お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年1月30日木曜日

古代マケドニアの遺跡5 ペラ3 ヘレネの略奪の館


ペラ遺跡には、もう1つモザイク画が残る貴族の館がある。それはディオニュソスの館の2軒隣りのヘレネの略奪の館である。

『ギリシア古代遺跡事典』は、前4世紀末の貴族の館であるこの遺構では、3枚のモザイク画が発見されており、これらは保護屋根に覆われ、遺構の原位置で見ることができる。「ディオニュソスの館」のモザイク画と同様、自然石の色を活かした極めて精巧なテッセラ・モザイクで、人物や動物の目にはおそらく宝石が埋め込まれていたため、すべて散逸してしまっているという。


屋根に覆われているので、直射日光に当たらずに見学できる。


そう期待していたが、もう一つの心配の方が当たってしまった。それは、あまりにも天気が良く、空気も乾いているため、屋根の日陰と日の当たる部分とのコントラストがきつすぎて、非常にみにくかったのだった。モザイクを見る時は、土埃がとれてくっきり見えるように雨上がりで、陰ができない程度の薄日が差している日が望ましい。
が、日を選べない!執念で写真を撮りまくった。
鹿狩り
同書は、東側の宴会場の床には、極めて残存状態のよい「鹿狩り」のモザイク画がある。二人の若者が一頭の鹿をしとめようとしている場面を描いたもので、モザイク画の上部には、ギリシア語で「グノーシスの制作」と記されていた作者の署名も残っている。明暗法や短縮法を駆使し、奥行きのある三次元の空間表現を特徴とするペラのモザイク画のなかでも、とくにすぐれた作品である。剣をふりかざしている右側の若者はアレクサンドロスであるとも言われており、有名な「アレクサンドロス大王の石棺」(イスタンブール考古学博物館蔵)に施された鹿狩りのレリーフとの関連も指摘されているという。
アレクサンドロスの石棺には鹿狩りの場面があったかな?

半分が日向、半分が日陰という悲劇的な写真。
でも、主題の外を巡る文様帯が、アカンサスから伸びる蔓草文、波頭文だけでなく、その外側に細長い鋸歯文のようなものが部分的に残っているのを写していた。こんな写真でも資料としての価値はあるかな。
それを編集して、どうにか見られる程度にはなった。とはいえ、じっくり観察できるような写真ではない。
頼みの綱の考古博物館のレプリカも横にしてあるため写しにくかった。結局は現地で購入した本『Pella and its invirons』の図版である。
追い詰められた鹿が、凸凹の地面で猟犬に噛み抑えられ、二人の若者に殴打されたり切りつけられて、後肢がバランスを失って地に臥す瞬間を描いて、実写のような臨場感がある。
そして外側のパウシアス・スクロールのぎざぎざのある葉の表裏で色を変えていること、四弁花文の萼にも着色が見られる。
体の輪郭部分の隈取りではなく、筋肉の動きに陰影をつけて立体感を出している。
これがアレクサンドロスではないかといわれている若者。ディオニュソスの館のモザイクのような鉛の線はないようだが、帽子が飛ぶなど動きのある表現、そして若者の素早い動きで翻るマントの襞の描き方がみごと。

ところで、イスタンブール考古博物館蔵のアレクサンドロスの石棺と呼ばれているものは、2年ほど前に見学している。

アレクサンドロスの石棺 ペンテリコン産大理石 前4世紀第4四半期 シドン出土 イスタンブール考古博物館蔵
アレクサンドロスはバビロンで死んだとされているので、大王の石棺ではない。このみごとな高浮彫が、ペルシアとギリシアの闘いを表しているので、こんな名が付けられたという。
長い方の面の右端に「鹿狩り」はあった。
ところが正面から撮った写真がなかったので、その拡大。
真横から撮った写真は、この先が切れていた。
どちらも同じような頃の作品である。浮彫では「鹿狩り」は一般的な題材で、それをモザイクで表したということなのかな。

