お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2013年12月9日月曜日
メテオラ3 メガロ・メテオロン2 主聖堂(カトリコン)の壁画
メガロ・メテオロン修道院にある主聖堂(カトリコン)は、後陣外側の窓に残る銘文から1387-88年に創建されたことがわかっているが、現在のものは1544-45年に建てられた(『METEORA Itinerary』より)。
同書は、プランはラヴラ修道院に起源をもつ「アトス式」という。
4柱式内接十字のようだが、袖廊が半円形に出っ張っていたり、十字交差部のドームが楕円形になっていたりと、不思議な建物だ。身廊が小さい割りに、同じくらいの大きさのナルテックスも4柱式で、天井は9つの交差ヴォールトになっている。これがアトス式というものだろうか。
下図で、外が見える後陣は創建当時のままだとわかった。
同書は、聖域は1483年に壁画が描かれ、修道院のカトリコンだった。それで、2柱式の内接十字型にドームを戴いた独立した小教会の形をしている。
壁画の保存状態は良く、パレオロゴス朝の最後期でコンスタンティノープル陥落直後のトルコ占領初期の美術の傾向がみられ、14世紀マケドニア地方の壁画に相当する。
実際に聖堂に入ると、自由に歩き回るのが困難なくらい狭い建物だったので、見上げてドームの下は4つのペンデンティブになっていると確認したにとどまった。
同書は、ドームにはパントクラトール、窓の間には救世主の到来を告げる預言者たち、ペンデンティブには四福音書家が表されるという。
残念ながら記憶にない。
テンプロンは後陣の際ではなく、2本の円柱近くまで張りだして造られているテンプロンと後陣の間は聖歌隊席になっている。
オシオス・ルカス修道院では主聖堂もパナギア聖堂もテンプロンは後陣のところにあったが、このカトリコンは小さい上に、テンプロンが張り出しているために非常に狭かった。
同書によると、オリジナル部分の壁画は1483年に描かれ、他の部分は1552年に制作されたとの銘文が残っているという。ということは見学で見ることのできるフレスコ画は16世紀半ばのものということになる。
メテオラの美術について『世界歴史の旅ビザンティン』は、ほとんどの壁画がポスト・ビザンティンのもので、後期ビザンティンは大メテオロンの14世紀末のフレスコなどわずかであるという。
キリストの変容 南聖歌隊席の一番上
弟子たちと山に向かうキリスト、頂上でキリストが光輝くのを見て驚く弟子たち、山から下りるキリストと弟子たちと、異時同図に描かれている。
教会内の壁画の背景は、金地モザイクでない場合は紺地フレスコ画とされる。
キリストを囲む同心円状の光輪が青のグラデーションになっている。
聖アナスタシウスとヨアサフ ナルテックス南壁西隅
僧衣を着け、彼らが建てた聖堂を献納する場面という。
背景は濃紺というより紫だが、写し方で色は変わるのでなんとも言えない。
聖堂の上に天使に囲まれた聖母子像が描かれているので、この聖堂は聖母子に献納したものなのだろう。
キリストの洗礼 ナルテックス
背景は青系というより黒っぽい。オシオス・ルカスを初め、マケドニア朝の壁画ではキリストは深いヨルダン川につかっていたが、ここでは水は足元を濡らす程度しかない。
オシオス・ルカス修道院主聖堂ペンデンティブのキリストの洗礼はこちら
玉座の聖母子 ナルテックス
コンスタンティノープルのアギア・ソフィア後陣の聖母はキリストを中央に抱いていた。
オシオス・ルカス修道院主聖堂後陣半ドームの聖母(11世紀)も同様で、プラデュテラ型と呼ばれるが、この聖母は左膝の上にキリストをのせていて、ホデゲトリア型と呼ばれている。
キリスト降誕 身廊南壁
東方の3博士が飼い葉桶のキリストを岩の向こうをながめたり(マギの礼拝)、産湯の場面や、少年時代のキリストが羊を飼い慣らす場面など、異時同図というよりも、複数の主題が1画面に鏤められている。
オシオス・ルカス修道院主聖堂ペンデンティブの同主題図(11世紀)はこちら
キリスト磔刑 身廊北壁
やがて弟子のトマスがキリストの復活を疑って指を差し込む傷口から吹き出した血を天使がカップで受けている。
キリストの足から流れ落ちる血は地中の骸骨に注いでいるが、これが何を意味するのか不明。オシオス・ルカスでは、血は妙な動物の頭部に流れていた。
オシオス・ルカス修道院主聖堂ナルテックスの同主題図(11世紀)はこちら
キリストの復活と冥府下り 身廊北壁
オシオス・ルカスのものと比べると、登場人物が非常に多く、しかも全員頭光をつけている。
オシオス・ルカス修道院主聖堂ナルテックスの同主題図(11世紀)はこちら
不信のトマス 身廊北壁
金箔ガラス・テッセラを衣服の襞に並べたモザイク画を真似たようなフレスコ画。
オシオス・ルカスのものに比べると、トマスが若い。
オシオス・ルカス修道院主聖堂ナルテックスの同主題図(11世紀)はこちら
メテオラという奇岩地帯で描かれたフレスコ画だが、岩が上にいくに従ってひび割れ、峻険に伸び上がるような、奇妙な表現になっている。
メテオラ2 メガロ・メテオロン修道院1← →メテオラ4 見下ろす景観
関連項目
キリスト降誕図の最古は?
オシオス・ルカス修道院3 主聖堂(カトリコン)2 身廊
オシオス・ルカス修道院2 主聖堂(カトリコン)のナルテックス
メテオラ6 カランバカの聖母の眠り聖堂
メテオラ5 ルサヌウ修道院
メテオラ1 奇岩を縫う道から修道院を眺める
※参考文献
「METEORA Itinerary」 D.Z.SOFIANOS 1991年 Holy Monastery of Transfiguration
「世界歴史の旅 ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社