石段を登ったところにある建物。創建は石窟庵と同じころなのだろうか。


『仏国寺・石窟庵』という本によると石窟庵は、新羅人の畏敬の対象であった吐含山の稜線上にある石窟庵は新羅第35代景徳王10年(751)に宰相金大城によって石仏寺と言う名で創建された。
1961年に衆生の深い関心と政府の主導下で調査と研究が行われた。その後、全面的な復元工事の成果現在の姿になったという。

仁王像の両外側にはそれぞれ4体ずつ八部衆の浮彫がある。仁王像と仏坐像の間には甬道のような狭い空間があり、ヴォールト天井となっている。側壁には四天王像。
仏坐像の安置されている平面円形の部屋(主室)の側壁には十大弟子の浮彫板がはめ込まれていて、その1体がやっと見える程度だった。しかし、中に入れないことや、十大弟子のすべてが見えないことが相殺されるくらいに荘厳な雰囲気が漂ってっていて素晴らしかった。
主室の天井はドーム状(龕室)となっている。これは山に横穴を穿って成形し、表面を石で覆ったものではなく、石を組んで石窟を造りあげた後に土を盛ったものらしい。







※参考文献
「仏国寺・石窟庵」(李性陀)
「世界美術大全集10高句麗・百済・新羅・高麗」(1998年 小学館)