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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年5月25日月曜日

タシケントからサマルカンドへ


関西からアシアナ航空の午後の早い便で行くと、仁川国際空港で乗り継いで、ウズベキスタンの首都タシケントの空港には夜に到着することになる。

大阪-ソウル間は12時50分発だったが、軽食で、とても食事とは言えない量だったので、インチョン空港の待ち時間に食事することに。
私はそんなに韓流ドラマを見ている訳ではないが、コメディーものではよく真っ黒な細い麺を食べるシーンが出てきた。「ジャジャメン」と聞こえる。
「ジャジャメンが食べたい!」というと、同ツアーのAさんが付き合ってくれた。
ゲート近くのセルフのお店には写真が並んでいて、単品のジャジャメンがありそう。チケットを買う時、レジにいた人に「ジャジャメン」というと通じた。
ピックアップの文字の下に番号が出ると取りに行く。
真っ黒な細麺と信じていたのに、できあがったのはこんな魚介類がたくさん入った茶色い餡かけに絡まった細めのウドンだった。
これでは大邱で食べたのと変わらへんやん。あの真っ黒な細麺は、ドラマの進行上、ズルズル飲むようにして口に入れるための幻の料理?

旅慣れた人は通路側の席を選ぶというが、私は窓の外の景色を見たいので、窓側にしてもらう。
ところが黄海は雲に覆われて見えなかった。
中国時間で17時30分頃夕食が出る。ジャジャメンを食べてから3時間ほどたっているのでパン以外は食べた。
タクラマカン砂漠の上空。
中国時間で21時少し前、翼の向こうの空が赤らんでいるのが見えた。

タシケントの空港にはほぼ定刻に到着したものの、荷物がなかなか出てこない。韓国で働いていた人々が、土産を預け荷物にして持ち帰ってくる。その量たるや、たくさんのという言葉では足りないくらい膨大な嵩と数。海外からの旅行者のスーツケースは、多くがその後に出てきた。
2時間半後空港を出る。
ホテルに着いて荷物を解き、眠りにつく頃にはもう深夜。

翌朝は快晴!朝食までの時間にホテルの周囲を散策。
ナヴォイ通りは中央分離帯が柵になっている大通りで、向かい側にも大きなホテルがある。
すぐ先の交差点。なんとも広大で、道路には何のマークもない。
ホテルの裏手に狭い通りがあった。そこは通りに面した大きな建物に囲まれて残る、人びとの住居と暮らしがあった。
4階建ての集合住宅が並んでいて、いろんなタイプの窓の柵が楽しい。ある玄関から中学生くらいの男の子が、お母さんに見送られて出てきた。まだ7時前、早い登校だなあ。
もう少し奥も探検。表通りの街路樹は立派だったが、内側も樹木が生い茂っている。
原種のバラのような花を発見。
東トルコで咲いていた原種のバラは、いい香りが漂っていたが、この花は全然匂いがない。

最初の観光地サマルカンドへ。

タシケント駅を右に見て、
やがて郊外へ。
出発して30分ほどで最初の検問所があった。写真撮影は禁止だったが、外国人旅行者はパスポートの提示もなく通ることが出来る。

窓の外には小麦畑に葡萄畑、果樹琳などが広っている。
現地ガイドのマリカさんによると、タシケントやサマルカンドでは年間降雨量が1500㎜ほどあるので、ウズベキスタンの東部では農業がさかんという。
チャイハナも。日陰は爽やかな風が通って涼しそう。
シルダリヤを越えて
ガソリンスタンドやプロパンスタンドだけでなく、メタンスタンドもみかけた。
日干レンガを積んだような民家や
入母屋造の屋根もよく見かけた。
小さな集落は、長い塀に囲まれていることが多かった。
木陰で水やジュースを売る人がいたりして、アイスクリームもあるような・・・
赤いトタン屋根のお家の人かな。電気は家から取っているのだろう。
水路には澄んだ水が満ち、脚が青葉を出している。その向こう、畑との間には、白く塩の上がってきた所がある。
やがてトイレ休憩。トイレは水洗で、トルコ式というか、漢式というか、ま、シルクロード式というのが当たりかも。
売店では魚の干物を売る店があった。カメラを指すと得意そうな表情でポーズを取るその上には魚の絵を切り抜いたようなものが吊ってあった。

                       →アムール・ティムールの門を通ってサマルカンドへ

※参考文献
ウズベキスタンの地図 Sackvoyage社
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年