仏国寺の一柱門の前にタクシーを停めると、運転手の李さんは言った。
5時半までにここ
いえいえ
『仏国寺・石窟庵』は、仏国寺は新羅で仏教が公認された翌年の528年に、法興王の母王妃により、法流寺と言う名で創建された。その後、574年に真興王の母によって最初の増改築工事が行われて、毘廬遮那仏と阿弥陀仏の2体を安置したと言う記録が残っている。また、670年には無説殿が建てられ、681年には大雄殿の釈迦牟尼仏を完成した。751年には宰相金大城によって2回目の増改築工事が開始されたが彼が774年に死去したので朝廷によって大伽藍を構えるに至った。
伽藍配置は大きく分けて大雄殿、極楽殿、毘廬殿、観音殿、地蔵殿の5つのゾーンから成り、本堂をはじめ百余りの付属建物や施設があったという。
しかし、1593年壬辰倭乱(文禄の役)の時、大部分が兵火に遭って焼失した。平禍を免れたのは金銅仏と石造物だけだった。
1612年には左右の経楼、鐘閣、南の回廊などが復旧された。1700年代の中ごろまでに再建され、ようやく伽藍らしさを取り戻すに至った。その後、朝鮮朝廷が排仏政策をとったために仏国寺は衰退し、昔日のような偉容を失った。
仏国寺が今日のような姿になったのは、1969年から1973年にかけての復元大普請の成果であるという。





そして、横から見ると青雲橋(チョンウンギョ 청운교)と白雲橋(ペグンギョ 백운교)の間というか踊り場の下がアーチ形になっているのがわかる。石窟庵の主室への通路もアーチ形というかヴォールト天井になっていた。


安養門(アニャンムン 안양문)は阿弥陀仏のおわす極楽殿に通じる中門で、安養と言うのは極楽の別名である。この門は751年に建立された。1593年壬辰倭乱(文禄の役)で焼失したが、その1626年と1737年に再建され現在の門は1973年の復元大普請の時に補修したという。こちらはアーチ形ではないが、石窟庵のヴォールト天井と私が勝手にいっているのは、ひょっとするとこちらの方に近いかも。

階段は立ち入り禁止やし、どこから入ったらええんや


円柱は法隆寺と同じで胴張りがあるね



木造の組物を目指したのかな
※参考文献
「仏国寺・石窟庵」(李性陀)