お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2015年7月9日木曜日
シャーヒ・ズィンダ廟群10 アミール・ブルンドゥク廟
シャーヒ・ズィンダ廟群は、24:無名の廟2を過ぎると
右側に
25:葬儀用のモスク跡があり、
左側には廟がある。
26:アミール・ブルンドゥク廟 AMIR BURUNDUK MAUSOLEUM 1380年代
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、カラ・ハンメドレセの煉瓦で造られた一室の廟が、アムール・ブルンドゥク廟である。20世紀に外部のドームが破壊され、建物は十六面体の土台に内部のドームがあるのみとなっているという。
二重殻ドームの外側が破壊されたが、胴部と内側のドームは免れたということだろう。
正方形、八角形、十六角形と、円形に移行させる時に、外部ドームを高くみせるために、十六角形の胴部を高く造るようになっていったようだ。
ファサードはその時破壊を受けたのか、タイル装飾は残っていない。
玄関部分にしても、こんな重要なところにバンナーイという、焼成レンガと色タイルで大きな文様を造るだけの仕上げを、創建当時に行ったとは思えない。
アラビア文字の銘文と、その地文となる蔓草文の箇所はモザイク・タイルで造られているが、他の例と比較すると作行きがオリジナルではなさそう。
同書は、十字型の納骨堂に2つの出入り口がある。ここには9人が埋葬されており、その中の一つは木製の棺である。子どもの棺もあり、その子どもは薄い茶色地で、濃い茶色の模様のシルクの上着で埋葬され、その上着は、黒い模様のある濃い茶色のシルクでできており、裁ち方は現代の上着と共通しているという。
あと4つは写していなかった。
腰羽目は六角形に7つのロゼット文を配した絵付けタイル。
ドームは、様々な幾何学文を組み合わせた組紐文のある漆喰仕上げ。当初はここにどんなタイルが嵌め込まれていたのだろう。
上を見上げると漆喰の白さもあるが、八角形のうち4面に明かり採りの窓が開かれているために明るい。
そのアップ。このままの方がどんなドームだったか想像することができるので、妙に新しい物で飾るよりは良いかも。
正方形から八角形への移行部。
スキンチには、上の荷重を支える役目のなくなった、装飾としての直交座標系のムカルナス。
直交座標系のムカルナスについてはこちら
奥壁
シャーヒ・ズィンダ廟群9 無名の廟2←
→シャーヒ・ズィンダ廟群11 トマン・アガのモスク
関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
ドームを際立たせるための二重殻ドーム
シャーヒ・ズィンダ廟群1 表玄関にオリジナルの一重蔓の渦巻
シャーヒ・ズィンダ廟群2 2つのドームの廟
シャーヒ・ズィンダ廟群3 アミール・ザーデ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群4 トグル・テキン廟
シャーヒ・ズィンダ廟群5 シャディ・ムルク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群6 シリング・ベク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群7 八面体の廟
シャーヒ・ズィンダ廟群8 ウスト・アリ・ネセフィ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群12 第3のチョルタック
シャーヒ・ズィンダ廟群13 クサム・イブン・アバス廟
シャーヒ・ズィンダ廟群14 クトゥルグ・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群15 トマン・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群16 ホジャ・アフマド廟
※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社