お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2010年12月29日水曜日

2-12 パラティーノの丘からフォロ・ロマーノ

出てきたところはフォロ・ロマーノへの下り坂の途中だった。
上の方はドムス・フラウィアの⑯通称バシリカ(Basilica)の西側の道へ繋がっているようだ。
下の方はパラティーノの丘への出入口になっているらしい。まだ③ティベリウス宮殿に行っていないので、出口に行ってしまわないように気をつけよう。
道の向かいに見えているのは㉜サン・セバスティアーノ教会域(Chiesa di S.Sebastiano)。
ファルネジアーニ庭園(Orti Farnesiani)は広大だ。『地球の歩き方ローマ』は、かつてドムス・ティベリアーナ(ティベリウスの宮殿)のあった土地に、16世紀、ファルネーゼ家が造った庭園の一角で、ここから眺めるフォロ・ロマーノの全景はこのうえなく印象的だ。アレッサンドロ・ファルネーゼが造らせた庭園は世界で最初の植物園で、当時の雰囲気をよく残しているという。
その庭園の北の端からフォロ・ロマーノを見下ろしたい。

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そのまま壁跡の内側を下りていくと、正面に大きなアーチが3つ並んだ遺構が現れた。マクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカ(Basilica di Massenzio e 
constantino)だ。
木の向こうからはフォロ・ロマーノの遺構がいろいろ見える。
③ティベリウス宮殿はかなり高いところにあるので、パラティーノの丘の下の方まで来てしまったために、登って行かなくてはならない。ところが、工事をしていて、西の方に登る道はことごとく通行禁止になっていた。
低いところからでもフォロ・ロマーノの西の端まで見えるのだが、木々に隠れるところもあるので、フォロ・ロマーノの全体像が把握できない。
もう少し下るとレンガの遺構が並んでいる。②ウィア・ノーウァ(新道、Via Nova)と言われても道路には見えない。
『ローマ古代散歩』は、西の崖下の道はネロの時代につくられた新道といい、沿道には商店や住居跡が、さらに先に崖上の宮殿を支えるためのアーチが続いているという。
ここから行けるかと思ったが、通行止め。
反対側に下りていくとパラティーノの丘の入口になってしまった。ということは、いつのまにか出てしまったのだ。元来た道を引き返している余裕はない。これにてパラティーノの丘の見学終了、10時21分。1時間半では足りない。
坂を下りたところがティトゥスの凱旋門。①建物の基礎は、アウグストゥスの生家跡にその妻リウィアが建てた聖域跡ではないかされているというが、遺構だらけで、どれを指しているのかわからなかった。
次の予定はコロッセオ。ティトゥスの凱旋門(Arco di Tito)の右の道を通る。ティトゥスは在位39-81年。
コロッセオが前方に現れた。右側は木の間から遺構が見える。左の柱頭のない列柱は何だろう。
通り過ぎて先ほどの列柱を振り返ると、半ドームに菱形の刳り型が並んだ建物が見えた。こちらから見ると高台に築かれたように見える。これはウェヌスとローマの神殿(Tempio di Venere e Roma)というものらしい。
『ローマ古代散歩』は、ハドリアヌス帝によるユニークな建築の一つで、かまぼこ型天井をもつ両女神の神室が背中合わせになっているという。ハドリアヌスは在位117-138年。
フォロ・ロマーノとコロッセオの間は車の通行ができないので安心して歩ける。その間にはコンスタンティヌスの凱旋門(Arco di Constantino)がある。
政敵マクセンティウスを破って西の正帝となった記念に、315年に建てられたものである。高さが25mにも及ぶ巨大なモニュメントであるという。コンスタンティヌスは在位306-337年で、今まで出てきた皇帝の中で一番時代が下がる。

※参考文献
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)
「地球の歩き方A10 ローマ」(2009年 ダイヤモンド・ビッグ社)