お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年1月22日土曜日

7-3 フォロ・ロマーノ、中央広場周辺1

クーリア・ユリア前にあった修復中のところには何があるのだろう。
どうやら⑦民会場(Comitium)や⑧黒い石(Niger Lapis)の辺りを発掘調査しているらしい。
『ROMA』は、クーリアの正面には、古代ローマの政治の中心であったコミティウムComitiumがあった場所がある。さらには、ラピス・ニゲル(黒い石)Lapis Nigerと呼ばれる黒い石で舗装された正方形空間である。黒い石は不吉なことを象徴されたするものであり、周囲とは白い大理石の囲いで区別されていた。伝承では、ここにローマの建国の父ロムルスの墓があるとするという。
続いて凱旋門の方に行こうとしたら、通行止めになっていた。
凱旋門や大理石の円柱のある場所に行くには、聖なる道(Via Sacra)を戻って、広場状のところを回り込んで、向こう側の道を通らなくてはならないようだ。

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ここは⑪帝政期の演壇(Rostra)、㉓フォカス帝の記念柱(Colonna di Foca)、㉒三聖木、㉑クルティウス沼(Lacus Curtius)、㉔神酒庫ドリオラ(Doliola)などのあるところだが、どの本にも名称がないので、中央広場と呼ぶことにする。
中央広場には南面に円柱が並んでいる。台座が非常に高い。
パラティーノの丘との間にも3本の白い大理石の円柱が建っている。
中央広場が終わって通路の向こうに屋根の掛けられた場所があった。ここは㉕神君ユリウス神殿(Tempio del Divo Giulio)の西面に当たるのではないかと思うが。バシリカのように後陣が出ているのではなく、内側に半円状にへこんでいる。
『ローマ古代散歩』は、広場東辺には神君ユリウス神殿の基礎が残っており、カエサルの葬儀が行われた場所に、後嗣のアウグストゥスが奉献したものという。
中をのぞくと土塊に花束が供えられている。大抵はカエサルが火葬された場所ということになっている。
右の石壇は、㉖神君ユリウスのロストラ(一族の告別式用演壇)らしい。
フォリ・インペリアーリ通の方から騒音が聞こえてきた。デモ隊がやって来た模様。この日はデモ隊はあちこちに出没したらしい。


※参考文献
「ROMA ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!」(2001年 Electa)
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)