お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2014年2月6日木曜日
古代マケドニアの遺跡8 ペラ考古博物館2 ダロンの聖域
ペラ考古博物館の最奥部の部屋には円形の舗床モザイクがあり、それはダロンの聖域より出土したものだった。
『ギリシア古代遺跡事典』は、アゴラの南西の方角の、現在の灌漑用水路のそばには、前4世紀のダロンの神域の遺構がある。同書は、この神域では、ダロンの名を刻した奉納碑文が発見されており、これは、治癒の神ダロンに言及した最古の例と言われているという。
同書は、小さな神殿や、周囲に3つの小さなトロス(円形堂)を配した大きな円形の建造物の跡が残っているという。
花模様の床モザイク 前4世紀 南西トロス出土
その南西のトロスでは、獲物を襲うグリフィンと豹が周囲に描かれた渦巻状の花模様の床モザイクが発見されているという。
入口側からしか見られないので、動物は逆方向にしか写せなかった。
渦巻が目立つが、葉や花もあった。
渦巻が目立つのは、巻きひげが石を4列並べただけで平板だからだろう。
葉は切れ込みのある植物のものを表したというよりも、アクロテリオンの片側をモティーフにしたのでは。
それにしても、失われた中心部分には何があったのだろう。やはりロゼット文かな?
大きな横向きの花はユリのようだが、花弁が4枚ある。その隣の巻きひげから咲いた花は不思議な形をしている。
分かり易いように、動物は写した写真を上下逆にしてみると、
豹 体の斑点が小石3つ、2つ、1つと様々
鹿? 顔がわからないが体の模様からおそらく鹿と思われる
鳥グリフィン 赤いギザギザのトサカがあり、羽根の表現もみごとなのに、首の前の出っ張りは何だろう。
洞窟の前のケンタウロス ダロンの神域にある公共の建物アンドロン入口より出土
左隅の妙なものが洞窟の入口とは。背後の葉のない木も変。
ケンタウロスは右手に動物の頭部を象ったリュトン、左手にボウルを持っている(『Pella and its invirons』より)という。ガラスの器にしては口縁部がギザギザすぎる。金属器かな?
『ペルシャ文明煌めく7000年の至宝図録』は、リュトンとは「流れる」を意味するギリシャ語から派生した名称で、角形の本体に動物や人頭形の下部が付けられた酒器。通常下部に小さな注口があり、そこから注がれた葡萄酒をフィアラ杯で受けて飲むという。
この図は、ケンタウロスがまさにリュトンからフィアラ坏に葡萄酒を注ごうとしている瞬間を表していたのだ。
それにしてもこのリュトンとフィアラ坏、アケメネス朝のもののような気もするが・・・それについてはいつの日にか
ペラ考古博物館の中庭にもペブルモザイクがあるのを見つけて行ってみたら、それもダロン神域のものだった。
植物の舗床モザイク部分 前3世紀初頭 ダロン神域の公共建物出土
巻きひげの先に八弁花文
横向きのユリの花もある。四隅は優美なアクロテリオン。
アカンサスの葉が交差してそこからアクロテリオンが出ている。
縦溝の入った茎に節があり、そこからアカンサスの葉が出て、アカンサスの葉から3方向に茎が出て、1本は実のなる巻きひげとなり、1本は大きな半アクロテリオンの葉を出し、残りの1本は更に2つに分かれてそれぞれが巻きひげとなっている。
ペラ考古博物館1 漆喰画の館← →ペラ考古博物館3 ガラス
関連項目
古代マケドニアの唐草文2 ペラ
ペブル・モザイク2 ペブルからテッセラへ
ペブル・モザイク1 最初はミケーネ時代?
マケドニアの金製品
ペラ3 ヘレネの略奪の館
ペラ2 ディオニュソスの館
ペラ1 円墳を辿ると遺跡に着く
ヴェルギナ2 王宮まで
ヴェルギナ1 大墳丘にフィリポス2世の墓
※参考文献
「ギリシア古代遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「Pella and its invirons」 Maria Lilimpaki-Akamati・Ioannis M.Akamatis 2003年 MINISTRY OF MACEDONIA-THRACE
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝」図録 2006年 朝日新聞社、東映
「聖なる酒器 リュトン 語りかける いにしえの器たち」 2008年 MIHO MUSEUM