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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年4月3日木曜日

サントリーニ5 火山島ネア・カメニ1


ネア・カメニ島のエリニア港に上陸して、入山料2€を払うと、リーフレットをもらった。

ネア・カメニ島の成り立ち(リーフレットより)

図1
ネア・カメニはまだ海の中。
パレア・カメニの方は後46-47年に海上に現れた。
図2
ネア・カメニは1570-73年の噴火でやっと小さな島(ミクリ・カメニ)ができた。
図3
なんと、ネア・カメニが現在の形になったのは1950年のことだった。若い島なのだ。
エリニア港から上陸して、一応頂上まで登るつもりだが、中央部しか通れないみたい。あの海岸線に流れ出した黒々としたザクザクの溶岩は間近で見られるのかな。
そのザクザク溶岩に囲まれたエリニア港に16時30分に集合、40分出発ということなので、65分ほどの間に頂上まで行って戻ってこなくてはいけない。
最初は急な坂が続き、やっと傾斜が緩くなってきた。

港から10分ほどでA地点
リーフレットは、最も古い部分の、1570年の噴火でできたミクリ・カメニ・ドーム(溶岩頂丘)頂上付近という(図2)。
一つ目の噴火口。
1925-26年の噴火でダフニ溶岩がミクリ・カメニ・クレーターの西と下方に広がったために、ミクリ・カメニ・クレーターとの縁になったという(図3上)。
そして向こうにはサントリーニ島のニュー・ポートと、島で一番高いプロフィティス・イリアス山。

両側に噴火口を見ながら、割合なだらかな斜面をいく。
登山道はあちこちに枝分かれしているが、一応頂上が見えるまでは、みんなと同じ道を歩く。

B地点
噴火口らしく、これぞ火山という色とりどりの土。
1925-26年の噴火でできた大ダフニ・クレーターの南縁。クレーターは、スコリア(岩滓)質(マグマ・ガスが噴出してできた亀裂のある多孔質)の溶岩でできている。 1939-40年の噴火でできたフーケとレック溶岩頂丘が前に立ちはだかっているという(図3上・中)。
フーケとレックの頂丘かな。 

分かれ道に、なぜか妙なパラソルとベンチがあった。

隣同士で、黄色と赤という色の異なる頂丘がある。向こうの海に近い溶岩は黒っぽく、登山道付近は白っぽい。

C地点
ネア・カメニの中央の一対のクレーターは1940年8月、二度にわたる熱水の噴出で、1866年にできたゲオルギオス頂丘に取って代わった。
クレーターの東縁には噴気孔がたくさんあり、摂氏75-95度熱いガス(水蒸気、二酸化炭素、硫化水素、一酸化炭素とメタン)が噴出する。硫黄や石膏の結晶が噴気孔に溜まっている。この地点から東は、1941年にできたニキ頂丘が聳えているという(図3中、図2下)。
ネア・カメニの火口で初めて硫黄の噴出しているのを見た。
東縁につけられた道を南へ。
サントリーニ島の一番低いところが隠れているので、2つの島があるみたい。

E地点
この地点の東にある谷には、1866-70年と1941年の噴火によるグレーと黒の溶岩の間に、1950年1月の最後の噴火でできたリアトゥシカ溶岩があるという(図3下)。
遠くばかり見渡していたので、その溶岩は撮っていない。もらったリーフレットは、その場で読まなくてはいけません。
サントリーニ島の南端
後46-47年に顔を出したパレア・カメニ島。
海中温泉も見える。島の上の方には緑の草が生えている。
そしてティラシア島。

頂上へもう一息。

D地点
ネア・カメニで最も高い地点、標高127m。1866-1870年の噴火でできたゲオルギオス頂丘の頂点という(図2下・図3下)。
ひょっとして地中に埋め込んだポールの基盤が、風雨にさらされて土がなくなって露出しているのかな、と思うようなひどい目印。
北側
ティラシアとサントリーニ
断面はこんな風になっている。
東側。
向こうからこのゲオルギオス頂丘を観測しているらしい。

サントリーニ島の南部
そして南端。

   サントリーニ4 パレア・カメニ島の海中温泉
                    →サントリーニ6 火山島ネア・カメニ2


関連項目
サントリーニ1 クレタからサントリーニへ
サントリーニ2 イアに夕日を見に
サントリーニ3 ネア・カメニへはフィラから
サントリーニ7 アクロティリ遺跡1
サントリーニ8 アクロティリ遺跡2
サントリーニ9 アクロティリ遺跡3
サントリーニ10 アクロティリ遺跡4
サントリーニ11 アクロティリ遺跡5

※参考文献
「地球の歩き方A24 ギリシアとエーゲ海の島々」 2013-14年版 ダイヤモンド社 
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版