しかしながら、私がペラで最も見たかったのは、このアカンサスから巻きひげが旋回しながら伸びていくこの文様帯だった。
『ギリシア美術紀行』は、モザイクのもう一つの生命は、中央画面の幾倍かの面積をもつ周囲の草花文様モザイクにある。花冠を描いて有名なシキュオンの画家パウシアスとの関連から(プリニウス XXⅠ 4;XXXⅤ,125)、「パウシアスの渦巻文様(スクロール)」といわれるこの花をあしらった蔓草文様は西は南イタリアのアプリアの壺から、東はブルガリアの有名なカザンラクの古墳壁画に至るまで、ヘレニズム世界全体を覆い尽くすほど流行した装飾モティーフである。しかしこのペラのものほど立派で精巧な作品を私は知らない。右上隅と左下隅に粘土をもつ、アカンサスめく巨大な2株の植物が、残りの両隅まで蔓と草花を、一見規則的に、しかも生動を秘めた発条(ぜんまい)かコイルのように生い茂らせている。装飾的な意匠の高度の洗練化とそれを実現させている完璧な技術という。
このパウシアス・スクロールは左右に蛇行する茎として見ると唐草文だが、何よりも巻きひげの表現に重点を置く蔓草文という気がする。

テセウスによるヘレネの略奪
同書は、ドーリス式柱廊(1本の円柱が復元されている)に囲まれた中庭の北側には3つの宴会場が並び、その中央のもっとも大きな宴会場の床を飾っているのが、この遺構の通称の由来となった「テセウスによるヘレネの略奪」のモザイク画である。埃をかぶっているため写真で見るほど色鮮やかではないが、縦2.84m、横8.48mの大きなモザイク画で、四頭立ての馬車でテセウスがヘレネをさらおうとする場面が描かれているという。

ちょっと高い段に上がって写すのだが、平面のため、こんな風にしか写らない。その上幅が広いため、台の上に乗っても、全体を撮るのは無理だった。
馬車や人物の下には、微妙に高低のある地面が描かれている。
手前の文様は見たことはあるのだが、名称はなんだったかな?

右端の長く裾の広がった衣装を身につけた女性から、ペイリトゥスが小さなヘレネを奪っている?
3頭は後肢で地面を踏んでいるが、先頭に描かれた馬は宙を駆けているようで、速度感がある。
馬は前に描かれているものほど陰影のない、平面的な描写になっている。
馬車に乗ったテセウス。ペイリトゥスがヘレネを連れて来るのを待っているのか、後を振り返っている。
馬やテセウスの体には陰影をつけて立体感を表しているが、筋肉の表現は、鹿狩りほどではない。
もう一つ西側のアンドロンはモザイクがほとんど失われている。しかし、モザイク床を制作するまでの、基礎の作り方を見ることはできる。

『ギリシア古代遺跡事典』は、中庭の東側中央の宴会場の床には、「アマゾン族との戦い(アマゾノマキア)」のモザイク画があるという。
柱廊に1本だけ復元されたドーリス式円柱の向こうにもう一つのモザイクがある。
 しかし、それは午前中のため東から直射日光が容赦なく降り注ぐ、一番見難い場所にあった。
同書は、断片的にしか残っていないこのモザイク画は、ギリシアの戦士が二人のアマゾンと戦う場面を描いているが、ペラのほかのモザイク画に比べ、技巧的にはかなり劣る作品と見なされているという。
見難いからか、技巧的に劣るからか、この戦闘の場面はほとんどわからなかった。
それでも文様帯を見る楽しみは残っている。一番内側に組紐文、次にアンテミオン、
こんなんですわ。
一番外側にアンテミオン風の文様の間に向かい合う動物が表されている。西側は豹、北側はライオンかな。
このアンテミオンと向かい合う豹は、東側にもあった。
そして南側はイノシシ。
ライオンには見えない。たてがみの感じからやっぱりイノシシだろう。

考古学博物館の模型。3つの舗床モザイクがあったのが、二階建ての部分かな。

         ペラ2 ディオニュソスの館←            →ペラ4 アゴラ界隈

関連項目
古代マケドニアの唐草文2 ペラ
ペブル・モザイク2 ペブルからテッセラへ
ペブル・モザイク1 最初はミケーネ時代?
アカンサスの葉が唐草に
マケドニアの金製品
ペラ考古博物館3 ガラス
ペラ考古博物館2 ダロンの聖域
ペラ考古博物館1 漆喰画の館
ペラ1 円墳を辿ると遺跡に着く
ヴェルギナ2 王宮まで
ヴェルギナ1 大墳丘にフィリポス2世の墓

※参考文献
「世界歴史の旅 ギリシア」 周藤芳幸 2003年 山川出版社
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「Pella and its invirons」 Maria Lilimpaki-Akamati・Ioannis M.Akamatis 2003年 MINISTRY OF MACEDONIA-THRACE
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社