると、下に石が敷き詰められ、しかもその下に空間があるというのは、上に建てられた金堂にとって大変不安定ではなかったのか。
1996年、東塔を補修したが、そのとき、三層目の屋蓋石の上面から金銅製舎利函が発見されたという。東塔・西塔の双方とも三層目から舎利容器が発見されているというが、日本では下から初層・二層目・三層目というふうに数えるので、同じように考えると一番上の層に舎利容器があったことになる。日本では心礎に収められるんやけど。この斜面はお寺と関係があるのだろうか?
あちこちでおばあさんが坐って土産物というか農産物を売っていたが、ゆっくり見るヒマもなかった。タクシーを待たしてあるので、そろそろ行こう
土産物屋にも入れへんやん。 西塔の向こうの白い建物は補修工事の施設のようだった、16:48。
※ 感恩寺については、忘れへんうちに
慶州の感恩寺伽藍は山田寺より広い?
感恩寺の金堂址下には空洞が
感恩寺の金堂の前にあるもの
もどうぞ。