お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2014年4月7日月曜日
サントリーニ7 アクロティリ遺跡1
ホテルのベランダは東側にある。
日の出を撮ろうと思ったのに、目が覚めた時にはすでに出てしまっていた、6時34分。日は8時30分まで暮れないが、意外と日の昇るのは遅い。
また今日も快晴!
北側の家並みにはオレンジ色の朝日が当たり、
東南の海にはアナフィ島が霞んでいる。
そして、ベランダの南側はというと、山が迫っている。
島で一番高いプロフィティス・イリアス山?いや、海にまで迫り出ているのは古代ティラ遺跡のある標高369mのメッサ・ヴオノ山の東麓ではないだろうか。
実は、ギリシアは経済危機が観光にもひびいている。ストで遺跡や博物館が閉まって見学できなかったなどという話を聞いて、ギリシア旅行に出発する前から不安でいっぱいだったが、実際にツアーが始まると、そんなことを忘れてしまうほど順調だった。
ところが、サントリーニ島に到着すると、遺跡や博物館の開いている時間は、オフシーズンのまま(15時まで)だということがわかった。それでツアーのスケジュールが急遽変更され、到着した日に見学することになっていたアクロティリ遺跡と先史博物館は翌日になってしまった。ということは、自由行動となっていた翌日午前に予定していた古代ティラ遺跡の見学は不可能になってしまったのだった。
で、本日はまずホテルのあるフィラからサントリーニ島の西南端にあるアクロティリ遺跡へと向かった、8時30分。
フィラの町を過ぎると、左手には平野部とアナフィ島が見え、
ぐるっと回り込んで、右手にはネア・カメニ島と、サントリーニ島のイアのある北端が見えてきた。
サントリーニ島の南西端には、ネア・カメニ島のような溶岩流の跡が残る場所もあって、そのむこうに小さな白い島が浮かんでいる。アスプロ島かな。
道路が東を向いて、アナフィ島がまた見え、
次には向きを変えて、葡萄畑の向こうに標高210mのロウマラデス山がのっぺりと広がっているのが見えた。
ロウマラデス山に近づいたかと思うと、その手前を南に向かっていった。
海が見え出すまでに駐車場に到着。
遺跡などありそうもない雰囲気だが、石垣が色とりどりの火山岩が積まれており、向こうの崖は凝灰岩が露出している。
木と石でできたアクロティリ遺跡の門。
行く手にはだかる山のようなもの、それがアクロティリ遺跡だ。
『図説ギリシア』は、クレタ島における宮殿文化の繁栄は、次第にエーゲ海の島々にも波及し、やがていくつかの島にはミノア文化の色彩の濃い都市が成立した。ここに、そのような都市の姿が火山灰の中にそっくり保存され、それが火山灰の中にそっくり保存され、それが発掘によって現代に蘇りつつある遺跡がある。エーゲ海の島々のなかではもっとも南に位置し、ギリシアとクレタ島とを結ぶ位置にあるサントリーニ島のアクロティリ遺跡がそれである。
この島は幾度となく噴火を繰り返してきたが、とりわけ紀元前17世紀の後半に起こった爆発はすさまじいものだった。30万立方㎞にも及ぶ噴出物は、島の地表面を厚く覆ったばかりでなく、東地中海の各地に降り積もり、大気中に残留した粉塵のために地球規模での冷涼化が生じたほどである。
紀元前17世紀の大爆発が起こる直前のアクロティリには、空前の規模をもつ高度な都市文化が展開していた。厚い火山灰の下から掘り出された区画は、当時の街の広がりのごく一部に過ぎないが、ときに三階部分まで壁が残っている建物からは、大爆発を予知してントリーニ島から貴重品だけを手にして慌ただしく退去していった人々の日常生活を伝える遺物が数多く出土しているという。
あの土山は、アクロティリを埋没させた火山灰だった。
入口に到着したのは8時48分。
念願のアクロティリ遺跡が目の前に広がっている!しかし、屋根が架けてあるので暗い。
自然光と風を入れるようにできているらしい。
中は予想していた通り一面が土色のモノトーンだった。
先日クノッソス宮殿にあった赤や黒で彩色された柱や壁面などは、エヴァンスの強引な復元とされてはいるものの、目に入る色彩で印象に残ったが、この遺跡は何が何やらわかりにくい。
入った瞬間、勉強してきたものなど吹っ飛んでしまった。
さて、本日のガイドはポピーさん。いろんな図を見せて説明してくれたので、非常に分かり易く見学できたのだが、もう10ヶ月も前のことなので、記憶がなくなっている。
アクロティリ遺跡はクノッソスのような宮殿や神殿ではなく、町並みだ。
発掘され、見学できる箇所はアクロティリ遺跡のごく一部という。
前17世紀に、そんな大規模な町、いや街があったのだった。そして、ポンペイ同様、火山灰に覆われたために、当時の状態のまま残った。
壁面のパネルに見学通路と建物の遺構の図があった。数字が打ってあるので、調査でそれぞれがどんな遺構かわかっているようだが、残念ながら、その説明のパネルの写真がないのでわからない。
当時の道路と広場。
サントリーニ6 火山島ネア・カメニ2← →サントリーニ8 アクロティリ遺跡2
関連項目
サントリーニ1 クレタからサントリーニへ
サントリーニ2 イアに夕日を見に
サントリーニ3 ネア・カメニへはフィラから
サントリーニ4 パレア・カメニ島の海中温泉
サントリーニ5 火山島ネア・カメニ1
サントリーニ9 アクロティリ遺跡3
サントリーニ10 アクロティリ遺跡4
サントリーニ11 アクロティリ遺跡5
※参考文献
「図説ギリシア」 周藤芳幸 1997年 河出書房新社